見出し画像

【UWC体験記㉒】2年生の卒業ーそして1年生だけの1か月間

8月末スタートの年度ですが、卒業する2年生は5月頭のIBの最終試験をもって、私たち1年生は6月で年度終わりになります。よって自分たちはまだ学年終わりという感覚が無いうちに2年生との別れを意識し始めます。

日本での先輩の卒業というと部活などを除きそこまで大きな思い入れは無い気がするのですが、2学年しかいない学校、しかも田舎の自分たちしかいない環境で24時間共にしてきた2年生との別れは想像以上に大きいものです。

しかも世界中から集まってきたということは、もう一旦この場所を去ったら2度と会えない可能性も高い。特に仲良くなくても、寮の2年生などが去るのはどうしても寂しくなります。



2学年の最後の1週間

実は2年生の卒業式の2週間前から1週間、私たち1年生もFirst Year Examという初めての大きな試験が行われます。この試験は実はアメリカ大学出願の際には大学に出願する際の成績に含まれ、IBの最終試験よりも大事だったりします。

なのでこの試験が終わった最後の1週間、1年生は皆仲良かった2年生と可能な限り多くの時間を過ごそうとします。

私も積極的に仲の良い2年生の部屋に遊びに行ったり、一緒に近くの町まで片道40分歩いて散歩したり、寮の門限の後に一緒に抜け出して海辺で早朝まで語りあったりなど毎日とても時間を大切に過ごしていました。


過去の先輩からの代々の継承物

この時期にAC(私の学校)でよく行われるのが「パスダウン」というもの。日本語で言うとお下がり、でその名の通り2年生が所持していたものを1年生の誰かに引き渡します。

ただこれの特徴的なのが、多くのパスダウンが単純に2年生の私物という訳ではなく、過去の先輩たちから受け継がれてきたものであるということ。自分は名前も聞いたことのないいくつもの先輩たちの名前が書いてあることも。

これとは別に、最後の荷造りの時にスーツケースに入りきらなくなり無理やりパスダウンと言って不用品処分として1年生に渡すこともかなり多くあります(笑)。

私がもらった物のうち1つはデスクプリンター。24 Hour RaceとUWC Dayの主催、そしてAILEMなどで私の先生のような存在で最後には友達としてもとても仲良くなったLさんから。私の3つ上の先輩からのもので、毎年学校内で一番忙しそうな人に渡されるとか。ちなみにLさんの1個上はAILEMで仲良くなったXさんでした。

渡された当時は使用不可でしたが学校のIT担当の人に助けてもらいパソコンから印刷できるようになり、2年目は学校のプリンターが年中調子が悪い中大活躍しました。

プリンター

そしてもう1つLさんから渡されたのがWonder WomanのTシャツ。「IBと課外活動を両立させ、全てで結果を出す女性」へとこの先もパスダウンにしてほしいと。若干恥ずかしいのですが1年間部屋の壁に飾っておくことで弱気になった時にはとても勇気が出ました。

壁に飾ったTシャツ

そして大きめサイズのホワイトボードを東アジアNational Leaderの前任者であり、他にもいつも勉強面やふと不安になったことをよく相談していたJさんから。これも私の3つ上の先輩からのもので、ホワイトボードを活用しそうな人に渡されるそうです。

実はJさんはこの1年間ある程度仲の良い1年生ができてもあまり深い話をするような人はいなく、ボードのパスダウンはしないつもりだったそう。ですが最後の2,3か月で私とじっくり話をすることが増えて、「この人にならパスダウンしよう」と思ってくれたと言ってくれました。

結局私はあまり有効活用しませんでしたが、2年目に私の部屋に遊びに来た人やルームメイトたちのメモ書きや落書きの場所として使われていました(笑)。

1年間部屋の壁に固定していたボード

他には日本人パスダウンという立派なブレッドナイフや、ティーポット、国旗など。どんなものでもその2年生が自分を選んでくれたという事実が嬉しく、私の場合はそれに見合う人間にならないと、と気が引き締まります。


プロム・卒業式

海外の学校ではプロムがすごく豪華なイメージが多いかもしれませんが、ACでは簡単にFarewell Ceremonyと言って一部の1年生がパフォーマンスやスピーチをやる時間があり、そのあとは毎週末学校であるディスコとほぼ同じものが行われます。

