夏空_いわし撮影

Song for two geese

 整備が終わるのを待つ間、ルークに頼んでつけてもらったラジオから、フォークソングの軽快なギターの音が響き始める。

   午前四時三十五分始発
   七つの海と三つの丘を越えたその向こう
   そこに住む君に会いに行く

 続いて歌い始めたのは、辛うじて正しい音程の範囲に届いているような、決して上手とは言えないけれどどこか味があって、ふっと心惹かれるような歌い方の青年だった。
『ロビンの奴、ついに折れたのか』
 珍しく機嫌の良さそうなルークの声に、ソラはふっと顔を上げる。顔を上げても、見えるのは暗いコクピットの中だけだ。声も音楽も、通信機越しに少しくぐもった音しか聞こえない。
「歌っているのは、ロビンなの?」
 整備作業をしているのはルークだ。邪魔になるかもしれないとわかっていたけれど、ソラは我慢できなくて口を開く。

      あなたは金のガチョウを手に入れた
      誰もがうらやむ 金無垢の羽

 訊ねた途端に、もう一人、穏やかな女性の声が音楽に重なった。軽妙な男の声を遠くから包み込むような、不思議と現実感のない、でもどこかかなしそうな響きの声だった。
「……こっちの声は、カナリア」
『ああ。カナリアがロビンにむりやり歌わせたんだ。それに自分の声を重ねて完成させた曲だな』
 ルークは機嫌良く答えてくれたし、モニターに表示された整備の進むスピードも変わらない。それで話を続けてもいいのだと、ソラは少しほっとする。

   ポケットにはライ麦がいっぱい
   金のガチョウを小わきに抱え
   六ペンスの歌を口ずさむ

『ロビンの奴は趣味でギターをやってて、歌もまあ……興が乗ったら歌う、くらいだったんだが』
 説明するルークの声が、やっぱりいつもより楽しそうだ。どんな表情をしているのだろう。
 見ることは叶わないけれど、ソラはコクピットの中で頬杖をついて想像してみる。目を閉じると、瞼の裏でコンソールの前に座った銀髪の青年が少し斜に構えたような笑みを浮かべた。青い瞳がかすかに細められて、微笑む。
 ルークがどんな姿をしているかソラは見たことがないから、記憶の中にある映像を参考にして想像するしかない。

      私が笑うまで
      あなたは手を離すことができない

「変な歌詞だね」
『金のガチョウって話を元にしてるんだ。あとはマザーグースからスカボローフェアを中心にいくつか』
 言葉と同時に記録書庫《ライブラリ》から抜き出したテキストデータが送られてくる。

   サラダボウルに乗って
   大海原へ乗り出した二人
   もしもボウルが丈夫だったら
   僕らの歌ももっと続いていただろうか

 ソラが送られてきたデータを読み込んでいる間にも、歌は続いていく。ただ軽快だったギターにもロビンの歌声にも、どこか切実な響きが混じり、だんだんとその濃さを増していく感じがする。

      白麻のシャツを縫ったわ
      縫い目を残さず 針も使わず

「……元の詩も意味があるようなないような感じなんだね。誰が書いたの?」
『さあな。遠い空の向こうから届いたデータを解析して得られたものだからな。ただの戯れ言かもしれないし、何かの暗号かもしれない。どちらにしろ、俺たちに宛てられたものじゃねえだろうが』
 空の向こう。瞬きながら、ソラはその言葉が示す見知らぬどこかを思う。

   どんなばかばかしい感情も嘘も
   割れてしまったらもとには戻せない
   王様も王様の馬も騎士たちさえも

「なんだか、不思議。遠い宇宙の向こうにも、物語や詩があるなんて」

      あそこの井戸でそれを洗った
      水も湧かない
      雨も降らないあの井戸で

「この歌の二人は、後悔しているの?」
『そうなんじゃねえの。だから足掻いてる、ように聞こえる』
 目を開けて整備の進捗状況をモニターでちらりと見ながら、ソラは通信機に拾われないようにそっとため息をついた。
 ずっとこうしていたいのに、時間はすぐに過ぎていってしまう。
「……私も始発に乗れたらいいのに」
『は?』
 口の中でつぶやいた言葉は、ぜんぶは通信機に乗らなかっただろう。乗ったとしても意味がわからないはずだ。
「なんでもない」

   君に笑ってほしいんだ
   金のガチョウからこの手を離せるように
   自由になった両手を広げ
   僕は君に呼びかける

      サンザシに干して乾いたら
      あなたはそれを受け取りに来て
      そうしたら私
      きっと笑って言えるわ

 最後の節は、二人の声が同時に聞こえて絡み合うようだった。同時に違う歌詞が歌われているから、ソラは歌詞を聴き取るために耳と意識を集中させる。

    あなたこそ私の 真実の恋人

「あなたこそ私の……真実の恋人」
 歌の最後の最後で、二人がユニゾンで歌ったフレーズを、ソラもちいさく口ずさんでみる。
『気に入ったのか?』
 最後の節から曲が終わるまで、ソラが歌に聴き入っていたことに気づいていたのだろう。黙っていてくれたルークが、曲の余韻が消えたのを見計らって問いかけてくる。
「うん」
『データ送ってやろうか?』
「録音してたの?」
『ああ。あとでロビンに聞かせて悶絶するところを見てやろうと思って』
 絶対悪い笑みを浮かべているなと、ソラは確信した。脳内画像を想像で補正する必要もなく、わかる。
「性格悪い」
『レクスほどじゃねえさ』
「それは、同意する」
『お前もイイ性格してるぜ』
 呆れた調子で言っているけれど、ルークはふっと笑ったようだった。一秒だけ考えて、ソラは小首を傾げる。
「……もしかして、ほめられた?」
『ほめた』
 ありがとう、と、ソラは目を閉じながらつぶやく。視界が闇に落ちる寸前に、整備が完了したことを示す表示がモニターに見えた。
『じゃあな。先に上がるぜ』
「うん。また後で」
 通信が途切れて、ずっとかすかに聞こえていたノイズも消える。
 目を開く。
 整備状況を示すモニターが消えたコクピットの中は真っ暗だ。ソラはゆっくりと息を吐きながらシートを倒して、仰向けになった。
「あなたこそ、わたしの……」
 暗闇の中、重力と逆のベクトルへ向かって手を伸ばす。空は見えない。

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