受け取ったコトバが内面化する時
すぐに、返事が出来ない私である。
本当に、申し訳なく思いながら、パン修行をさせてもらっている。
たとえば、師匠に、「パン生地を張らせないといけない」と言うようなことを言われた時、正真正銘の体育会系であるなら、「おっス」をはじめとした各種返事が出来て当然ではないか。
私は、意味が伝達し、内省してからやっと、コトバのような、うめき声のようなものが、出たり、出なかったりする。
レスポンスは早いんだよ、友達とか、カノジョと話している時は。
でも、こういう、なにか大事なこと、身体に落とし込まなきゃいけないことを、伝えられた時、私は、誠実でありたい。解らないことを、解らないと言いたいわけである。
咀嚼する時間を、与えていただきたい。
そうした心が、実に、私に返事を、させてはくれないのである。
交差点で、右折したいのにできないもどかしさに、実によく似たもやもやである。
「あぁいけるかな、いや無理か、あぁ、今行けたな。」みたいな1人劇場が、ハンドルを握る私1人、心のうちで開幕するように、「解りそうで、解らない。で、方法論は?」と言った戸惑いである。
あぁ、実に、困った。珍しく、私は今、返事できなくて困っているけど、安易にしたくない私と、交差点の右折のように、「行く、行かない」をやっている。
コトバより、実践が全てを凌駕するとはいえ、すぐ上手くなるなら、皆、職人であるわけで、いやはや、悩めるなぁ。
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