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【UWC体験記㉟】卒業ー2年間で私は変わったのか

長く書いてきたUWC体験記も今回が最後になります。


今年に入り自分の卒業式が近付くのを感じるにつれて、昨年参列した卒業式から1年間、ずっと忘れていなかったことを思い出します。

それは昨年の卒業式での生徒代表スピーチを聞いて強く感じた、「自分の卒業式までに卒業生代表に自信を持って立候補できるほどの人になろう。そして本当に生徒が共感でき、感動し、何かを学び取れるようなスピーチがしたい!」ということでした。

代表スピーチにチャレンジ

あの頃からこの1年間私がしたことを振り返ると、自分のあの時思い描いた理想を超えるようなことをいくつも達成することができ、自分が卒業生を代表する、ということには何も抵抗はなくなっていました。そしてもちろん、あの時のスピーチへの意欲も変わらぬまま。

なので卒業式の何か月も前から自分がやりたいスピーチを考え始めます。私がスピーチを行いたい理由は以下の通り。

1.UWCの本当の価値を伝えたい
UWC には多くの生徒がまるでユートピアのような大きな理想を持って入学するため少しでも残念なことがあれば「こんなことを求めてきたんじゃない」と、モチベーションを失ってしまうことも多い。一方で、元々UWCで経験するとは予想していなかった厳しいことや残念な経験も全てものすごく貴重であることは事実なので、それを強調したいと思いました。

2.去年の私のような1年生を勇気づけたい
1年目の頃、自分の大人しめな性格のせいでACでは発言力がないと感じ、それでも自分を変えることはできずイライラしたことが何度も。今では、社交性がなくても、私のようにこつこつと色んなことにチャレンジし続ければ、他の生徒からの信頼や発言力を確立することが出来た。私と似た性格の1年生たちが、同じ理由でいろんな活動に参加していく意欲を削がれてしまわないように、私のような「人気者」とは分類されない人が代表として前に立つことで勇気付けたいと思いました。

3.自分が人前で「伝える」ことに自信を付けたい
偉そうなことを言いながらも私自身、人前で話すときには毎回緊張し、「こいつごときが何を言ってんだ」と思われていないか心配でたまらない。それでも、この2年間で痛感させられたのは、例え努力が伴わない人でも「伝える力」がある人は成功しやすい。逆に私はその「伝える力」が無ければいくら自分で良いアイデアがあっても、良いものを作ってもそれが届かないんです。それを訓練するには絶好の機会だと思いました。

4月には正式にスピーチをやりたい人の募集があり、「スピーチの原稿と自分がスピーチをしたい理由を送るように」と言われます。

As We Know Itを経験したあとにはさらにこのスピーチをやる意欲に火が付き、この気が変わらないうちにとすぐに仕上げ、締め切りまでまだだいぶ時間がある時期に提出しました。

その後春休みがあり、授業再開数日後が本当の提出締め切り。すると意識していたせいか、あちこちから「私もスピーチ提出した!」という声や「私は〇〇にスピーチやってほしい」「あなたが選ばれてほしい」といった声が聞こえてきます。

いろんなことで自分の能力を疑いかけていた私はどんどん不安になってきます。「もし私が選ばれて、他の人にふさわしくないと思われたらどうしよう…」「私は本当にそれだけの人間であるのか…」と考えだし、1人でどんどん悪い方向に思考が向かっていきました。

そしてついに締め切り当日。1日ずっと考え続けた結果、ついにその日の夜、担当の先生にメールを送り「スピーチの応募を取り下げさせてください」と言ってしまいました。

するとすぐに返信があり、「君の意思は尊重するけど、もし何か話したかったら言ってね」と。たまたまこの先生は、今までも私が学校で一番信頼し続け、数々の心が折れそうなときに相談して救われてきた先生だったのです。

そうして次の日に話に行きます。目の前に私のスピーチを印刷した紙を置き、「なんで?どうしたの?」と聞かれ、単純に自分に自信を失くしてしまったことを伝えると、「あなたは代表にふさわしい存在だよ」と言ってくれます。1人の生徒として、真面目にコツコツ大きな役割をいくつも担って成し遂げてきたこと。まさに一年生たちに見習って欲しい模範なんだと。

