私は去年、2度交通事故にあった。 どちらも車を停止している時に後ろから ぶつかられたので過失は0だった。 正直こんなの後付けに過ぎないかもしれないが どちらの日も前日に精神的に落ち込み 亡くなったわんこの元に行きたいと思っていた。 もちろん本気で自らの命を断つほどの 勇気は私にはなく、思っただけだ。 だが、ここよりもランディのそばにいたい そう思っていた。 思えば自分が落ち込んでいる時、 いつもランディはそばにいてくれた。 家族よりも敏感に私の心の動きに気づき ただそばに
私は動物が大の苦手だった。 保育園の時の遠足で動物園に行った時は 永遠に泣いていたらしいし、 小学校の鶏小屋の掃除は泣き叫んで 毎回先生がついて、掃除させられていた。 そんな私に地獄は訪れた。 小学4年生の夏、我が家に犬がやってきた。 ブリーダーに捨てられかけている所を 親が、1匹引き取ってきた犬だった。 名前はランディーと名付けられた。 最初はゲージに入っていたが、初めての環境 なんて関係ないかのように元気だった。 ゲージ越しだったら見ていられるくらいには なっていたが、
ここ1.2年で私はお笑いにハマった。 元々、人を笑わせるのも、笑わせてもらうのも 好きな方だった。陽気な空間が好きだった。 お笑いライブに行くとただ笑う事に 熱中できる。 昔好きな女優さんの舞台に行った。 何度も同じ舞台を見るほどにその人の 演技が好きだった。 物語に入り込むのは得意で本を読んでも 読み終わるまでは頭の片隅が その物語に侵されている感覚があった。 入り込んで、日常から抜け出せるあのひと時が好きだった。 でもお笑いは少し違う。 もちろん日常から抜け出すとい
小学生までは、特に人間関係を気にする事なく ただただ誰とでも仲が良かった。 違和感と出会ったのは中学生になってからだった。 入学して少し経ってから、省くという行為を目にしたり、陰口がそこかしこから聞こえてくるようになった。 小学生の時ももちろん喧嘩はあった。 でもこんなにネチネチとした質感のものではなかった。 他人事のように言っているが、もちろん私の中にもネチネチは生まれていた。 1人で溜めているとモヤモヤして、吐き出すと自分が楽になれた。 あいつも自分の事を悪く言っているの
私が中学生の時、おじいちゃんが癌で 亡くなった。まだ60代だった。 物心ついてから初めてのお葬式だった。 おじいちゃんは長い間寝たきりで、 自分で何もできない期間が長かった。 何となくそれが近い事は私もわかっていた。 だからだろうか。それともまだ未熟だったのか 私は暗い気持ちにもならず涙も流さなかった。 安らかに眠っているようなおじいちゃんの顔を見て隣で号泣する姉。 姉はおじいちゃん子だった。 それにもらい泣きするなんてこともなく、 おじいちゃんは焼かれてお骨になった。 全
私は人との関係を築いていくのが下手だ。 誰とも長続きしない。 誰とも長続きしないのだからこれが 自分自身のせいである事はわかっている。 わかっているが自覚はできていないかもしれない。 根本私は周りの人間が好きだ。 人の事が嫌いだと思っていた時期もあったが 好きだ。誰とでも仲良くなりたいと思う。 でも、人に合わせる行為が苦手だ。 そして何と言ってもでしゃばりだ。 私はみんなの中心にいる! と勘違いしてる時もあったが 私は浮いていただけだと気づいた。 私だけが浮いていて みんな