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「美人」になれなかった全ての私へ

今日は自慢でも卑下でもなく、おもっていることを、書いてみたいと思うのです。
何のヒントでもソリューションでもないかもしれないけど、大切な気付きだなと思ったこと。
私の容姿のこと。外見のこと。

こういう話ってすごくセンシティブで、一旦自分を落とすことが美徳の日本文化で育った身としてはものすごく、素直に話しづらい!
でもこの間、スイスイさんのcakes記事を読んで、今絶対この話と向き合わないとまずい!
タイミング来てる!って感じたから、ちょう勇気を出して書いてみたいなーって。

因みに記事は、こちら↓

この記事の後半を読んでいて「うっ…!」となる箇所が2箇所あった。
「遅咲き美人」の箇所と「誰の言葉に仕返ししたいのだろう?」の前後。

うっ!てなったのはつまり思い当たるフシがありまくったからなのだけど、
誤解をおそれずに客観的情報をそのまま書くと、私は(遅咲き)美人である、ということになるみたい。
遅咲きにカッコを付けたのは、周りの言動を集約するとどうもここ数年、美人扱いされることが増えたようだと認識しているから。

で、過去から振り返ってみようと思うのです。

子供の頃にモテた記憶はないし、さして容姿についていい思いもしていなければ外見がイジメの対象になることもなかった。
高校までスクールカーストはだいたいいつも中間くらいで、特に容姿について興味関心を買う対象ではなかったはず。
(小学校~高校まではカースト上位なら可愛くなくてもモテたしカースト上位は可愛いというレッテルが少なからずあったよね?)

大学で東京に出てからも派手な恰好や生活はしていなくて、特に目立つ学生ではなかったので、
やっぱり容姿について特段人から言及されることも殆どなかったように思っているよ。
(大学生になるとカーストというより本人が所属しているカテゴリによって容姿にフィルタがかかっているかなと、思う)

じゃあ社会人になってからは?というと
会社の飲み会でありがちな、男性陣による「どうしても社員の中から結婚しなきゃいけないとしたら誰?」ランキングてきなものに名前があがることは一切なかったし
会社を離れた場所でも記憶に残るほど可愛いとかきれいだとか言われたことは飲み屋のカウンター以外ほとんどないと思う。
(女の子同士のそういうのの場合は95%くらい挨拶代わりだと思ってるからカウントに入れていないのもあるかも)

自分てきに、ごく小さい頃から自分の容姿を褒める発言は全てお世辞として片づけてきたし、
お世辞じゃなかったとしても容姿で得をしたこともないから、そんなに私の自己評価は外れていないんじゃないかなーと思うのね。

状況が変わったのはここ数年で、体感20倍くらい、美人扱いされることが増えたの。
だからといって飛びぬけて美人っていう扱いではなくて、「さらちゃんは美人」というカテゴリに入れられているような感じが、している。
好みか好みじゃないかは置いといて、区分けするなら美人の部類だよね?みたいな。

いつ、何が変わったのか、私には全然わからないのに、周りが急に変わってきていて、戸惑っている。
美人だよね?美人だから。美人じゃないですか。って、言われるたびにものすごく心がザワザワする。

これ、例えちやほやされてなくても、めちゃくちゃ私てきに居心地が悪いのです。
だって生まれてこのかた30年くらいの自分に対する周りの評価と、今現在自分が置かれている場所が、全然違うから。
所属先が会社員から自営業になったくらいには、ちがう。(自営業したことないけど)
違いすぎて、はぁ!?みんなして私のことバカにして遊んでるの?うそつき!みたいな気持ちになるの。
ビジン?ナニソレ?オイシイノ??

でも、スイスイさんの記事を読み進めてめちゃくちゃ「うっ…!」としたのは
無理やり容姿を変えるような特別な何かを、私も特にしてこなかったということ。
目が小さいからアイラインちゃんと入れるとか、釣り目だからたれ目っぽくシャドウを入れるとか、面長を強調しない髪型にするとか、
そのくらいかなぁ。
根気がないからダイエットも一所懸命したこと、ないし。

あれ?私、自分の外見にコンプレックスたくさん持ってるのに、
それを本気で変えるような行動って特にしてこなかった…それって実は現状に問題を感じてないってこと?それとも諦めてるから…?

で、更に記事を読み進めて「あーーーーー!これ!!」ってなったのね。
呪い仕返し。これだ!

子供の頃に親や親戚、知らない大人たちに言われた言葉を今も抱えたままだったことに、これら↑の文字を見た時に正面から向き合った感じがした。
「生まれた時は一重だったから全然可愛くなくて」
「さらはどこそこのじいちゃんと同じで顔が長いな」
みたいな、特に傷つける意図もない、向こうからすると些細な、言葉。
見た目の特徴が私と真逆の幼馴染と比較する言葉とかも、繊細だった子供心に、自分を卑下するように刺さっていたなぁって。

でも私、繊細な割に気も強いから、この謎の呪いに対して
絶対!生身の私のままで!闘い抜いてやる!で、絶対勝つ!!!!!(勝利が何かはわからんけど!)
みたいな心持ちが、ずっと芯のところに刺さったままあるのを、見つけてしまった。(あーびっくりした)

だから、私のままで、自分の思考や嗜好を洗練させることで、自分 vs. 呪いの言葉(結局これも自分)の終わりのない闘いを
今もずっとしているんだなーこれ、って思い当たったのね。
美人になれないままで、可愛くないままで、それでも私は私を満足させられる何かになって、お前らの言葉とは関係ないところで生きてやる!
みたいな。

だけどどこまで行っても絶対に「完璧」は存在しないから、この呪いを持ったまま生きてもゴールがないんだよね。(悲)
それは、自分を成長させたい原動力の一部にはなってくれるかもしれないけど
同時に自分を肯定する力を著しく下げる要因にもなってしまうんだよね。
だって、勝利が何かわからないし、完璧がない以上達成もできないから。
過程が不透明&ゴールに辿り着けないのに、私が私を肯定してあげるポイントが見つかるわけがない…!

なので。
私は私に明確な課題を出してあげればいい。そういうこと。
やりたい事は基本的にやっているから、その点についての自分は肯定できているはず。
外見や、呪いのレッテルについて、自分をそこから引き上げられる小さな課題を、ひとつひとつ設定してクリアする習慣をつくろう。
と、まずは決めてみた(*´ー`*)

そして今日この話を書いてみて、読み返して、これでもまだ素直じゃないしコンプレックスにまみれているし価値観がニュートラルじゃないなーと、
あらためてよくわかったよ。
素直になりきれない私を抱えながら、まだ考えて進んでいく必要が、私にはある。
それをnoteなんかで外に出していく過程も含めて、私がやったらいいことなんだと、思います。

#note #コラム #レッテル #自己肯定感 #容姿

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!