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耐えなければいけない痛みはあるのか?生まれた問いを考えてみた。

こんにちは。

梅雨時期に特有の蒸し暑い日が続いていますね。熱波地獄の夏が来るのも恐ろしいし。少し前の風が涼しくてカラッと晴れた日が恋しいです。


最近『哲学』というものに興味を持ち始めました。きっかけはこちらの方のInstagramからでした。

『哲学』って小難しいことをベラベラと並べ立てているものだってイメージがありました。私には到底分からない分野だし、縁のない分野だとも。

けれど図書館に行って借りた本を読んでみると、哲学とは日常の中に溶け込んでいるものなのだなと思いました。読んだのはこちらの本。

まだ読み途中なのですが、今後も手元に置いておきたい本だなと感じて購入しました。

私は哲学というものを1ミクロンくらいしかかすっていないので、この本が哲学の入門になるのか、はたまた良書なのかも判断がつきませんが、私自身はとても好きな本でした。日常の中で生まれては消える『問い』と向き合う過程を読みやすく書いてくれていると思います。


哲学とは日々生まれる『問い』を深く深く考えてみることなのかなと感じています。今まで何事も考えすぎだと言われてきた私にとって、考えることが認められている分野があることに、少々救われた気持ちがしました。

先ほどご紹介したちゃんすさんが、ご自身のポッドキャストでお話をされたい『問い』をリストアップされていて、その中で気になる問いがあったので今回は少し考えてみようと思います。


一番最初の問いに『「生理痛は甘え」なのか(甘えとは何か)』という問いがありました。まさに日常に隠れた問いですよね、なるほどと思いました。

私もこのnoteを始めてから、時々生理について言及しています。(過去にこんなつぶやきをしたこともありました。)

生理痛にしろ何にしろ『分からない』という感情・思考は誰しも起こりうるものです。あの人の考えていることが分からないとか、あの人の行動は理解不能だとか。

「生理痛は甘え」と発言をする人って、そもそも男性と女性のどちらが多いんでしょうね。女性の中でも生理痛を経験したことがある人が言うのか、経験したことがない人が言うのか。自分も思い生理痛を経験したけれど、耐えて耐えて頑張ってきた人がいう場合もあるよなぁとこの記事を書きながら思いました。

経験がないから分からない人(こちらは男女不問ですね)、経験があるけど自分は耐えたんだからあなたも耐えろという人(こちらは女性)、あとどんな人がいるんでしょう。

私自身はこの言葉をかけられたことがないので対象者を絞り込めないのですが、高校の時に友人がとても生理痛が重く体育の授業を見学したいと言ったことがありました。動けないくらいに辛そうで、私が代わりに体育教諭に伝えに行きました。その時は男性の先生だったのですが、「生理痛くらいで…」的な否定的な言葉を呟かれた記憶があります。

その言葉に私はものすごく失望しました。私の学校では体育教諭が保健の授業も併せて行なっています。女性の生理については知っているはずですが、痛みを想像することは出来ない人なのだなと思いました。人それぞれ辛さの度合いがあることを知らないし、想像できないのだなと。


この問いについて考えていたとき、「必ず耐えなければいけない痛みってあるのだろうか」とふと思いました。それと同時に「無痛分娩を非難する人って、痛みを経験しないことを非難しているのか?」とも。

出産に伴う陣痛(子宮の収縮)や骨盤の広がる痛みは、脊髄を通って脳に伝えられます。
無痛分娩とは、脊髄の近くに麻酔薬を少量ずつ注入することで出産の痛みを和らげる方法です。
無痛分娩を開始すると痛みは和らぎますが、下半身の感覚が完全になくなるわけではありません。赤ちゃんの下降感や子宮収縮をある程度感じ、子宮口が全開大になったらゆっくりいきみながら出産します。麻酔による赤ちゃんへの影響はほぼありません。
痛みの程度は妊婦さんそれぞれで異なるので、生理痛程度の方もいれば、ある程度痛みを感じる方もいます。そのため“無痛分娩”というより、“和痛分娩(疼痛緩和分娩)”という名称を用いる施設もあります。普通分娩と無痛分娩を両方体験した妊婦さんからは、“うとうとできた”
“痛みはあったが普通分娩よりも楽だった”と、満足する声が聞かれます。

マザーズクリニック ハピネスHPより

痛みが完全になくなるわけではないようですが、ある程度楽になるようですね。私は痛みに弱いので自分が出産をするとなったら無痛分娩を選ぶだろうと思います。

無痛分娩を非難する人は「出産の痛みを乗り越えて本当に子供を愛せるんだ」ということをよく言う気がします。本当にそうか?と疑問に思います。(もちろんこれ以外の意見があることも承知の上で、今回はこの意見について取り上げます。)

だってお母さんは約10ヶ月お腹の中の赤ちゃんを大事に守っているわけです。つわりに耐えながら色んなことをセーブしながら、お腹の中の命を守っているんです。その時点で愛情は生まれているはずで、出産の痛みの有無では変わらないのでは?と思ってしまいます。

それなら逆に男性は出産の痛みを経験していないから子供を愛せないのか?と言う問いを立てれば、それはきっとNOでしょう(個人差はあるでしょうが)。無痛分娩でなく通常のお産をした人だって子供を愛せない人もいます。痛みによって愛情が左右されるかどうかはただの精神論では…?というところに行きつきました。


考えていたら次々に新しい『問い』が泡のように生まれて消えます。これと決まった答えはないでしょう。本来ならそれを議論する場で意見を交わし合うのがいいのかもしれません。哲学対話というのだそうです。自分とは違った考えを聞いて、再びその問いに向き合ってみる。そうだなと思ったり、違うよなと思ったり。柔軟に考えが変わっても良いのだそう。

相手を非難するのではなく、自分の考えを押し通すでもなく。ただ聞いて、ただ自分の考えを述べて、またその問いを考える。そういう過程を経ることが最近は少なくなっているように感じます。過度な共感または過度な批判。そういう過度なものが溢れかえっている気がしてなりません。沈黙だって立派な考えだと私は思っています。頭の中で考えが駆け巡って、どの言葉を選ぶか慎重に吟味しているのだと思うからです。

結局何も答えは出ませんでしたが、こうしてnoteに書くことも考える過程でとても役に立ちますね。書いては消して、言葉を選んで。きっとnoteという場にいる方々は日々考えて、言葉を大事に紡いでいく方が多いだろうと思います。私が書いた今日の記事や過去の記事が、noterさん達の『問い』になればいいなぁなんて思います。


今回はこの辺で。すっきりしない記事になりましたね。笑

ではまた!

Thanks to 1st_note1様



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