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「大変」で「かわいそう」な私たち

「かわいそう。」
そう言われて、思わず言い返してしまった。
「私はかわいそうじゃない。」



この3月から実家に帰っている。理由は色々あるけれど、少なくない比重を占めていたのは、父親と犬がいっぺんに倒れたことだった。

歩けなくなって要介護状態になった犬と、ステージ4の肝臓がんを抱えた父。間の悪いことに、母は産休に入るスタッフの代わりに、期間限定で以前の職場に戻る約束をしたところだった。仕事と犬と父の世話を母が一手に引き受けたら、早晩家庭が回らなくなるだろうことは想像がついた。

兄と姉には家族がおり、すぐに駆けつけられる距離には住んでいない。
一番身軽な私が動くのが筋が良いだろう、と判断したことは、今でも間違っていなかったと思っている。

そしてそれを、誰に頼まれるでもなく、「自分で決めた」ことが、何より正しかったと思う。



私が越してきてすぐに、父の第二クールの治療が始まった。
残念ながら第一クールの治療は効果がなかったので、違う薬を用いての治療となった。今度のは効いている気がする、と先生に言われ、我々家族も胸を撫で下ろしていた。

しかし第二クールの結果は予想より悪いものだった。
確かに肝臓の腫瘍自体は小さくなっている。しかし、他の部位への転移を止めることはできず、骨転移も見られる、というのが先生からの所見だった。

第三クールで更に新しい治療に移りましょう。併せて放射線治療も始めましょう。と言われ、また気持ちを新たにしていた矢先のことだった。

仕事に行った父から連絡があり、調子が悪いと言う。
そもそもがん治療が始まった段階で仕事はやめたらと散々言ったのだけど、私たちの言うことを聞くようなタマではない。幸い、第一クール・第二クールと副反応がそれほどひどくなかったこともあって、周囲には病気のことを言わずに仕事を続けられてきた。

しかしその日帰ってきた父は、これまでに見たことのない姿だった。
足を引きずり、うまく歩けないという。
骨転移が何らかの影響をもたらしていることは明らかだった。

翌日になっても調子は上がらず、杖をつかないと歩けない。
無理に歩こうとすると転んでしまう。
これは流石にまずいだろうと、母が病院に電話したのが先週の日曜のこと。

看護師さんは、休日なのでとりあえず先生に連絡しておきます、と言った。たまたまその次の日に父は病院に行く予定だったので、その日は皆そのまま寝た。

月曜日、私は通常通り仕事に出かけた。
仕事場にいると、母から連絡があった。
「緊急入院になりました。」

その可能性もあるだろうなと思っていたので、「了解」と返信した。
私も早く帰って、犬の面倒を見なければならない。午後は在宅勤務にした。



母が帰ってきたのは夜遅くのことだった。
そして帰ってくるなり、「転院になるかもしれない」と言った。
骨転移が思った以上に進行していて、まずはそれを手術で止める必要があること。入院した病院(がんセンター)ではその手術はやっていないので、他の病院に移る必要があること。手術の後に、またがんセンターに戻って第三クールの肝臓がんと骨がんの治療をスタートしなければならないこと。

矢継ぎ早に母が説明し、手術の同意書・資料を見て、その週の予定を立てた。
火曜日は私は大学で講義があるので、どうしても休むわけにはいかない。
水曜日は在宅勤務にできるので、母が病院に行く。もしかしたらこの日に転院になるかも、と言われている、と母。じゃあ家のことは私がやるね、と私。

火曜日をなんとか終え、迎えた水曜日。
病院にいる母から時折連絡が入る。
「やはり、緊急搬送になりました」
「病院につきました」
「今検査待ちです」
「明日手術になりました」

こうして、土曜発症、月曜入院、水曜転院、木曜手術、となった。
骨転移は入院してからもどんどん進んでいたらしい。
家でぼんやり犬の面倒を見ていると、モロッコ人の友人から連絡があった。

「今日は調子どう?」と聞かれたので、ことの顛末を話した。
するとすぐに彼から電話がかかってきた。
「無力感を感じているんでしょ?わかるよ。でも、歩けるか歩けないかは、究極的には大きな問題じゃないんだよ。どれだけ精神的な繋がりをお父さんと持てるかだよ。大丈夫、君のような娘がいて、彼は幸せだと思うよ。」
そう言われて、私は初めて涙を流した。

ジタバタしても状況が変わらないことはわかっている。
やらなきゃいけないこともたくさんある。
でも、思ったより、ショックだったんだなぁ。
そしてまさに、何もできないことが悲しいのだなぁ。
私は私の気持ちをまっすぐに抱きしめた。



木曜日、再び母は病院に向かった。私は仕事を休むことにした。
今や同僚となった(!)ドイツ人の友人にもこの状況は報告してあった。

そろそろ手術が終わる時間になっても、母からなんの連絡もこない。
ヤキモキしていても仕方ないので、彼に電話していいかと聞いたら、もちろん、と返答があった。「何か話したいことがあるの?」と聞かれ、「ううん、ただ楽しいことを話したいの。」と私は答えた。
小一時間ほど、くだらない話をして笑い合った。

なんとなくスッキリした気持ちで電話を切ると、ちょうど母から連絡が入った。手術は無事、終わったとのことだった。骨転移は予想よりも更に進んでしまってはいたけれど。
「あとはリハビリ次第だね。お母さんもお疲れ様。」と返信した。

どっと疲れが出て、でも、ようやく眠れる気がした。
土曜日から、寝ている間にも中途覚醒を繰り返し、ろくに眠れていなかった。

家庭の状況を初めてドイツ人の彼に話した時に、彼は「かわいそう。」と言った。
私はそれを聞いて、「その言葉には注意が必要だよ」と答えた。
かわいそう、という言葉は、ある種の侮蔑にもなりうること。あまり仲が良くない人には使わない方が無難。あるいは、「大したことがない」状況なら、逆に使えるかもしれない。でも、本当に深刻なことで誰かが苦しんでいたら、その言葉は使わないほうがいい。そして、「私はかわいそうじゃない。」と言った。

「じゃあなんて言えばいいの?」
「うーん、そうだね・・・例えば私の友達が今の私の状況だったら、『大変だね』って言うかな。」
「えーそれも『大変』?!日本人はそれしか言わない。雨が降っても大変、電車が止まっても大変・・・大変よりもっと『大変』な言葉はないの??」
「大変だね、頑張ってるね、で十分気持ちは伝わるよ。むしろかわいそうだねって言われたら、馬鹿にされてるのかと思うよ。」
「そうなんだー・・・」

そんな会話を繰り広げたのは3ヶ月前のこと。
月曜日ぶりに金曜日に会ったら、彼は「大変だったね」と言ってくれた。

確かに、大変な一週間だった。
だけど、幸せな一週間でもあった。
自分を支えてくれる人がいること。
自分ですらわからなくなっている感情を紐解ける人がいること。
そしてその感情をただ認めてあげればいいこと。
3ヶ月前、半年前には、全くわからなかった境地がある。

週末には、兄と姉家族も来てくれて、みんなで協力しながら過ごすことができた。おかげで私と母は予定通り姪っ子のバレエの発表会を見に行くことができ、その成長ぶりに目を細めた。

すっかり野球少年になった甥1号も、やんちゃ盛りの甥2号も、元気そうだ。生後4ヶ月の甥3号はニコニコ笑っていつもご機嫌。

過ぎ去る季節も、過ぎゆく命も、どれも自然の摂理だ。
ただ、この瞬間、人の優しさが私を癒してくれる。
やはり、私はかわいそうなんかじゃない。

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