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幽霊、2024年3月の仕事。

3月の仕事はZAITENの連載コラムとサイゾーの特集原稿。

ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』

4月号は「松本人志に敗北した大阪サブカルチャー」

「ZAITEN」4月号

3月号の吉本興業特集でコラムと別に書いた「ヨシモトが志向する「脱・愚連隊」の〝正業〟ビジネス」という記事の余談というか、松本人志の話題から1990年代の大阪サブカルチャーを回顧する、という話。
字数が足りなくて削ってしまった話題も多い……というか、概略しか書いていないんだけど、90年代は大阪在住の友人からローカル番組のビデオテープやカセットテープを送ってもらって、長期の休みが取れると一週間くらい大阪に行く、という生活をしていたので、その頃の思い出。

時期的には西成のドヤがバックパッカー向けに商売替えする頃かな。
京橋のグランシャトーや梅田の大東洋といったおっさん向けサウナをハシゴしたり、関大や近大の周辺を適当にぶらついたり、江坂のネオジオランドで真っ昼間からコスプレしている常連客に驚いたり、真夏のサイキックミーティングに行ったり、京都の磔磔や拾得まで足を伸ばしたり、そういうしょうもないことばかりしていた20代。

サイゾー『新しいテレビと芸能界』

連載コラムが終わったので、もう書くことはないかな、と思っていたら、依頼があって、5月号の「新しいテレビと芸能界」特集で3ページの原稿を書いた。

「サイゾー」5月号

時節柄(?)、『不適切にもほどがある!』のドラマレビューだけど、2021年の日刊サイゾーで『俺の家の話』について書いていたから、内容的にはその続きみたいな話。

雑誌自体はもう発売されているはずだけど、諸事情でしばらく家にいないから届いた献本を確認できない&近所には売っていないので、どんな感じなんだろうね。あとで確認できたら追記します。

【追記】
あちこち本屋を回って確認しました。
第4話の時点で書いたので、最終話まで放送された現在から見るとあちこち間違っているけど、そのへんは雑誌の宿命だからしょうがない。

附記徒然。

かつて批評家を名乗っていたのは成り行きだが、ジャンルライター扱いされるのが嫌で名乗っていた、というのもあった。

そのジャンルへの偏愛が昂じてライターになった学者タイプのひとには敬意を表しているが、自分は「薄く広く」であちこちフラフラしているタイプなので、文章の精度は到底かなわない、というのもある。
対して、学者タイプではないジャンルライターで長く書き続けていて大物っぽく見えるのは、だいたいの場合、そのジャンルのボス猿たちに忖度を繰り返してきただけなので、世渡り上手だな、とは思っても尊敬することはなかったし、そういう生き方は絶対にできない。やりたくない。

コラムニストの肩書というのは、そのあたりちょうどいい。
たまにジャンルの話を振られて答えるくらいがちょうどいい。
なのに、未だにジャンルライターの鋳型に当てはめようとする読者がいて、こいつはアホなのか、と思う。
ドラマの話を書けば「ドラマライター」、宗教の話を書けば「宗教ライター」、アニメの話を書けば「アニメライター」だ。

連載コラムがそうだが、毎回、担当さんから何らかの話題を振られて、筆者の人生の中にその引き出しがあったら書いている、というだけで、ジャンルへの偏愛というものは、ほとんどない。
そのジャンルのボス猿はだいたい尊敬していないから、忖度もしない。

そして、批判は書いても、世直しはしない。
語る対象が問題を抱えていたとしても、改善されることは期待していないからだ。
ジャンルの外から野次を飛ばしている酔客のようなものでしかない、という諦念を前提として、筆者はコラムニストの仕事をしている。

そんな仕事に価値があるとしたら、世渡り上手なジャンルライターは保身のために書かないこと、彼らのジャンルのシステムにとって都合の悪いことを書く、ということだけだ。

ただ、その諦念に至ったことで、筆者はようやく〈元・批評家〉のコラムニストという仕事を許せるようになった。
こんなふざけた仕事で飯を食うことが許せなかったから、いままで辞めたり戻ってきたりしていたんだけども。

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