発売から49年目。誕生から進化へ…。受け継がれる『ノースマン』製造のバトン
札幌千秋庵の代表銘菓『ノースマン』は1974年(昭和49年)に誕生し、
2023年で発売49年目を迎えるロングセラー商品になりました。
今回の「一日千秋編集室」は、ノースマンの発売初期から今日まで製造に携わり、現在はノースマン製造チームのレジェンドとして活躍する杉野哲也さんと、入社2年目にもかかわらずチームのエースとして活躍する 茶畠茂継さんに、ノースマン誕生から現在の進化までのストーリーや造り手としての想いをうかがいました。
千秋庵製菓の職人としての歩み
― 杉野さんの入社のきっかけは?
杉野:小さい頃からお菓子を食べることが好きで「自分でもお菓子を作ってみたい!」と思っていました。高校3年生の時に千秋庵製菓が社員を募集していることを知り、「千秋庵製菓の職人になればお菓子を作ることができる!」と思い入社を決めました。
― 杉野さんが入社した頃の千秋庵製菓はどんな様子でしたか?
杉野:ノースマンは1974年(昭和49年)から製造されていて、私が入社した1976年(昭和51年)には、少しずつ人気が出てきていた頃でした。
杉野:私は入社後、「社長室研究所」というお菓子の研究開発を行う部署に配属され、そこでノースマンをはじめ、さまざまなお菓子の開発と製造業務を行っていました。当時の「社長室研究所」には10名程度のメンバーが所属していましたが、ノースマンはすべて手作業で作っていたんです。
そんな中、私がはじめて担当した仕事は「鉄板に並べられたノースマンをオーブンに入れ、焼き上がったら番重に移す」といった実にシンプルな工程でした。当時は正直なところ「あれ?お菓子づくりの仕事ってこんなに単調な作業なのかな…?」と思いながら日々の作業を続けていた記憶があります。でも徐々に、ノースマン以外のお菓子の仕込みなども担当するようになって…どんどん忙しくなり…余裕は全くなくなりましたね(笑)。
―では、茶畠さんが千秋庵製菓に入社したきっかけを教えてください
茶畠:僕は札幌や江別の洋菓子製造・販売の会社で、シュークリームや冷凍製品の製造を担当していました。ちょうど札幌で仕事を探そうと思っていたタイミングで、千秋庵製菓のノースマン製造の求人広告を見たんです。子どもの頃から「出てきた出てきた山親爺~♪」のテレビCMをよく見ていたことや、仏壇に上がっていたノースマンと山親爺を食べていた記憶がよみがえり「昔からある創業100年の会社だ!」、「ノースマンってどうやって作るんだろう…?作ってみたい!」と思ってすぐに応募しましたね。
―お菓子作りの職人になろうと思った理由は?
茶畠:子どもの頃から、饅頭などのあんこを使ったお菓子が好きでした。僕の地元 蘭越町に「渓流堂(けいりゅうどう)」という和菓子屋さんがあり、そこで販売されている「渓流焼(けいりゅうやき)」というお菓子が大好きでよく食べていました。
茶畠:高校卒業後は接客の仕事をしていたのですが、家庭の事情で別の仕事を探していた時に、たまたまお菓子屋さんの求人広告を見て、「お菓子を食べるのが好きだから、作ってみたい!」と思い、この世界に入りました。実はモノ作り自体にはまったく興味がなかったのですが、「お菓子を作る仕事」はやってみたかったんです。実際にお菓子作りをやってみると、想像していた以上に面白かったので、ここまで続けてきたという感じですね。
―お菓子作りの仕事をしてみて、「ギャップ」や「やりがい」を感じることはありましたか?
