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(初)大阪探訪記 7/10〜12
7/10
準備が全く捗らず、前日1時間の睡眠で昼行バスに乗る。しかし愛知のディストピア的風景に心打たれ、長い移動の車中でも1時間ほどしか寝れない。
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難波の激安ドミトリーに到着しひとまずビールを飲んでいると、友人(マシ)から電話がかかってくる。その押しの強い口調に負け、あるいは初日の高揚感からか、来て早々に片道1時間かけ京都・河原町へと向かう。
チェーン店こそ素晴らしい、というのはお互い言うまでもなく以心伝心、鳥貴族へと吸い込まれた。
寝不足にメガ金麦は危険な兆候と察し、水1リットルとポカリ1リットルを腹に流し込み安らかに眠った。
7/11
午前
大阪では完全に「お上りさん」状態なので、外国人観光客に着いて行き、グリコを真顔で見つめる。
午後
突然連絡があり、妹の友人が偶然にも大阪で展示をやっているらしいとのこと。近かったのでたこ焼きとビールを流し込み向かう。
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数年ぶりの再会をまさか関西で果たすとは思わず、またその話口調のあまりの面白さ(河童になりたくて髪色を緑にしたetc…)から、三、四時間ほどギャラリーでダラダラと過ごした。
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良い本棚は常に人を引き留める。
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まるで家かのように心地の良いギャラリーを出ると、昨日飲んだばかりの友人からまた電話があり、飲みの誘い。当然行く。
大阪駅(梅田?)の地下街の立ち飲み屋。安くて素晴らしい。前日よりさらに酔っ払い、宿に着いても焼酎 を流し込んでしまう。
パジャマのズボン用に買ったゴム紐が一向に通せないまま寝る。
7/12
午前
ほんの少しの二日酔いと気圧による派手目な頭痛のもと、恵美須町のドミトリーへ移動。
チェックインの時間まで荷物を置かせてもらおうとするも、扉が開かない。仕方なく電話すると、外国人の声で「インターホンありますよ」と半笑いで返答される。しかしいくら見渡しても見つからない。
やがてスタッフが降りてきて、
「ごめんなさい。インターホン取り外してました。」
この瞬間に「安宿はこうでなくちゃ」という妙な安心感と親近感を覚えた。ここは落ち着く宿だろうな、あいにく一泊だけど。
午後
新世界を見物。コロッケとミンチカツにタバコ。即、胃もたれ。
観光地を離れ、しばらく歩いていると「千日前ってこっちよね?」とおっちゃんに尋ねられる。
「いや、あの・・・」
[何もかもがわかりません] と返答しようとする間もなく、
「あ、外国人やんな。ごめんな。」
と言い、おっちゃんは過ぎ去っていった。
雨が強まり、散歩もしんどくなってくる。すると目の前に「御自由にお入りください」という看板。
お寺関係の何かの施設に入る。
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ちょっと一息着くには凄すぎる場所。息を呑む。
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気づけば涙していた。何か吸い込まれるような感覚。東京で遊び呆けていたときを思い出し、あるいは人を褒め、同時に貶したことを思い出す。
「ああ、今までの自分の行いは、全て今日のためにあったんだ。」
そんなインスタントな悟りを得る。
「一心寺 三千佛堂」というのがこの施設の名前だった。
後に調べたところ、
「この寺には翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いで最前線に立ち討ち死にした本多忠朝の墓所があるが、彼は酒を飲んでいたため冬の陣で敗退し家康に叱責され、見返そうと夏の陣で奮戦したが討ち死にし、死の間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれることから「酒封じの神」とされるようになった[1]。今でも墓所には禁酒を誓う人がよく詣でている。」
(wikipedia より)
だそう。
なるほど。どうりで身に迫るものがあるわけだ。
「酒封じの神」
この日はしっかり夜まで禁酒した。
雨の中の仏に強く惹かれ、数日後に自分が高野山に行くことが何か必然性を帯びているような、あらかじめ決まっていたかのような、そんな心地よい錯覚に至った。
その前に明日は西成で宿を探さなければならない。どうなるだろうか。
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