下向けど上向く。
クミンみたいな一口目に「ガツン」と来るスパイスのそれは、疲れたけど楽しい系イベントのそれとは違う。
軽はずみな一歩が理由で「あぁ、もうやだ。」
と愚痴と文句が自身の内を飛び交いつつも、
「なんとかせねば」と、やるしかない状態に「うう。」と涙すら浮かんでくる。
これが、疲れたけど楽しい系イベントの醍醐味である。人は存外強いもので、下向けど上向くのだ。
「うう。」とは言いつつも頭と手はフル稼働で
「もう寝ていいよ。」っていう夜すら
妙に頭は冴えこみ困ったことに次の日の効率を下げる。
下がった効率を引っさげて「また今日もやらねば」と、「うう。」は、「ゔゔ。」に変化し私の精神を蝕む。
けれども人は案外強いので下向けど上向くのだ。
私たちの生活は図らずも時間の流れに支配されている。
思えば、「文字を書く」ことすら時間の流れに支配されている。
横に、縦に書く文字は、次に書く文字のスペースを考え、読みやすい様に必ず一定方向に書く。
時間の流れが無かったら、人の文字は、
こんな風に流れてはいかんのだろう。
「ゔゔ。」と声にならない声が出ている間も絶えず時間は流れて、流れ着いた時間の終着駅は、「解決」とか「諦め」とかそういうもので
「ゔゔ。」も気がつけば、「あぁ、終わった。」になるのだ。
一人でレシピを構想して、実現して、行商したこの1週間。
「昨日とか、本当に紙くずみたいだったよね。」なんて、いつもお世話になってるヒラクさんに言われたのだけど、今は芝生でジャズライブを聴いている。
終わって仕舞えば、いや、終わって仕舞うからこの世のことは大概、なんとかなるのだ。
絞り出した生命と一瞬の矜持こそが、
人間味なのだと確信した。
紙くずみたいだった私は、紙くずみたいなだけで人間だったと思う。
慣れないことしてオーバーヒートしそうな人だった。
人がワイングラスを片手に音楽に身を委ねる景色を見ながら、この数日間、一旦遠くに置いておいた大切なものをもう一度、手繰り寄せている。
足元から疲れと共に流れ込んで来るさわやかな風の様な感覚が、「今、僕生きてます。」って実感なのだと思う。
人は、下向きっぱなしだとやってけない。
「首、疲れちゃうし。」
下向けど上向く。
「疲れたけど楽しかった。」
こんな機会は、人生のスパイスなんかじゃない。
それこそが、日々の営みなのだ。
寝る前に上向いて、「今日も良い日だった。」
なんて思って寝れたら、とっても幸せなのだ。
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