茶畠:僕は元々、お菓子の世界はもっと華やかなものをイメージしていましたが、実際にやってみると全然そんなことはなく、その点はギャップがあったのかもしれません。「やりがい」という点では、はじめはできなかった作業が練習を重ねて少しずつできるようになると「やっとできるようになった!」という達成感があります。自分の技術が上がっていく面白さがあり、そこにやりがいを感じていますね。今は「お菓子づくりは地道にコツコツと積み上げていく仕事だ」と思っています。
『ノースマン』開発秘話
― では、杉野さんに「ノースマン誕生のストーリー」についてうかがいます。
杉野:ノースマン誕生のきっかけは、道外への出張が多かった創業者 岡部式二さんが、横浜中華街で販売されていた「パイまんじゅう」を持ち帰ってきたことだったと聞いています。その後、二代目 岡部卓司さんが「北海道産小豆のあんことパイ生地を合わせた、北海道らしいお菓子を作ろう!」と開発をスタートさせ、創業者 岡部式二さん、二代目 岡部卓司さん、社長室研究所 所長の3名で構想を練り、約1年間の研究を重ねて完成しました。
そして「ノースマン」という名前には、農業に適さない土地や気候の中で北海道を開拓していった先人たち(北の人)への敬意が込められています。
― 当時の開発記録によると、独特の食感を生むパイ生地の配合には相当苦心したようですね…
杉野:ノースマンのパイ生地には小麦粉、バターなど一般的な焼き菓子の原料が使用されていますが、それを独自の配合で混ぜ合わせて1枚の薄いパイ生地を作ります。その生地を何度も折り重ねていくことで、ノースマン特有の食感を生む「折りパイ」が完成します。
開発当初は、小麦粉にあらかじめバターを練り込んだ「練りパイ」を使用しましたが、焼き上がりが油っぽくなったり…。生地の上からバターを塗って焼くと風味が足りなかったり…。試行錯誤をしながら、生地を薄く伸ばし500層以上に折り重ねる「折りパイ」を使った現在の製法に辿り着きました。
500層以上に折り込んだ生地を、さらに低温で管理した状態で一晩寝かせてから焼き上げることで、薄い生地ながらもしっかりと食感のあるパイ生地に仕上がっています。
北海道小豆を使った「こしあん」
― では、「あん」についてうかがいます。ノースマンには北海道産の生小豆の皮を剥いて丁寧に濾した「こしあん」を使用していますが、この「あん」を仕上げるために何度も試作を重ねたと聞いています
杉野:はじめは「粒あん」を包んで焼いていましたが、皮のしぶみが残りすぎて、理想の味になりませんでした。そこで皮をむいて濾したあんをパイ生地で包み焼いたところ、水分が失われずしっとりなめらかで、パイの食感も損なわない理想の「こしあん」が仕上がりました。この「こしあん」の完成が、約1年間の研究の末にノースマンが完成した瞬間だったと聞いています。
当時の工場の様子・想い出
ー 当時の工場はどんな様子でしたか… 印象に残っている想い出はありますか?
杉野:当時は今よりもスタッフの人数がかなり多く、とても活気がありましたね。想い出といえば…お盆の繁忙期のことです。当時、工場が面していた札幌の駅前通りで盆踊りが開催されていて、賑やかな笛や太鼓、唄が聞こえてくる中で、必死にノースマンを作り続けていました…。今でも盆踊りの音楽を聴くと、当時の記憶が蘇ってきます。私もチームのみんなも若かったので、遊びたかったですね…(笑)。
今でも繁忙期はシフトを組んで休まず製造していますが、当時はすべて手作りしていたこともあって、機械化が進んだ現在と比べるととても大変だった印象があります。それでも「やるしかない!」という思いと、やり切った時はとても達成感がありましたね。毎日の職場のコミュニケーションでも、仕事帰りにみんなで飲みに行ったり、休日にはみんなで遊びに行ったり、改めて思い返すと楽しい想い出ばかりですね。
―嬉しかったこと、苦心したことはありますか?
杉野:やっぱり頑張って開発したノースマンがヒットして、札幌千秋庵の看板商品と呼ばれるようになったことは、作り手として誇らしかったですね。当時の厚別工場にノースマン専用の製造ラインが完成したことで、多いときは1日50,000個まで製造数が伸びました。
杉野:苦労したのは、販売数に応じた「製造数のコントロール」です。
ノースマンが人気のお菓子になったことで、店舗でノースマンが品切れになってしまうことが増えた時期がありました。その状況を聞いて、店舗で品切れにならないように毎日必死に製造していましたね。
そしていよいよ、手作業による製造だけではおいつかなくなり、大量生産に向けて機械が導入された時期がありました。機械が導入された当初は、当然ですが誰も新しい機械を触ったことがないし、わからない事だらけです。新しい機械を操作することには先輩も後輩もありませんが、なかには「機械が苦手で触りたくない」という人もいて、私が機械の操作方法を覚えていかないと作業がまったく進まない状況でした。
機械の取り扱いには苦労しましたが、今まで手作業で行っていた工程を機械化したことで、スムーズかつスピーディーにできるようになった時は嬉しかったですね。
進化系『生ノースマン』の魅力
― 生ノースマンの開発はどのようにスタートしましたか?
