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目眩がするほどの衝撃【春にして君を離れ】

今回はポアロシリーズから離れてこちらを読んだ。

クリスティー作品の中でもミステリーではなく、ロマンス小説に分類されるものらしい。前情報を入れずに読んだ方がいいという話を聞いたのでその通りにしてみた。読む前のイメージとしては、タイトルとロマンス小説という響きから勝手に恋愛が主のストーリーだと思っていたのでそのギャップと衝撃にひっくり返りそうになった。
確かにこれはミステリーではない、しかしロマンス小説なのかどうかも怪しいと思う。後々この作品はクリスティー名義ではないとわかって納得した。ミステリー作家としてのクリスティーとこの作品の彼女とは私の中では同一人物として扱えない感じがしたのだ。全くの別物として捉える必要があることは読む前に知っておいてもいいかもしれないと感じた。

さらにもう一つ。この作品は読む人を選ぶというレビューをいくつか見かけたが、私の実感としては、人によって読むことを勧められないくらいのものだと感じた。それくらい、読み手に背負わせるものが大きい。
・共感しやすく、自と他の境界線が曖昧になりやすい人
・感受性が強く、心の状態が不安定になりやすい人
などには積極的に勧められない。読むなとまでは言えないが、心して読んだ方がいいかもしれないと前置きしたくなる。

※以下、ネタバレもあるので未読の方はご注意ください。


さて、私自身はどうだったかというと、まるで仕事をしているときのような感覚で読んでいたため主人公に自身を投影するような読み方にはならなかった。
私は臨床心理士で、カウンセリングや心理検査を行うことを仕事としている。つまり、ここでいう仕事をしている感覚というのはカウンセリングをしているような感覚になったという意味だ。主人公ジェーンの心の中で繰り広げられる考えを読むという行為と、毎晩少しずつ読み進めたことが余計にそう感じさせたのかもしれない。
ただ、厳密には本来のカウンセリングではない。なぜなら、ジェーンは一人で考えており、変容を望んで真実(客観的事実)にたどりついたわけでもないからだ。

ジェーンの中の、現実との境界線が崩れ始めて曖昧になっていく様子は小説ながら危機感すら感じた。このままでは発症してしまうのではないか、1人でこの事実を受け入れることは彼女にとって酷すぎるだろうと思ったのだ。
ただ、そこはフィクション。汽車が来るタイミングが絶妙だったことと、彼女が本当の意味で変わることを望んでいなかったことでどうにか健康度を保てたのではないかと思う。もし、彼女が夫のロドニーに赦しを乞う方を選んでいたとしたら、そこからの彼女を待ち受けるものの大きさに耐えられていたかどうか定かではない。『人が変化する』ということは想像するより遥かに難しい。『難しい』という言葉で語ることさえ憚られる。
特にジェーンのような年齢で自身のアイデンティティを根幹から揺るがすような考えを受け入れるなんてことはとんでもないことだ。極端に言えば、これまでの自己を一度全て壊す(殺す)ということに近いだろう。それをセラピストもなしに、1人でやろうとするなんてあまりにも無謀すぎる。そういう意味では、夫にかける言葉として「お帰りなさい」を選べたことは正解ではないが、最適解だったのではないかと思う。もちろん、人としてよりよく生きることは大切かもしれないが、それ以上に健康度を保って生きることも大切なことだ。ロドニーも、彼女がこのまま愚かでひとりよがりで、それでいて幸せでいてほしいと願っている。優しくはないが、合理的でいかにも彼らしい。ジェーンにその気がない以上、そこで変わるべきだ、とか間違っていると主張するのは得策とは思えない。
例えば、ジェーンがもう10歳、20歳若ければ全く異なる印象を受けるのかもしれない。そのタイミングであれば、変化を望むこともそのための勇気を持つことも今ほど難しくはなかっただろう。しかし、このタイミングだったからこそ彼女は自身の中にある違和感に目を向けられたのだろうし、一時はそれを受け入れようとしたのだろう。なるべくしてなり、収まるべきところに収まって行ったという表現がしっくりくる。

フィクションではあるが、そのことを忘れるくらい集中して読んでいたので読み終わった後には疲労感ととんでもない作品に出会ってしまったという衝撃とでクラクラした。これが約80年前に書かれていることにも衝撃を受ける。
クリスティーの表現力の巧みさもミステリー作品以上に感じた。じわじわと足元がぐらついて倒れそうになる過程の描写があまりにもリアルなのだ。末娘が実際に一度自身を崩壊させて再生しようとしているところへ見舞いに行った帰りに、ジェーンのシャドーであるハガードとの再会をきっかけにという設定もにくい。

これを読んだ人はどんな感想を抱くのだろう、と普段以上に気になって解説やレビューをいくつか読んでみた。するとこの作品は『哀しい』という言葉で語られることが多いようだった。確かに哀しい物語なのかもしれない。けれどそうやって生きていくことをジェーン自身が選んでおり、またロドニーも自身で選んでいるのだ。決して誰かに強要されたわけではない。外から見たら不健康な関係で、哀しい人生なのかもしれないが、本人たちがそれを自分自身で選んでいることが全てなのだと思う。だから私には哀しさはそれほど感じられなかった。切ないに近いかもしれない。無理もないよなという気持ちもある。

綺麗事では語れないヘビーなテーマだけに、冒頭で触れたように読み手に背負わせるものがいささか大きすぎるようにも感じる。フィクションという枠の守りとクリスティーの表現の巧みさがなければ成立し得ないものなのかもしれない。小説においてここまで衝撃を受けることも滅多にないので、これは一生忘れられない作品になりそうだ。
ただ、毎回ここまでハイカロリーだと身がもたないので、次はあっさり読める軽めのものにしようと思った。

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