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家族の理由3

以前とても面白い記事を読んだ。

NASAでは、宇宙飛行士がミッションに参加している間に家族が受けられるサポートがある。そして、これを受けられる「家族の範囲」は明確に定義されており、「直系家族(immediate family)」と呼ばれる。

シャトルの打ち上げを特別室から見学できるのも、宇宙飛行士に何かが起きたときに連絡が入るのも、この「直系家族」だけのようだ。では「直系家族」に誰が入るかというと、それは配偶者と子供だけ、なのだそう。

ここが日本でいう「一親等」と大きく違う。
日本の「一親等」は本人と前後1世代にある血縁関係を指す。
すなわち、父母と子供である。そして配偶者は一親等には入らない。

もちろん配偶者が蔑ろにされているという意味ではなく、日本の法律でも例えば財産分与の割合を考えればわかるように、配偶者は「特別な地位」を獲得している。

それでも、家族の定義を考える際の基準が血縁関係にあるのが日本もしくはアジアの家族観の特徴と言っていいだろう。

それに対して、NASAの家族の捉え方はあくまで「夫婦」が基盤である。
血縁関係ではなく、夫婦が作り出すものが「家族」なのだ。

こうして考えると、欧米社会の方がアジアよりも「養子」に積極的な理由も何となくわかってくる。家族の基盤が血縁ではなく、夫婦が作り出す絆であるとすれば、子供との血縁関係も大きく問題にはならない。宗教的な影響も大きいのだろうが、こうした事情が渾然一体となって家族観を形成しているのだろう。

逆に血縁関係を重視する社会では、「家族」の中で唯一夫婦だけが血の繋がりがない。故に、法的保証が必要となる。事実婚が歓迎されないのは、この辺りにも関係がありそうだ。

そして、親の介護問題が出てくるのも血縁を重視すればこそである。
血縁関係にある者が困っていれば、助けるのが当然、と考える。
逆に欧米では、親の介護のために親と同居するというアイディアはあまり理解されない。もちろん、こうした家族観に合わせて社会制度が形成されてきた事実も関係しているだろう。


8月末に、父が退院した。
7月初旬に入院してから1ヶ月半以上入院していたので、久しぶりの再会となった。

母を中心に私以外の家族は頻繁に病院に行っていたが、私は犬の面倒を見るために基本的に家にいた。今や犬も24時間目を離せないので、このためだけにも私が実家に帰ってきていてよかった、と思う日々であった。

もう積極的な治療はしないと決めて、緩和ケア病棟に移動したことによって、父は一時退院ができるようになった。一般病棟では、一度退院してしまうと次に戻れる保証はない。緩和ケア病棟だからこそ、一時退院が可能になる。何かあれば戻れる、という保証は、末期がん患者にはありがたい。

そんなわけで、おそらく人生最後の父との暮らしが始まった。
いつまで続くのかはわからない。
そして今回「一緒に暮らす父」は、以前までの父とはもう異なる。
彼は下半身不随の、車椅子に乗る人間となった。

骨転移がわかった後の手術は、結果としてあまり意味がなかった。
現在父は足を動かすことができず、動くためには車椅子が必須。
そしてお手洗いに行く時など、時折歩行器を利用する。
この状態なので、当然「要介護」が認定されている。

週に二度リハビリのためにスタッフが来て、週に一度医者と看護師、更に週に一度介護士がくる。要介護で支援が受けられるのはありがたいが、彼らがいない時間の方が圧倒的に長い。当然それ以外の時間は、家族が父の世話をすることになる。私もできる範囲で家事をしたり、犬の世話をしている。

一方で、父の世話は母が中心となる。


なぜお前が父親の世話をしないんだ、と思われる方もいるだろう。
これがなんというか・・・気まずいのだ。
もちろん、父が車椅子から移動しようとして転倒してしまって、起こさなきゃいけない時などは私にヘルプが要請される。

だけど、普段の入浴介助やトイレの介助は、基本的に母がやる。
なんとなく、暗黙の了解で、そういうことになっている。

ここら辺が、夫婦の不思議なところだなぁと思う。
家族内で唯一血がつながらない相手。
でも、家族内で最も長く互いを知る相手。

もちろん私も子供ではないので、夫婦が結婚したら「自動的に」絆ができるわけではないことはわかっている。
結婚は所詮法的繋がりにすぎない。

そこから精神的繋がりを感じられるようになるために、互いの努力も必要だし、思いやりも必要だし、時には苦しいこともあるのだろう。

でもそこを超えた先に、血では超えられない繋がりができることがある。
子にも、親にもわからない、繋がり。

父は私や兄や姉が彼を手伝うと、「申し訳ない」「情けない」という。
その気持ちもわかる。なんでもできる人だったし、きっちりしている人だったから、本気でそう思っているのだろう。

そんな父が唯一、母にだけは、「申し訳ない」とは言わない。
夫婦の繋がりは「許しあい」に近い。

私にもいつかそういう人が現れるのだろうか・・・
家族の基盤が夫婦だとしたら、夫婦にならない人間は何になるのかしら、とぼんやり考える。

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