見出し画像

赤飯を食うにあたって。

気がつけば4月の下旬の頭で、野球で言うなれば七回表のツーアウトである。

もとより親族の多い一家に生まれた私は、いとこも多く、それこそ野球チームになるかならないか位は歳の近いのがいる。

まだ桜が見ごろだった2回裏ワンナウトランナー二塁のころ、つまり4月の上旬は、一日に3つ赤飯が届く様な日があった。

その日の夜は、なにを親族揃って赤飯の交換会をしているのか、と違いも分からない赤飯を食べ比べた。

母とか父とかは、「あそこの赤飯は甘くてダメだ。」とか、「小さい頃は、甘いのが好きだった。」とか言っているが、私の記憶上、共に生活しているおじいちゃんが作る赤飯が一番美味かったように思う。

不思議なことに、母も、父も、数年前までは我が家も何かに付けて赤飯を炊いていた話を妹らにしてやらないから、この春から高校生になった妹と、その1つ上の妹は、そんな一昔前の我が家の赤飯事情を知らないのだろう。

今では歯も抜けて何言ってるか聞き取ることもままならないおじいちゃんが、どうしてそんなに赤飯を作るのかも分からないほど大量のもち米を勇ましく蒸していたなんてこれっぽっちも想像できない。

パン屋の我が家の隣には、赤飯を作る和菓子屋もあって、それでいておじいちゃんは、汗だくになってまで赤飯を蒸していたのだから、思い返してみたら、まるで意味が分からない。

が、とんでもない大きさの釜から赤飯を少し摘んで直接口に運ぶと、あたたかくてむちむちと甘い赤飯は大変美味かった。

赤茶色した外装の発泡スチロールのような箱から冷めて固まって、箸で取り出そうものなら全部くっついて来るような赤飯にごま塩振って食うのも特別感があっていいのだが、炊き立て蒸したて、ほのかに甘い赤飯にはどうしたって適わない。

「もいち、もいち」なんていって、「まだあちーから気をつけろー」と、おじいちゃんにしゃもじですくってもらってそれを食った幼い頃から、なんだかものすごく時が経った気がする。

昔あったことが今は無いということがもたらすノスタルジーなのかもしれない。

じーさま、ばーさまが「もうそんなに経つかえ。」とか言いながら感じる、時の流れと言うのは、私が感じるそれとは、随分違うのだろう。

「この街も変わってねー。」なんて和菓子屋の隣にあるラーメン屋のおばちゃんは言う。

だけど、私からしたら、生まれてからこの方この街に変わったことがあるとするなら、ほんの少し駅が綺麗になった程度のもので、基本は「ほんとに何も変わらない。」。

ただそれは私のような若い世代が、生まれたときから変化の渦中にいたからなのだろうと感じる。

同じ時を生きていても、炊き立て蒸したての赤飯の美味さを知っている私と、そんなこと知らない5つくらい歳の離れた妹もいれば、常に変化し続けてきたらしい街を知るおばちゃんもいる。

そんな当たり前のことが、なんだか不思議で、そうやって色んなことがなくなっては、うまれていくのだろう。

赤飯1つとっても「甘納豆で作った赤飯がいい。」とか、「甘いのはいやだ。」とか、私達は色々言うのだから、時の流れの話なんてしたなら、それはもう、大変なことになるのだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?