一緒にプロムに行く「デート」というパートナーのようなものもいない人もかなり多く、付き合っている人がいるかはほぼ関係ありません。

そして卒業式。

基本的には卒業生約170名への証書授与がメインなのですが、その間に生徒のパフォーマンスやスピーチが入り、正直全く退屈はしません。しかも一人ずつ卒業生の名前が呼ばれるごとに1年生や保護者から大歓声が沸き起こり、日本の卒業式のように厳かな拍手や姿勢正しく座っていなきゃいけないということは一切ありません。

このように感動ムードでもなく楽しくワイワイという感じなのですが、同時に大きな違和感を感じ続けることになります。

スピーチなどで語られるACが、私たちが経験しているものとは違うものに思える。

校長や40年前の卒業生のスピーチではまあしょうがないか、と思うのですが驚いたのは卒業生代表スピーチの時。普段から仲も良い人で話すことも多かったのですがいつもACの愚痴の方がよく聞いていたような人。

なのですが、スピーチでは模範のようなACを賞賛する美しい言葉ばかりが出てきます。多様な生徒、授業以外での学び、使命感など、もちろん嘘ではありませんが表現の仕方が明らかに本人の経験ベースではなく、入学する前に皆が抱いていたACの「理想の姿」。

スピーチとしては素晴らしいのですが、うーんなんかなーと全然感情移入することができませんでした。

そして1年生代表のスピーチももちろん良いのですが、話している本人の普段を知っているから内容があまり入ってこない。2年生への思いを口にするときでも本人の心からの言葉に聞こえずあまり自分をなぞらえることができない。

卒業式でのスピーチがかなり気になってしまうのも、私は中2、中3と卒業式での送辞、答辞に任命され自分自身も試行錯誤した経験があります。

中二の時は主役ではないのである程度型にはめていきながらもどうやって本当に気持ちを伝えるかが難しかったところ。そして中3の時には最終的にコロナで卒業式は中止になってしまい、時間をかけて考えた答辞は学校通信の小さめの枠に要約版としてでしか載らなくなりました。

私が常に悩んでいたのは「私はこの言葉を言うのにふさわしい人間であるのか」ということ。特に答辞の時には私ごときが偉そうに聞こえないか不安で自分の今までの学校生活を見直していたものです。

そして今回の卒業式での生徒のスピーチは立候補制。私は自分なんかに代表が務まる訳はないと考えもしませんでした。

ですが、この時の卒業式ではっきりと思いました。

「来年の卒業式までに卒業生代表に自信を持って立候補できるほどの人になろう。そして本当に生徒が共感でき、感動し、何かを学び取れるようなスピーチがしたい!」

この心意気は2年生になってもずっと心に持ち続けていたものになりました。

2年生は全員この卒業式の日のうちに学校から退去しなければいけません。卒業式終了後夕方になると次々「もうすぐ出るよ!」という連絡が届き、その度に学校の出入り口まで見送りに行きます。最後の見送りは空港へ向かう大きな学校のバス。

何人もの1年生が泣いている中、私は涙は出ませんでしたがかなり感情的になる光景です。私たち1年生と多くの先生方でバスに手を振り2年生は全員去っていきました。


First Year Camp (1年生キャンプ)

そしてなんとその次の日の日曜日から始まったキャンプ。2年生がいなくなった悲しさを紛らわせようという先生たちの配慮らしいです(笑)。

そしてもちろん携帯もつながらないキャンプ上で2泊3日自然と他の1年生たちだけに囲まれて過ごすことになりました。

キャンプ場へ

みんなどちらかというと部屋で寝て過ごしたい、という雰囲気の中だったのでかなりイヤイヤでしたが着いてしまうとそんなこと言っていられません。学年をランダムに4つのグループに分けられ、その中でテントを張り、まずは皆で夕食作りを行います。

キャンプの内容自体はかなり緩いもので2日目などはアクティビティと言ってもバレーボールの超基礎練や子供用のおもちゃアーチェリー、川での水切りなど小学生のキャンプに適しているようなものばかり。

そして自由時間もとても多く、私たちは暇すぎて終始大きな共有テントでトランプやUNOをやり過ごします。

しかし2日目の午後からウェールズ恒例の雨がかなり振ってきてしまい、なんとか一瞬キャンプファイヤーをやったところで皆自分のテントに避難。そして夜も雨は振り続けテントの中にもかなり漏れてくる上、かなりの寒さに。

