見出し画像

『偽る人』(揺れる) (第80話)

施設での日々 4(1)

 一月の末に、房子が久しぶりに家に帰ってきて泊まった。房子が家でおいしい物が食べたい、と言ったからだった。一泊かと思っていたのに、結局四泊もした。
 家に泊まりたいという房子の言葉を聞くと、恭子はうれしくなる。何でもしてあげたい気持になった。
 夕飯には、すき焼きや、刺身、カニを出した。山ウドやふきのとう、タラの芽などの山菜で、天ぷらを作った。牛ヒレ肉で、ステーキの日もあった。まるで、正月やクリスマスのようなご馳走だった。
 朝食には、以前房子が家にいた時のように、毎日いちごを買ってきて出した。
 房子は料理に喜び、よく食べた。けれど、やっぱりよく喉に詰まらせて、途中で食べるのをやめたり、出してしまったりした。房子の年齢を思うと、暗い気持ちになった。

 房子の行儀は相変わらず悪かったけれど、少しの間だと思うとがまんもできた。
 膝が痛いと言えば薬を塗ってあげ、爪を切ってあげ、肩ももんだ。どうしてこんなにしてあげるのだろう、と自分でも不思議なほどだった。
 もともと、房子が冷たい人でなかったら、恭子は何でもしてあげたかった。房子が心から喜んでくれるなら、恭子はそれだけでうれしかったのだ。

 房子が家にいる間、恭子は暖房に気を使った。温室のような施設から、寒がりの房子が来るのだ。風邪をひかせたら大変だった。
この際、暖房費などは気にしていられない。夜、房子が二階に上がると、施設と同じように一晩中エアコンをつけた。階下からファンヒーターも持って行って、温めた。
お風呂には一回だけ入った。入らない日には、足が冷たいので、靴下の上からホカロンを貼って寝た。

房子は夜寝るまで、ほとんど一日中階下にいた。それは、一緒にいようと努力したのか、それとも暖房費に気を使ったのか、分からない。そうすると、卓雄がゆっくりできなくて、かわいそうではあった。
房子は階下に居て、ダイニングのテーブルで絵手紙を描いたり、たまにテレビを観ていた。疲れて椅子に座ったまま、居眠りをしていることもあった。さすがに疲れて、夕方に三時間近く、二階のベッドで眠った日もあった。

そんな滞在中のある日、恭子は房子を連れて、タクシーでモールに出かけた。房子が足の爪の横に突起物があって痛いというので、モールの中にある医院で診てもらおうとしたのだ。
モールの中にはいくつかの医院が入っている。その中に足専門の医院があって、週一回医師が通ってくる。その医師に、恭子は少し前に外反母趾の手術を受けて、術後定期的にモールに通っていた。
房子の足は、一か月くらい前から痛んでいたのに、施設の内科医に言っても、ちょっと診るだけで、何もしない、と房子は不満を言った。
急だったので、保険証もない。施設に頼んで、ファックスで送ってもらって、特別に許可してもらった。
中年の足の医師は、いつも何食わぬ顔で、手術後の恭子の足の指をひどく曲げてみたり、反らしたり、荒っぽいことを平然とする。房子の足にも容赦なかった。遠慮なく指の先を切り取ったり、こすったり、削ったりしていく。房子の指には、「タコ」ができていたのだ。
房子は数回悲鳴をあげた。恭子は房子の足を押さえ、手を握っていた。
それでも、足は見事に治ったようだった。痛みもとれて、房子は少女のように明るい声をあげた。
「せんせー、全然痛くないですー!」
「もっと早く先生に出会いたかった~!」
いつものように、オーバーに、感激したようにほめまくった。聞いていて、恭子は恥ずかしくなってくる。

 それから、大きなモールの中を、房子の車椅子を押していろいろ見て回った。違う階に行くには、いちいちエレベーターの所まで行かなくてはならないので、大変だった。
 そうして歩いている時に、房子の携帯電話が鳴った。絵手紙の先生からだった。先生からは、家にいる時にも何回か電話があった。
 房子は人が変ったように、丁寧で、きどった声を出す。
「今、足を診てもらいに病院に来ているんです。・・・トゲが刺さっていて・・・抜いてもらって、楽になりました・・・」
え、トゲ? と恭子は驚いた。なんで本当のことを言わないのだろう。「タコ」と言ったら、かっこ悪いからだろうか。
短い電話が終わって、歩きながら、房子に訊いてみた。
「《絵手紙の》先生に、《恭子の》家に居ることを言ったの?」
 すると、房子は言っていない、と言う。
「どうして?」
と訊くと、
「面倒だから」
と房子が言った。
 先生が家に来たら、迷惑をかけるから、と善意に解釈しようとしたけれど、変だった。
恭子が押している車椅子の上で電話をしていたのに、そのことも言わない。まるで、ひとりで来ているような口ぶりだった。
 何故?と思った。娘が世話をしているのを、何故言ってくれないのだろう。冷たい、と思った。恭子が房子にしてあげていることを、房子は決して他人には言わない。ずっとそうだった。恭子を「いい人」として伝えてくれないのだ。
 でも、もう、いいや、そんなことを考えるのはよそう。今は、房子にただただ尽くそう、そう思った。

 そして、房子が施設に帰る日になった。

画像1

登場人物紹介

恭子:60代の主婦。兄嫁と折り合わず、家を飛び出してきた実母に苦しみ、「反感」と「情」の間で心が揺れ続ける。

卓雄:恭子の夫。定年間際のサラリーマン。

房子:恭子の実母。気が強いが、外では決して本性を出さず、優しく上品に振舞う。若い時に夫(恭子の父)を亡くし、塾を経営して蓄えたお金を偏愛する息子に貢ぎ続ける。

幸男:房子の長男。恭子の兄。若い頃から問題行動が多かったが、房子に溺愛され、生涯援助され続ける。仕事も長続きせず、結局房子の塾の講師におさまる。

悠一:房子の実弟。房子とかなり歳が離れている。

やすよ:幸男の嫁。人妻だったため、結婚には一波乱あった。房子は気に入らず、ずっと衝突し続ける。

↓↓連載小説のプロローグはこちら↓↓

↓↓連載小説の1話目はこちら↓↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?