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オトナのいろは

初任給を手にしたカノジョが「社会保険高~い」なんて柄にも無くオトナっ気のあることを言っていた。

社会保険をはじめとするナントカ保険一派について、ワーワー言うようになったら、いっちょ前にも大人の階段を昇れていると見て相違ない。

21歳にもなると、「存外、まだまだ甘ちゃん」に見られているということで、おそらく、オトナになる為の段取りというか、予選会みたいなものが、誰にも知られず開催され、日夜「君オトナ、君コドモ」と振り分けられているのだろうと、簡単に想像ができる。

交通量調査風に行われているのだろうな。「あ、今、社会保険って言ったからオトナP+1」と、オトナ審査本部の人らは、右手の数取り器をカチッとやるのだ。

ここからはオトナ、ここまでコドモ、そういう線引きが無いなら、みなコドモだと思う。

やりたいようにやってるやつか、やりたいようにやれなくてブツブツ言ってるやつ、私達はいつまで経っても、なんら変わらないのだ。

で、あるなら、まぁそこそこ好き勝手にやってやりたいなぁなんて思う。

ここで問題なのが、数年後の好き勝手を引き換えにした目先の我慢と、好き勝手な今のどっちを取るかと言うことで、我慢イズ美談な風潮には困ってしまう。

なんだか、美味い飯を食うために仕事するのがバカみたいになってくるではないか。

やれ投資だ、やれ布石だ、やれリスクヘッジだと生きるのも、賢くて、今どきでイイ気もする。

のだけど、毎度美味い飯をワシワシ食って、よく寝て、また次の日、その日の飯を食うためにわっせわっせ働くのも、古臭くてカッコイイ気がする。

今日の為に、今日がんばる、そんなその日暮しも存外、我慢が無くて、いい気がする。

まぁそういう生活してると、やれ「社保払え、」やれ「生保かけろ」と、オトナは言うので、「仕方なし、」と保険を払う為に、今を我慢して、また今日もワッセワッセと働いて、明日の為にと夜の一品が減ったりするわけだ。

一日の終わりに自己納得して、「あ~今日もいい日だった」とすっきり寝る為には、案外、今を我慢している暇なんて無くて、結構貪欲に、「この日一日を良くしてやろう」、その延長に、明日だか、明後日だかがあるんではないかと思っている。

どうも、国民年金だの、ナントカ保険だのからは、残念なニュアンスしか感じられないのだけど、オトナ審査本部の人たちは、そういうところをどんな風に見ているのだろうか、なんて考えてしまう。

「文句の1つも言わずに保険を払っているから、上オトナから特オトナに昇級だ。」なんてやっているのだろうか。なわけないか。

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