杉野:「半世紀続く伝統のパイ生地をアップデートして、あんこの食感と合う北海道産生クリームを使用したノースマンを作ろう」ということで、中西さん(千秋庵製菓㈱ 代表取締役社長)を中心とした札幌千秋庵のプロジェクトチームで新商品開発をスタートしました。
ポイントになるのは「パイ生地やあんことの相性が抜群の生クリームを作ること」でした。何度も試作を重ねた結果、「生ノースマン」を開発している段階で既に札幌千秋庵の人気商品になっていた「巴里銅鑼(パリどら)」に使用している生クリームのレシピを参考にすることで、私たちが理想とする「生クリーム」にたどり着き、「生ノースマン」が完成しました。今でも、「生ノースマン」は美味しさを追求して日々進化を続けていますが、その中心を担ってくれているのが茶畠くんです。
―では、茶畠さんにうかがいます。入社当初から「生ノースマン」の製造を担当されたのですか?
茶畠:僕が入社した頃は、ちょうど「生ノースマン」が発売されたばかりで、最初は「パイ生地に生クリームを注入する作業」を担当しました。
生ノースマンを美味しく仕上げる2つのポイント
― 美味しく仕上げるための、製造のポイントはありますか?
茶畠:いくつかのポイントがありますが、「①パイ生地の厚さ」「②注入する生クリームの固さと注入する位置」の2点は特に重要なポイントだと思っています
実は「①パイ生地の厚さ」は、発売当時から少しずつブラッシュアップされています。
発売時の生ノースマンは生地が薄く、生クリームを注入したときに生地が割れてしまうという失敗が相次ぎました。多いときは製造数に対して20%程度も失敗していました…。そこから何度も改良を重ねて、今ではほとんど失敗しないレベルにまでブラッシュアップすることができました。
― どのように改良したのですか?
茶畠:わかりやすく「生地そのもの」をノースマンより厚くしました。
実は「ノースマン」と「生ノースマン」は生地をつくるための材料の配合は同じですが、生地の厚さが違うんです。特に生ノースマンの生地は生クリームとの相性も考慮しながら何度も試作をして、「厚さ1.8ミリ~2.2ミリ」という基準で作ることにたどり着きました。
―繊細な仕事ですね…。今までの菓子製造でも同じような経験はありますか?
茶畠:本当に繊細ですね…。「ミリ単位で厚さを調整する」のは私にとってもはじめてです(笑)。はじめてノースマンの製造現場を見学したとき、パイ生地を折り重ねる工程を見て「あれはなんだろう?」と不思議に思いました。
パイ生地は練って作る「練りパイ」を使用しているイメージだったので、「こんなに折り重ねてパイ生地を作るなんて、手間がかかっているんだな」と驚きましたね。
実際に作業をするようになって「練りパイ」に比べると「折りパイ」は焼き上がりがサクッとするので、食べ比べると味の違いが良く分かります。大量生産をするためには作業工程が少ない「練りパイ」が適していますが、「味にこだわった結果、手間がかかっても折りパイで製造することがベスト」なんだと理解できるようになりましたね。
茶畠:そして「②注入する生クリームの程よい固さ」が重要になります。
先ほどお話した通り、焼き上がったパイを充填機に刺して生クリームを注入します。生クリームが柔らかすぎるとベチャベチャになりますし、固すぎるとパイ生地が破れてしまう…。絶妙なバランスが必要になります。
「生クリームを入れる位置」もポイントです。
パイを外側から目で見て位置を決め、生クリームを注入します。ちょうどあんこの上の方にクリームを入れるのが美味しさの秘訣で、ここがうまくいかないと見た目のふっくら感や、食べた時の食感も美味しく仕上がりません。
―生クリームを注入する位置を目視で決めるんですね!! まさに『職人の勘』が必要な作業ですね。
茶畠:位置がずれてはみ出してしまうこともありましたが、今はメンバー全員が慣れた手つきで素早く作業していますよ。
―すべてのポイントが「生ノースマン」の美味しさにつながるんですね…
―入社からちょうど1年が経過して、改めて感じていることはありますか?