もちろんスピーチに再応募してほしいと言われている訳でも私の昨夜の選択を咎められている訳でもなく、ただ単純に論理的に、自分でも本当は分かっていることをその先生から言ってもらい、自分に抱いた強い劣等感がどんどん消え、本来の私が戻ってきているのを感じました。

その先生との話を終えて教室を出たあと、今度は逆に、自分がスピーチの応募を撤回したことに関して猛烈な後悔が湧き上がってきます。どれだけ考えても昨夜自分がしたことの正当化が一切できず、何も手に付かなくなり、親友のところに相談に行きます。

私がその親友に言ってほしかったのは、うそでも昨日の私の選択を肯定してくれるような言葉。ただ大方話し終えると彼女から言われたのは「自分が本当にやりたいことは分かってるよね。その先生に取り下げたのを撤回させてほしいってメール書こう」と。一瞬言葉を疑いましたが、確かにものすごく腑に落ちます。一緒にメールを打ってもらい、送信。

私はスピーチをやること自体ではなく、自分が今まで一年間強い思いを持ち続けてきたことを、たかが周りで聞こえたことに左右されてやめてしまったことへの後悔が強かった。もう選ばれなくても全然良いから、過去の自分に恥じず「チャレンジした」と言えることが私にとってはとても大切なことなんです。

するとこんな二転する態度の私にもその先生は快く再応募をオッケーしてくれたものの、その次の日に再び連絡があり、他の人のスピーチが選ばれたとのこと。多くの先生方で一緒に決めていることだし、偉い人たちもたくさんいる前でUWCの「理想」を否定するかのような私のスピーチが選ばれにくいのは分かっていました。びっくりするほどほぼがっかりもせず、「やれるだけはやった」とむしろ嬉しい気持ちでした。


近付く卒業式

今年の5月の始めからはIBの最終試験が始まり、本当に2年間のUWC生活の中で初めてと言えるほど、勉強だけに集中できる期間に入りました。ここに来てどれほど勉強が楽しかったか、どれほど自分の6教科が好きだったかを久しぶりに再確認する毎日でした。

3週間の試験期間のうち最後の1週間は月曜日で試験終了。その後はUWYの本出版の関係で多少やることはあるものの、ほとんどは同級生や1年生たちとピクニックをしたり、森での散歩に行ったり、海辺で語り合ったりととにかく「人」と使う時間を大切にしました。

慣れ親しんだ壮大な校舎とももうすぐお別れ。多少寂しい気持ちはありましたが、正直このステージから前に進むことの楽しみな気持ちの方が大きかったです。


卒業

卒業式当日。多くの保護者が学校に来たり、私の同級生で2人プリンセスがいるため今までに見たこと無いほど警備も厳しく朝からいかにも特別な雰囲気。

大好きな青空

そして午後から卒業式が始まります。特に昨年と変わらず、寮ごとに卒業証書が行われ、その合間に生徒のパフォーマンスやゲストのスピーチなどが入る形式。1人ずつ卒業生の名前が呼ばれる時にも今年はハウスペアレント(寮長)の先生たちが一言ずつその子についてコメント。笑いが起きる場面もあるなど、とても和やかな式でした。

そして私が注目していた卒業生代表のスピーチ。すぐにそのスピーチが選ばれた理由が分かる気がしました。この日は大変だったことなどは思い返したくなく、実際がどうであったとしても誰もがこの2年間を「素晴らしい経験」だったと振り返りたい日。確かに、私のもっとリアルな体験に即したスピーチでは、明らかに式の雰囲気には相反してしまっていたことでしょう。

式の終了後下級生、先生方、保護者によって作られた長い花道を通り、ドリンクなどが用意されたレセプションに移動します。多くの一年生から手紙をもらったり、本当に今までお世話になった人たちと1人ずつ言葉を交わしていくのですが、式に引き続き不思議と全く悲しい気持ちにはならないのです。

この日の夜一年生たちに見送られながら学校を去って行く時でさえ、名残惜しさも感じず、満足感ばかり。

お城を見るのも最後

その後も、あんなに楽しいことが多かった2年間の学校生活だったのに、過去に戻りたいとか、もっと長くいたかったとかいう気持ちは浮かんでこない。むしろもうお腹いっぱいでした。

2年間お世話になった寮

そして気付いたのが、これが後悔なく2年間を過ごせた、ということなんだなということ。一瞬一瞬を大切に、2年間ずっと自分をチャレンジさせ続けたからこそ、私に与えられたUWCでの時間を思う存分使い切れた。初めてこんなことを自分で思うことができ、2年前にUWCに行く前の自分の目標を十二分に達成できた自分に気付きます。


二年前から私は変わったのか?

