「普通であろう」と、自分を矯正するような気持ち
「浮いてるな」「ズレてるな」
思うけれども、直せないこと。
分かるんだけど、感じられるんだけど、どうしようもないこと。
無理が限界まで到達した日、周りに「合わせよう」「馴染もう」と、自分を矯正するような気持ちを手放しました。
あの頃は「普通であろう」と必死だった。
でも、普通は、正しいことじゃない。
正しいことが、あるべき姿じゃない。
普通は、たぶん、この世に存在していない。
人それぞれに普通があるから、私の目指していた普通は、どこまでいってもゴールがないものでした。
それに向かって、終わりのないレールを必死に歩いているような生き方でした。
今は、自分にしか見えていなかったレールから、外れています。
背の高い草の生えた道を、手でかき分けるようにして、生きています。
ゴールは、もうありません。
いま見えるのは、私が歩いてできた道と、目の前にある背の高い草たち。
今日もかき分け、かき分け、進んでいます。
大変じゃないと言ったら、嘘になる。
でも、思い込みのレールの上を歩いていた時よりはずっと良い。
今はあの頃より、ずっと深く、息ができる。
「生きてる」って、思えます。
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