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『山親爺』を守り続けたい!その使命感が今の自分の原動力

『山親爺』は1930年(昭和5年)に発売し、2024年で発売94年目を迎えた札幌千秋庵の代表銘菓です。
山親爺の発売初期から製造に携わってきた職人が次々と定年を迎える中、「伝統の味を守りたい」という強い想いで、自ら山親爺の製造チームの旗振り役を買って出たのが、製造部 山親爺課の高橋雄二さんです。
今回の【一日千秋】は、高橋さんの和菓子職人としての歩みや、山親爺の伝統を守り続けている今の想いをうかがいました。

【プロフィール】
高橋 雄二(たかはし ゆうじ)
出身地 北海道札幌市
1998年(平成10年)千秋庵製菓株式会社 入社 製造部 和菓子課 配属
2018年(平成31年)製造部 和菓子課 課長代理
2019年(令和元年)製造部 和菓子課 課長
2021年(令和3年)  製造部 山親爺課 課長(現職)

入社時から和菓子課に配属され、和菓子職人としての技術を身に付け、季節ごとの上和生菓子をはじめ、干菓子や半生菓子などの製造を担当。現在は山親爺課の課長として、山親爺の製造部門の舵取り役を担っている


千秋庵製菓の職人としての歩み

― 入社のきっかけは?

高橋: 幼い頃から工作や料理など「もの作り」に興味があり、また私自身が札幌出身だったこともあり「札幌千秋庵(千秋庵製菓)でお菓子作りをしてみたい!」と思い、入社を決めました。

― 入社後に担当したお仕事は?

高橋: 私が千秋庵製菓に入社したのは1998年(平成10年)です。最初の配属は和菓子課で、あんこを仕込む「製餡」という工程を1年ほど担当していました。
その後、和菓子づくりの基礎を一つひとつ身に付けながら、様々な和菓子の製造を合計20年ほど担当しました。和菓子といっても色々な種類がありますが、私は主に上和生菓子、干菓子、半生菓子の製造を担当し、ほとんどの工程を手作業で作っていました。当時の先輩たちは「自分の背中を見て学べ」というような、昔ながらの職人気質の人が多くて、技術を身につけることに苦労しました。

― 職人として修業時代に学んだことは?

高橋:和菓子作りはとても繊細なものです。同じ原材料を使って、同じ作業工程で作ったとしても、気温や湿度、原材料の状態など、ちょっとした違いが仕上がりに大きく影響します。失敗は許されないので、毎日が勉強でした。

高橋さんが仕上げた上和生菓子の数々

― 和菓子職人としてターニングポイントになった出来事などはありました
  か?

高橋:
入社から7年が経過した2005年(平成17年)のことです。先輩たちが定年退職をする時期が重なったこともあり、干菓子と半生菓子の製造に関するすべての工程を私が担当するようになりました。例えば、お盆の時期によく見かける落雁(干菓子)、茶道で使われるお菓子(干菓子、半生菓子)がイメージしやすいかと思います。これらのお菓子のデザインを考えることからスタートし、材料の手配、仕込み、そして実際の製造、パッケージまでを一気通貫で担当していました。

髙橋:日本には気候に合わせたさまざまな伝統的なお菓子が存在していますが、その基本を忠実に再現しながら、自分なりのアイデアを加えて、あれこれ考えながらスケッチをしていきます。そこから一つひとつお菓子を作っていきますが、この一連の流れがとても楽しくて、時間を忘れて没頭してしまうこともありましたね。休日になると、百貨店のお菓子売場に行って、お菓子作りのアイデアを探していました。

鮮やかな手仕事で干菓子を作り上げる高橋さん
高橋さんが毎月仕上げていた季節の干菓子・半生菓子(写真:春)

札幌千秋庵の看板商品を守りたい!

― 高橋さんの今のお仕事をおうかがいします

高橋:現在の主な担当業務は
・山親爺の製造スケジュールの策定と製造作業の進行管理
・山親爺の原材料などの発注、在庫確認
ですが、山親爺の製造業務以外にも「定番菓子」や「季節の和菓子」の製造も担当しています。

― どういった経緯で山親爺の製造を担当することになったのですか?

高橋:2017年(平成29年)10月。千秋庵本店ビル(現 Hotel The Knot Sapporo区画)の建替えのため本社工場を移転した際に、山親爺課と当時私が所属していた課が隣同士になり、山親爺の製造作業を手伝う機会が増えました。その中で、山親爺の製造を担当していた先輩が次々と定年退職をし、「職人は減る一方だが、後継者が育っていない」という現状を目の当たりにし、「このままでは山親爺の製造ができなくなってしまうのではないか?」と危機感を覚えました。
そこで、改めて山親爺の製造現場の基礎を構築することが必要だと思い、「隣の課」という立場から見て気になったところを数年かけてひとつずつ整備していくうちに、いつの間にか山親爺の製造ラインの組み立てを行う立場になっていました。

シンプルながら奥深い『山親爺』の魅力

― 改めて「山親爺」とはどういう商品ですか?