茶畠:今改めて、札幌千秋庵の製造現場は「こうすればもっと良くなる」と物事を柔軟に考えて、新しいことに積極的に取り組んでいる職場だと感じています。
たとえば一般的な製造工場の場合、パートさんたちが同じ作業を一日中繰り返すことが多いと思うのですが、当社では30分に1回ローテーションをかけて違う作業を行うようにしています。これは、スタッフ一人ひとりの得意な工程と不得意な工程を見極めて、しっかりと相互理解をしながら「個人のスキルアップ」と「製造工場全体のレベルアップ」の双方を狙った取り組みです。
実は入社する前は、老舗には“このやり方しかしない”という強いこだわりがあって、新しいことを受け入れないという勝手なイメージを持っていました。しかし札幌千秋庵は「こだわりを持って伝統を大切にする」部分と「新しいことを積極的に取り入れて進化する」部分の両方が備わっていると実感しています。創業102年の長い歴史があって、こだわりを持って働く職人さんがたくさんいる中で、歴史と伝統の暖簾に胡坐(あぐら)をかかず向上しようという姿勢に、いい意味でのギャップを感じました。
これからのこと
― 製造に対する想いや、これから取り組んでみたいことを聞かせてください
杉野:茶畠くんのようにお菓子作りの経験や資格を持った人が入社してくれて本当に頼もしいです。製造にも少しずつ若い人たちが増えてきて職場に活気があります。会社として進化していることを実感していますね。
今は製造数が増えてきているので、前半・後半でシフトを組んで、チーム一丸となって製造を進めています。チームの結束力もどんどん強くなってきていると感じています。
私自身も、茶畠くんをはじめ若いスタッフをサポートしながら、まだまだ頑張って働いていきたいと思っています。
茶畠: 今僕は「チームが困った時のお助けマン」みたいな存在ですね…(笑)。みんなの作業がスムーズに進んでいくように、そしてミスが起こらないように声を掛けながら「作業の段取り」を第一に考えていきたいと思っています。
ノースマンの製造チームは杉野さんや私がいなくても、うまく回っていくようにしないとなりません。そうしないと杉野さんも私も休めません(笑)。みんなが自分の時間を大切にしながら働けることが大切だと思っています。
個人的には、ノースマン以外のお菓子も作りたいですし、今までやったことのない仕事もしてみたい! 以前は接客や配送の仕事もしていたこともあり、もっとお客様を身近に感じながら働く仕事にも興味があります。
今はなかなか時間が取れなくて、札幌千秋庵のお店を見ることがあまりできていませんが、近所のスーパーなどで「ノースマン」をご購入いただいているところを見かけると「僕、作ってます!」って心の中で思ってます(笑)。
自分が製造に携わったお菓子が人気で売り切れたと聞くとやっぱり嬉しい!それがお菓子の造り手としての喜びですね。
杉野: 今一番楽しいのは、仕事が終わってロッカーで着替えている時です(笑)。その時に「今日も一日やり遂げた!」という達成感を感じています!
「ノースマン」はよくメディアで取り上げられるので、その責任とやりがいを感じています。北海道出身のタレントさんがテレビで「ノースマン」を地元の銘菓として紹介してくれることがありますが、改めて北海道の人に認知されているお菓子だと思うと嬉しいです。
いつも札幌千秋庵のお店の近くを通るたびに、「今日もお客様に美味しく召し上がっていただいているかなぁ」と気にしながら見ています。特に「生ノースマン」に行列ができている様子を見ると、「お客様に期待されているんだ!!」と感激しますね。私は今年で入社47年目ですが「お客様からの高い期待」があるからここまで続けてこれたのだと思います。