そうしてさらに自分の2年前を思い返すにつれ、その時私が2年後の自分に聞きたかった「どれほど変われた?」という質問の返答を考えます。UWC説明会などでも「人生が変わった2年間」「別人のように成長した」と聞くことが多く、私もそんなに劇的な変化を遂げる2年間なのかな、と思っていたころ。

ただし、どう考えてもUWCに行く前と今の私は、日本で育った全く同じ「杉田さら」という人間なんです。

「趣味」と言えるものが特にないところも、流行に疎すぎるところも、根性だけで何でも飛び込んでしまうところも、自分にだけは厳しいところも。正直、将来のやりたいことが漠然と方向性はありながらも結局あまり定まっていないのも、行く前と変わりません。

ただ、「成長した?」という質問に対しては自信をもって首を縦に振れる。私自身が人間としての「変化」ではなく、追加で多くの武器を得たと思っています。

数多くのイベント運営で得た計画性やマネジメント能力。いろんなタイプの人と一緒にチームを組むときのコミュニケーション力。自分の長年の常識でも疑ってかかり、全く逆方向の意見を理解できる柔軟性

そして何よりも、他人を信頼し、深い人間関係を築くことができるようになったこと。

私は昔から海外志向だったりと周りと違った考えをしていることも多く、変人扱いには慣れていましたがそれ故にあまり他の人に自分のことを理解してもらおうとしたことがありませんでした。

ただ学年が上がるにつれ、学校では優等生だったこともあり、逆に自分についてや私が考えたことをあまり周りに話さないことによって表の良い子のイメージが守れ、「すごい人」扱いされていた時期も。自分を守るために自分のことをなるべく隠す癖が付き、結果的に自分が助けが必要な時には本気で頼れる人がいない。

この私を大きく変えてくれたのが深いディスカッションが当たり前のように起こる、このUWCという環境。むしろ人と少し違う観点を見つけられたり、一歩奥に踏み込んで考えられる人がディスカッションの中では「おもしろい」と讃えられる環境で、「変」だと思われる怖さなんてすぐになくなりました。

そして真面目にとても大きな夢や世界について語り合えるような人にも多く出会え、友達との会話の中で付いていけなかったり1人浮いてるようなことも感じなかった。

そんな中、数名の「本当に信頼できる友達」も作ることができた。寮生活で自分のことを隠すのが極めて難しい状況というのもありますが、何か困ったときに「あの人に話しに行きたい」と頭に浮かぶ友達が何人もいるのは、今まで困った時こそ1人で悩むしかなかった私にとっては革命です。

思い返せば、2年目の初めには私はつい自分に、「絶対に『疲れた』と『忙しい』を言わない」というルールを課していました。最初は上手くいったものの、日本の時とはレベルの違う責任とストレスですぐに自分で自分を追いつめていることに気付きます。

幸いそれに気付いた友達から手を差し伸べてくれ、実際に自分の弱音を話した時に、私が頼ることでこんなにも親身になってくれ、こんなにも気持ちが楽になるんだ、という気付きがあった。そうして逆の立場になって私が頼られる時にも、迷惑なんて全くかけてなく、むしろとても嬉しい。

人は1人では生きられないことなんて分かっていたはずだけど、他の人と深い関係を築けることはこんなにも幸せなんだな、とここで初めて分かったのです。

そして繰り返すように、いくら人との関わり方で成長できた私でも、私自身はあまり変わっていない。これはむしろ私自身では誇りでもあること。なぜなら、私の中で強く残っている価値観は日本で育ったことで身に付いたものばかりだから。

日本社会で身についた、時間遵守や礼儀、相手への気遣いなど。今までは当たり前のものだったけど、その価値観がない人ばかりの環境にいたからこそ、「自分の強みとして一生大切にしよう」と決めたものばかりです。

そして以前の学校の校是であった「去華就実」の言葉も、何度も私を支えていたもの。その学校を中退してUWCに来た時には夢にも思いませんでしたが、この言葉は今後も私の礎として残り続けるものになりそうです。


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