見出し画像

好かれてもいいし、嫌われてもいい

私はかつて「誰にも好かれていない」と思っていました。

「私を好きになる人なんて居ない」ってずっと信じていた。

でも、それと「私の幸せ」は関係ないと思うようになりました。

私が私を好きで、幸せを感じられたら、大丈夫なんだって。


カレーが嫌いな人も居る

画像1

前職の私の上司は、カレーが嫌いな人でした。

「えっ?!そんな人いるの?!」なんて驚いたことを覚えています。

「日本人は誰しもカレーが好き」というイメージが強かったから。

でも、どんなに人気の食べ物だって「苦手」「嫌い」な人は居る。

それは、人だって同じだと思うのです。

私を好きな人も居るでしょうし、そうではない人も必ず居ます。

「そうではない人」が居るって、怖いことに思えました。

でも今は、「そういうもの」なんだと思っています。

それが「自然」で、「当たり前」の姿なんだって。


心が壊れたから、分かったこと

画像2

私は今までずっと「そうではない人」に好きになってもらおうと思って、頑張っていました。

かつての私は「私のことを好きな人なんて居ない」と思っていたから、すべての人が「そうではない人」に見えていた。

いま隣にいる彼でさえも、です。

だから「今よりももっと嫌われてはいけない」と思って、家でも学校でも、ずっとずっと「好いてもらえる人」を演じようと必死に生きてきました。

でも、それはもう、やめちゃいました。

疲れて、心が壊れてしまったから。

でも壊れたから、分かったことが沢山ありました。


嫌われたって、良かった

画像3

誰かに嫌われたって、私の人生は変わらないって気付いたんです。

ものすごく傷つきましたし、めちゃくちゃ泣きました。

でも、傷は治ったし、涙も止まった。

そうしたらまた前を向いて、自分のことにどっぷり集中して生きればよかったんです。

「私は、私のことにだけ集中すればいい」

私はよく、自分にそう言い聞かせます。

影があれば光があるように、嫌いな人が居れば好きな人も居る。

私を「好き」と言ってくれる人が、居るはずなんです。

「絶対に、私を好きな人が居る」

ハンドメイドを始めてからずっと、そう信じてきました。

だからこそ、今の「sarari」という世界観が生まれたんです。


「好き」と言ってくれる人が居ると、信じ続けた

画像4

「私のことが嫌い(かもしれない)人」に好かれようと一生懸命頑張ってきたら、「私らしさ」がどんどん消えてしまった。

心が壊れた後はそれを修復しつつ、「好き」と言ってくれる人が居ると信じて行動し続けてきたのですが、私はその方が幸せになれると気付きました。

そして、本当に私のことを「好き」と言ってくれる人も現れました。

何度も作品を購入して下さる方、「sarariさんにお願いしたい!」と大切なご家族への気持ちを込めたオーダーメイドアクセサリーをご依頼してくださった方、「世界観やハンドメイドへの向き合い方が好きです」と愛のこもったファンレターを下さる方…。

「好き」と言ってくれる人をが居ると信じて頑張ったら、本当に素敵なことがたくさん起きたんです。

だからもう、「私のことが嫌いかもしれない人に好きになってもらおう」と思うのは、やめました。


私の心が満たされる人生を

画像5

今は、誰かから好きと思われるか、嫌いと思われるか…あまり気にしないで生きています。

「好き」と言われたら嬉しいですし、「sarari」という人を好きになってもらえるように試行錯誤を続けてはいます。

そしてもちろん、「嫌い」と言われたら悲しいです。

でも「それらは私の幸せに必要な要素?」と考えた時…必ずしもそうではないな、と思いました。

私は、「誰かに好きと言われるため」に生きているのではないから。

「誰かのために」生きていないからです。

私は、「自分を好きになって、楽しくて幸せな気持ちでいっぱいの人生にするため」に生きています。

だから、好かれてもいいし、嫌われてもいい。

私の心が満たされる人生を生きたいなと、思います。


「意味を纏うお守りアクセサリー」SHOP / Twitter / オンラインサロン / 委託販売( 横浜東京

私の活動に関心を寄せていただき、ありがとうございます◎サポートでお寄せいただいたお金は、作家活動費として活用させていただきます。