海空断片

After Zero

「何があったか覚えているか。アウル・ブルーバード少尉」
 ベッドの脇から直立不動で問いかけてくる男の顔にすら、全く見覚えがなかった。
「何が……とは?」
 それでも階級章から彼が大佐であることはわかる。最低限の礼儀は守った方が良いだろうと身を起こそうとするが、思うように身体を動かすことができなかった。
「そのままで良い。昨日の任務の件だ」
 のろのろとした動きで、それでもなんとか上半身を起こしてヘッドボードに背中を預ける。
「昨日……」
 思い出そうとすると頭の奥が重く痛んで、アウルは思わずこめかみを押さえた。
「やはり記憶が消されているか」
 名前もわからない『大佐』は一つため息をつき、胸ポケットから身分証を取り出してこちらへ向ける。
 情報局所属、アウグスト・デ・ラウレンティス大佐。
「本日より君の所属は私の下になる。特殊任務部隊の任は解かれ、『ルーク』の称号は消滅する。忘れるように」
「……了解」
 そもそも覚えていなかったことを忘れろと言う男に笑い出したくなるけれど、もちろん表情には出さない。矛盾しているようだが、記憶には留めておけ、ただし他言無用、というのが真意だろう。
「昨日君は『レクス』と二機で神人討伐の任務に出撃し、失敗した。『レクス』は戦闘中行方不明となった。君一人での部隊運用は不可能と判断され、特殊任務部隊を解散し、君は私預かりとなったわけだ。何か質問は?」
 必要最低限の説明はなされた。それ以上の情報を与えるつもりなどないだろうことは、彼の表情からわかる。
「今後の任務は」
 だからアウルは、期待されている質問だけを返した。
「今までと同様、神人の討伐だ。ただし当面はカタリナを使ってもらう」
「カタリナ……」
 新造の飛空艇だが、小型飛空艇《バード》との性能は雲泥の差だ。任務がやりにくくなるという不満以上になぜか半身を奪われたような喪失感が襲ってきて、アウルは動揺を隠すために表情を引き締めた。
「訓練の期間は回復後に与える。今は治療に専念しろ。以上だ」
「了解」
 満足に敬礼もできないアウルから用は済んだとばかりに視線を逸らし、ラウレンティス大佐はどこか機械じみた直線的な大股で病室を歩み去った。
 その気配が完全に消え去ってから、アウルはゆっくりとベッドに身体を倒す。
(そうか……小型飛空艇《バード》には乗れないのか)
 全身怠いのに、意味もなく右手を持ち上げ、しげしげと見つめる。
 ――そうだ、小型飛空艇《バード》に乗った後は、いつもこの、自分の身体が自分のものではないような違和感に襲われるのが嫌だった。
 なのにいざ乗れなくなるとこのザマだ。
(レクスがいなくなったからか……)
 自分一人では小型飛空艇《バード》を飛ばせない。そう思った瞬間に浮かび上がった違和感を、強烈な頭痛が覆い隠していく。
(一人では飛ばせない……二機……)
 目を閉じると幻のように幽霊機《ゴースト》との戦闘が脳裏に蘇る。
 アウルの指示に従って本物の鳥のように戦場を飛ぶ青い翼。
(あれは……誰だ)
 思考を巡らせるには酷すぎる頭痛と倦怠感に、アウルの意識は瞬く間に飲み込まれていく。

「私のことを、思い出して」
 意識が完全に途切れる一瞬前に、耳の奥に聞き慣れた少女の声が響いた。
 それは確かに、いつか、どこかで『彼女』に言われた言葉だった。

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