高橋:山親爺はとてもシンプルなお煎餅です。商品名は「山親爺」と和風ですが、使用している原材料は小麦粉、卵、バター、牛乳など、どちらかというとクッキーなど、主に洋菓子の製造に使われる素材を使用しています。このことから現在のパッケージにも「洋風せんべい」と記されています。また発売当時は卵やバターが高級品であり、お菓子づくりに使用されること自体が珍しかったことから、発売初期のリーフレットに「最高級」と記載されていることもありました。
素材の風味がしっかりと感じられる味とパリッとした食感が人気で、個人的にはアイスクリームやクリームチーズなどとの相性も良いと思っています。

― 山親爺の製造のポイントについてうかがいます。

高橋:製造のポイントは2つあります。1つ目は「生地の水分量の調整」です。
和菓子づくり同様、山親爺についても、気温や湿度などわずかな環境の変化が焼き上がり具合に大きく影響します。
たとえば、夏場は気温・湿度共に高くなることから、生地が空気中の水分を吸って、生地の水分量が基準値よりも多くなります。そのため、夏場は通常よりも水分量を減らして生地を作ります。一方で、冬場は気温・湿度共に低くなることから、生地に含まれる水分が空気中に放出され、生地の水分量が基準値よりも少なくなります。そのため、冬場は通常よりも水分量を増やして生地を作ります。

髙橋:この「生地の水分量」は、生地を焼き上げた時の仕上がりに大きく影響します。生地の水分量が多いと焼き上がりが柔らかくなり、「パリっとした食感」が生まれません。一方で、生地の水分量が少ないと焼き上がりが固くなりすぎてしまいます。
「機械で焼き上げる」とは言え、気温や湿度の微妙な変化を感じ取りながら、調整を加えることが大切になってきます。
まさに「生地は生き物」なので、そこは職人の感覚が必要だと感じますね。

山親爺の生地の液種

高橋:2つ目は「焼き加減の調整」です。
生地が完成した後は「生地を焼成機に流し込み、一枚一枚焼く」という実に単純な作業を繰り返します。しかしながら、「機械の特性」や「型の癖」を掴み、調整を加えながら焼き上げることがポイントになります。実は、山親爺の「型」はみんな同じに見えますが、ひとつひとつに個性があって微妙に異なるため、焼き上げた時の仕上がりにも差が生まれます。
この微妙な違いを感じ取り、わずかな調整を行っていくことが重要だと思っています。これは以前、干菓子や半生菓子の製造を経験したことで身についた「和菓子づくりの基本姿勢」が活きていると思っています。

鉄板に油を塗る
鉄板に生地を載せ、クマのレリーフ(型)でプレスする
生地を一定時間焼き上げて、型から外します
プレス機を通って平らに成型されます
レーン上で冷却されて完成します
火加減を確認しながら微妙な調整を加えます


― 今の仕事でやりがいに感じていることは?

高橋:無事にお店にお菓子が並んでいるのを見ると、良い商品を提供し続けることに対しての責任とやりがいを感じます。購入されたお客様の笑顔を見るとホッとしますし、必要とされている喜びを感じて、嬉しい気持ちになります。

山親爺の製造メンバーとのコミュニケーションも大切

これからのこと

― これから取り組んでみたいことを聞かせてください

高橋:和菓子職人としての道を歩んできましたので、「やっぱり和菓子の製造をしたい!」という気持ちはありますね。

改めて自分自身の経歴を振り返ってみると、現在の担当である山親爺の製造は3年ですが、上和生菓子や干菓子、半生菓子の製造は合計23年と、圧倒的に和菓子の製造に携わってきた年数の方が長いんです。

自らの意思で山親爺の製造を担当することになったとはいえ、私は根っからの和菓子職人なんです。これまで私が作った和菓子を使ってくださったお茶の先生をはじめ、昔からご厚意にしてくださったお客様に、また改めて和菓子を作って喜んでいただきたいと思っています。

しかし、今現在は主力商品である山親爺の製造体制を強化し、多くの職人を育成して次の世代に製造を任せられるようにすることが私の目標であり、このことが、私が今やり遂げるべきミッションだと思っています。

ー これから和菓子職人を目指す人にメッセージをお願いいたします

これから和菓子職人を目指す人たちには、「自分の目標」を持って日々の業務に向き合ってほしいと思っています。与えられた仕事の中で「自分の役割は何なのか?」、「どうすればもっと貢献できるか?」などを考えて行動していくことが重要ですね。
私自身も、目の前に色々な課題がありますので、まずは一つひとつ解決しながら進めていきたいです。

|編集後記|
高橋さんは和菓子職人として、たくさんの和菓子を作っていました。特に高橋さんが作る彩り鮮やかな季節の和菓子を楽しみにしていた方も多いと思います。和菓子職人として長年努力を重ねてこられた高橋さんだからこそ、札幌千秋庵が創業期から大切にしてきた『山親爺』を守るために、自ら製造体制の強化に取り組んでくれたということが今回の取材でわかりました。
これからもどうぞよろしくお願いします。

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