寂しさとは何か
15年来の友人に恋人ができた。
彼には長らくお相手がいなかったので、めでたいね、なんて話をしながら久しぶりに会う大学時代の友人たちと飲んでいた。
彼らカップルはコロナ禍の最中にオンラインの語学コースをきっかけに出会い、順調に愛を育み、今は晴れて同棲中。そんな馴れ初め話を聞いている時に、一人が彼にこう聞いた。
「初めから恋愛的にいいなと思って声をかけたの?」
それに対して彼はこう答えた。
「まぁそうですね、そろそろ友人たちが皆結婚して寂しかったですし、恋人が欲しいなぁと思ってました。」
その回答に、目が点になる私。
『寂しい』???
思わずこう言ってしまった。
「寂しいとか、思うんだね」
すると隣に座っていた教授(我々の大学時代の語学の先生)に「そりゃみんな思うでしょ、仙人じゃないんだから」と言われ、皆が笑った。
皆が笑う中で、私は一人、不思議な気持ちでいた。
寂しいって、何だろう。寂しいから恋人が欲しいってどういうこと?
そして私は気がついた。自分が「寂しい」という感情を抱いたことがないことに。
例えば恋人や友人としばらく会えない時、「会いたいな」と思う。より正確に言えば、英語で言うところの"miss"(ドイツ語では"vermissen")の感情、すなわち「恋しい」と感じたことはある。しかしながらそれは「寂しい」とは違う。
一人でいることを寂しいと思い、誰かが横にいたらいいのに、と思ったことはない。むしろ、隣に人がいるにも関わらず、気持ちが通じ合わない時の感情を私は知っている。それは「寂しい」に限りなく近いようで、異なる感情である。「虚しい」。そしてそれこそが、私にとっては最悪の感情である。
もう2度と、あの気持ちを感じたくない。そう思えばこそ、私は誰かが隣にいないことを「寂しい」とは思わないのかもしれない。もちろん、自分の愛情を向けられる人が横にいたら素敵だろうな、とは思うものの、現時点でいないのだから、仕方ない。それを寂しいと感じたことは、ない。
そんな話を、行きつけのお寿司屋さんでポロッと大将にこぼしてしまった。返ってきたのは「寂しさには色んな種類があるんだよ」と言う言葉だった。なるほどと思うような、思わないような。
私の趣味の一つに登山がある。
登山仲間と行く登山ももちろん好きだが、関東近郊の低山であれば一人で行く方が好きだ。先日も丹沢山に一人で登ってきたのだが、しみじみ、山の何が好きかと言われると「一人になれること」だと思う。
当然、人が多いコースは好きではない。人が多いシーズンも好きではない。あまり人がいないコースで、完全に一人になって、静かに山を登るのが好きだ。聞こえるのは自分の呼吸の音と、木々のざわめきだけ。
よくよく考えてみれば、一人で暮らしているにも関わらず「一人になりたい」と思っているのはやはり少し変なのかもしれない。しかしながら、都心では完全な意味で孤独を感じることは難しい。一人で家にいたとしても、電車の音、人の声、行き交う車の音などから、人の存在を感じる。
その点、山はいい。同じコースに他の人がいなければ、本当に静かで、自分一人と自然しか感じられない。その時、私は本当に自由になれる。そこに寂しさは当然存在しない。
或いは、私が寂しさを感じないのは、単に性格の問題かもしれない。
MBTI診断は何度やってもINTJになる。
色んな種類の寂しさを、私はこれからどのように感じ、そしてどの寂しさを避けようとするのだろうか。まだ答えは見えない。春の味に舌鼓を打ちながら、自分のこれからを思う。
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