優しさの皮をかぶった依存
ひとへの優しさと依存をごっちゃにしないために、知っておきたいことがあります。
依存を優しさだと信じてしまうと、どんどん自分が苦しく、生きづらくなってしまうから。
私もかつて、そういうひとりだったから。
ひとへの依存度が高い人の特徴はこういう感じです。
・協調性が高い
・自己犠牲の精神が強い
・共感力が高い
どうですか?いい人、やさしい人に思えるんじゃないでしょうか。
ですが
・相手の気持ちを大切にするけど、自分が嫌なことや損なことも受け入れがち
・ワガママを通したり無自覚に搾取したりする人にも、つくそうとする
・相手の気持ちを自分の気持ちだと思い込むことで、認められたい
という場合が多くひそんでいます。
やさしい自分でいたくて実際は依存度が高い、という人は
「誰かがいないと生きていけない・価値がない」という思いが心の底に強くあるはずです。
もちろんひとは1人では生きていけませんし、コミュニティがあるから安心して幸せな日々が送れます。
ですが、
・あなたが心底望んでいないことを求めてくる人と一緒にいるのは幸せでしょうか?
・その人は、私に依存されていることに依存してるんじゃないでしょうか?
・自分で見つけた自分の価値より、誰かが決めた価値が大切でしょうか?
・永久にひとに価値を認めてもらいつづけるなんてこと、実現可能でしょうか?
と考えてみて思うことは、
相手に支えてもらうよりまず、自分で立つことの方が先かも?ということです。
優しさの皮をかぶった依存は、本当は自分が決めたいこと・決められることを相手におまかせし、気づかいや心づかいのふりをしています。
ふりを続けるとどうなるか。
「自分が決められる」という意思の力や、自分への信頼のゲージをすり減らしていきます。
結果、
自分に自信を持てず、
頼られることと引き換えにいやなことを引き受け、
甘やかすことで実際は相手を縛り、
人の心を察する力が高まるにつれ自分の気持ちを忘れ、
心の底で理不尽に怒りながら表面には出せず、
相手は何も気づかないまま都合のいい時だけの仲良しを続ける
とうことになっていくわけです。
生きやすいはずが、ない。
極端な例に思うかもしれませんが、ちょっとしたお世辞や忖度、本心じゃない同意なんかに、この傾向が潜んでいないと、言えるでしょうか?
傍若無人ではよい人間関係はつくれませんが、自立した優しさと依存による自己否定は、ぜったいに、別のものです。
必要ならばNOを言える関係が、お互いのためにYESではないかなーと、思うのです(◍′◡‵◍)
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!