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自分を知ると世界が平和になる理由

前回のnoteを書きながら考えていたこと。
私が私のことを知れば知っただけ、世界が平和になっていく。

この半年、自分が悩んで苦しんで生きづらさを掘り返しながら #note に書いてきたことは全部、
結局世界についての話はイコール私自身の話だったんだなぁってことだったように思う。
私が自分の見ている世界をどう定義づけてどう解釈してるか
自分のことをどう「決めて」いるかに、幸せ感や自己肯定感なんかが左右される。

私が私のことを受容して、認めて、アップデートしていくと、世界は私を拒否なんかしてないことに気付いてしまう。
だって、私が知っているのは私が見えて認識して定義づけている、私視点の世界だけだから。
人の数だけある「世界」の認識が、私に主体的に働きかけることは、ありえない。
だって「世界」は、実体がありそうで、本当はないものだから。
そのことに気付いた瞬間、今まで恨んで憎んでバカにしてきた全ての物事は、私の手からこぼれ落ちていく。

拒否して憎んで悲しんでいたのは、私。
ということは世界は、私の話。

もう少し言い方を変えると
私が私のことを知ってる≒世界平和がやってくる
かも知れないなぁって。

風が吹けば桶屋が儲かる的な感じに見えるかもしれないけど
風→土埃→盲目→三味線→猫減少→鼠増加→桶かじる→桶屋 の図よりは相当簡単にできてるよ☆

自分が何が好きかを知ってる=誰かの好き嫌いに左右されない
自分がやりたいことを知ってる=誰かのやってることと比べる必要がない
自分の決められる範疇を知ってる=相手(の決定権)を尊重できる
自分の大切にしたいことを知ってる=建設的な関係を作れる人たちとだけ一緒にいられる

風が吹けば〜の話は転がり転がって運に左右される縦型構造だけど
私と世界平和の関係は、知った分だけ平和のバリエーションが増えるHUB型構造だと思う。
どこかが途切れたらうまくいかない構造ではなく、
どこをスタートにしてどこに繋がっても色んな角度から良さが集約されていく。
めっちゃ汎用性高いじゃん…!

私のことを知らないとどうしても相手や誰かに、決定権を明け渡すことになtちゃうっていうのは、
誰かがいいと言ったものを好きなふりをしたり
誰かがやってることを自分はやらずに羨ましがるだけだったり
相手の気持ちをコントロールしようとして失敗したり
自分の意思を捨てて誰かのいいなりになったり etc...していると、
つまりは自分不在の世界に生きることになるっていうこと。
それは、私はここにいるよ!どうして誰も気付いてくれないの!の構図になるから、
誰かに肯定を求め続けて最終的に自己否定が進むんだよね。

だから、あの人が悪いんだ、この構造がダメだから、周りのせいでうまくいかない、みたいな
誰かのせいにしたり、誰かに責任を求める構図がもし自分の中にあったら
視点を自分自身に向けるチャンス到来だよ☆
決して自分を責めるためではなくて、自分の気持ちを認めるために
認めてそこからもっと主体的に自由になるために、その気付きを有効活用できる。

ひとつ気づいてやめていくごとに、自分への優しさが増していく
→自分を大切にできてるから周りを尊重できる
→周りを尊重すると周りが勝手に周りを大切にしてくれる

このバリエーションが増えればどうやったって世界は平和にならざるを得ないよね。
ということは、私のことを知る活動、最強なのでは…!?

#コラム #自己肯定感 #自己受容 #生きづらい

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!