迎えた3日目はトレッキングを数時間して帰ります。学校に戻った時には皆シャワー、スマホ、電気などの文明を再度手に入れたことでとても幸せを感じ、本当に2年生がいないことの悲しみなどは誰も考えなくなっていました。

3日目のトレッキング

そして普段全く話したことの無かった人とも強制的にコミュニケーションを取る必要のあったお陰で少し学年としての一体感も生まれ、結果的には目的は達成したキャンプだと思っています。

ただ、この翌日通常授業に戻るとかなりの人が体調不良で欠席。というのも2日目の夜の雨で皆着替えることもできず学年のほとんどの生徒が見事に風邪を引きました。ちなみに私はなんともありませんでした(笑)。


Conference 争奪戦

私含めて4人いる東アジアリーダーたちの6月の大きな目標は、来年度のConferenceを獲得すること。

Conferenceの説明は以前書きましたが、簡単には、2日間1つのテーマに関して色んなイベントを通して学校全体が理解を深める公式行事。年間3つのConferenceがあり、その3つのテーマ決めの選考がこの時期に行われます。

毎年1つか2つのNational GroupがConferenceを主催するため、私たち東アジアグループはぜひ来年やりたいと考えていました。

まずはGoogle Formでの応募。この際にもしこのテーマが採用された際の主催者も提出するのですが、これは私たちNational Leaderの4人ともう1人Conference主催に以前から興味を示していたMさん。

このConferenceは実はかなり人気で、National Groupとしてではなくても何でも好きなテーマで主催に興味のある人を集めて応募することができます。12個あるNational Groupの中でも半分以上が応募したそう。

1つ上の代のリーダーたちも応募したが落選したそうで、先輩たちの思いも背負っての応募となり、Google Formへも書きすぎというぐらい綿密な計画、そして応募動機を記入します。

そしてひとまず通過。このConferenceは、事前に選考があった生徒たちの選考委員と担当教員1人により審査されます。なので生徒伝えでこの段階である情報が入ります。

「今年はなるべくNational GroupによるConferenceは選びたくないらしい。今までに無いようなオリジナリティがあるものがあったとしても選ばれて1つだけ。」

そしてプレゼンでの最終選考に残った5つのConferenceのうち、3つはNational Groupによるもの。大ピンチです。

しかもそのうち一つは東ヨーロッパNational Group。ロシア・ウクライナの件を全面的にアピールして獲得を狙っていると聞き、選考委員もかなり傾いていると聞き焦ります。

そこから数日間、毎日会ってプレゼンの内容を完璧にしていきます。今までのConferenceの定型を覆すような新しいアイデアをいくつもいれ、スケジュールや実現可能性もきちんと検討し、15分間のプレゼンの原稿を一言一句考え、全員が暗記して完璧になるまで何回も練習。

本物の東アジアのイベントを再現することを提案

本番のプレゼンの前日、東アジアの他の人たちにも来てもらってリハーサルを。National Group全体としてのこのConference獲得への期待の高さが感じられ、とても身が引き締まります。

そして当日。メンバーほぼ全員が完璧主義でこれへの思い入れが強すぎる。あそこまでの「絶対にミスってはいけない」というプレッシャーを感じたのはUWCに来てから初めてでした。

そんな中、プレゼン自体は本当に完璧にいきました。選考委員、担当教員の反応も良く、手ごたえあり。

そして数日後、昼食時に発表。「アート」、「信仰」、そして私たちの「東アジア」の3つのテーマが選ばれました!

ACではあまりにも多くのことが同時に色んなところで起こっているし、それぞれの人の価値観も違うので日本の学校のような「競争」はあまり起こりにくい。そんな中ほぼ初めて経験した真向の競争に勝って獲得したConference。

絶対に最高のものにしてやろう、とメンバー同士で喜びを分かち合いました。

実際にその後開催したPhoenix Conferenceについては以下から↓

6月は他にもNatinal Group対抗のパフォーマンス大会など、様々なイベントがあり2年生がいなくなったからと言って暇にはなりません。そしてやっと1年間が終わり、待ちに待った夏休みがやってきました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?