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危うき、ネコの求心力。

「EVERY DENIM」の「えぶりシティ」の、「服のたね」を、すっかり育てるのに夢中で、毎日コットンの葉を見ながら、「君はいつまで双葉かね。」とやっている。

動植物に癒しを求めるスタイルは、どうやらちょっとした病み、なんていう声もちらほらあるが、プロダクトの手前、プロトタイプ作りの私の日々の癒しを、他人様にお願いするのは、気が引ける。

コットンの葉があと少し増えて、綿がなるまで、じっくりと私も根を貼ってやりたい。

何を生産するわけでもないが、パン修行の日々は少し疲れる。(本当は、すごく疲れる。)その疲れを、私は今、架空のネコ、動画像のネコで癒すのだ。

そんな私も、去年の秋にネコ嫌いを克服して間もないが、今ではめっきり、自由民主ネコ党の代表である。いよいよ「ネコを飼いたいな」、と思うまでになった。

なったのだけど、ネコなど飼ったら地獄の口が開くというものだろう、ということだけは想像出来る。

弱る私をネコが慰める創作の日々は、私をネコ漬け、はたまたネコチン中毒にするに決まっているのだ。ネコのあごのもふもふをくれ、前足で頭をカイカイするネコを見させておくれ、と、どうにもならないネコと私の失楽園なのである。

ネコの求心力は、大変恐ろしいのだ。その恐ろしさと言ったら、猫科大型肉食動物の比ではない。

ネコは賢く、「こうしたら、アナタは、私の子と好きになるのデショ。」と、全て計算づくなのである。その辺は、恋愛上手の女子大生と変わらないモノがある。(詳しいことは知らないが。)

まんまとネコにしてやられているワケだが、そんなこと、私は一向に構ないのだ。肉球の上であそばれていようと、構わないのだ。ネコなしでは生きられないカラダになってしまっているのだ。

やはり、ネコの求心力は恐ろしい。

ネコなど、決して飼ってはならないのである。ズルズルと続き、結婚できない永い同棲生活のような、ネコとの日々は、どうしたって避けたいのである。

綿の葉を見ながら、意味も無くニコニコやるくらいが、私の身の丈には合っている気がする。

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