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「チ・カ・ホは生きている〜札幌駅前通地下歩行空間誕生秘話〜」(1)

今年は、チ・カ・ホ開通10周年YEARとし、チ・カ・ホを一緒に育ててきた市民のみなさま、地域のみなさまと一緒に10周年を盛り上げる企画を行っています。これまでの企画はこちらをご覧ください。

このnoteでは、チ・カ・ホ開通10周年企画第3弾としてチ・カ・ホ開通に密接に関わってきた関係者の方々、日頃まちの活動に関わりのあるオフィスワーカーの方々など、テーマ別に「座談会」形式で取材をした内容を公開していきます。はじめは、チ・カ・ホの開通に欠かせない4名の方から開通当時のエピソードや思いをお話しいただきました。札幌駅前通地下歩行空間の10年間の歩みを深掘りしていきたいと思います。

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チ・カ・ホは生きている〜札幌駅前通地下歩行空間誕生秘話〜

(1)チ・カ・ホ開通にどう関わってきたか

内川:今日は、「チ・カ・ホは生きている〜札幌駅前通地下歩行空間誕生秘話〜」ということで、チ・カ・ホをつくる時からいろんな動きがあったと私たちも聞いておりますけれども、今年の2021年3月12日で地下歩行空間(以下、チ・カ・ホ )が10周年を迎えまして、皆さまが計画の時に思い描かれていたことや、その時の苦労秘話なんかをお伺いしたいと思います。そこから時間が経ってみて、現在チ・カ・ホはどう変わったか、当時の担当者としてどう思っているかなどをお伺いできればと思います。よろしくお願いいたします。

 では早速ですけれども、まず自己紹介にいきたいと思います。自己紹介ではご自身がどのように関わられたのかもお話ください。長らく札幌市の中で都心のまちづくりに関わられた八柳さんからお願いいたします。

八柳壽修|東亜道路工業(株)技術顧問 技術士

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八柳壽修|東亜道路工業(株)技術顧問 技術士
1956年生まれ/北海道大学工学部卒業後、札幌市役所勤務。主に交通計画・都心まちづくり関係の業務に従事。チ・カ・ホ(地下歩行空間)について、以下の3業務を担当する。
①施設計画(総合交通計画部)道路空間を多目的に利活用、ビル接続による賑わい創出
②運営管理組織(都心まちづくり推進室)エリマネ・まち会社の設立
③施設(道路部)の維持管理(維持担当部)

八柳:よろしくお願いします。私は以前、市役所に勤務していて、異動先がそれぞれチ・カ・ホと関係のある職場で、大きく3回チ・カ・ホと関わっています。最初は、上田市長が誕生した2003年です。その時私は施設計画の課長でした。市長選では、「チ・カ・ホがいる、いらない」というのが選挙の争点の1つになってしまいました。それで上田市長が当選したときに、「争点になるぐらいだから市民に理解がされてないんじゃないか。来年から実施設計とか予備設計をするのではなく、もうちょっと合意形成されてないとゴーサインも出せませんよ」と就任早々言われてしまったわけです。それで、事実上は国の予算も付いて、今年から予備設計をするという段階だったんですけども、それは一旦見送って、いろんな合意形成事業をやるということになりました。その時に、役所だけでやっても幅広い合意形成を得るのは難しかったので、当初から今日参加している石塚さんに相談役になってもらい、アドバイスをいただきました。最終的には「1000人ワークショップ」をやりまして、“事業化について賛成だという方が半数以上いた”ということが決め手になって、事業化することになりました。

 役所には人が大勢いて部署も沢山あって、自分のテリトリーの仕事だけやっていればいいと、私もそう思っていました。しかし、その時に思ったのが、そうゆうやり方だと問題が解決しないということでした。所管する施設計画をはじめ、関係する都心交通にもチームに入ってもらい、都心交通とはどうあるべきか考えてもらったり、あるいはまち室(都心まちづくり推進室)ですね。星さん(現工学院大学教授)という方がいたんですけれども、都心の緑をどうするかというのを、まちづくりとして考えようということで「緑を感じる都心の街並み形成計画」というのを作ったり、「都心まちづくりフォーラム」を開催してもらいました。

 それから、市長が、「駅前通の街路樹を切ってしまうのは大変問題だ」ということで、大きな懸案事項だったのですが、みどりの推進部で専門家会議を作ってもらい、その道の専門家の方に入っていただいて、「現状では生育環境も厳しいし、木を切るのは惜しいが新植して5年もすれば良い街路樹になる」という提言が出て、方向が定まりました。それから実際に国の補助を受けて建設するのが土木部になりますが、国交省や国道管理者との事業化に向けた検討調整などを行ってもらいました。関連部局がバラバラにやっても前に進まないので、その時は毎週、課長会議をしようということで企画調整局の会議室にみんな集まりました。その時に石塚さんも来ていただいて、いろいろと作戦を練っていろんなことを皆でやりました。役所に入って、みんなで力を合わせてやるという経験は、とても勉強になったなと今でも思っています。

 2番目の関わりは、その後都心まちづくり推進室に異動になった時です。チ・カ・ホができて施設を管理するのは建設局だし、自分の部署とは関係ないかなと思っていたんです。しかし実は、チ・カ・ホというのはつくっただけでは終わらないという施設だということをみんな認識しはじめていて、どういう風に使うかというルールだとか、誰がそこを運営するのか決めないとだめじゃないかということになったんです。まち室が一応音頭を取って、総交(総合交通計画部)の方だとか、町内会の方だとか、沿道の駅前通振興会の越山さん(越山元さん。初代札幌駅前通まちづくり株式会社 代表取締役社長)たちにもいろいろ相談しながら、議論していきました。


内川:都心まちづくり推進室に異動されたのはいつですか?


八柳:まち室に異動したのは、2006年です。その時に、当時室長だった丸田さんが、「まちづくり会社をつくらなきゃダメじゃないか」と言い出しまして。職員一同、まちづくり会社とは一体何でしょうか?という話になってしまいました。ちょうどその頃、大通のまちづくり会社(現在の札幌大通まちづくり株式会社)をつくろうという話も先行的にあって、商店街の人と全国のそういう組織を調査に行ったりしました。札幌は、どんな会社がいいか沿道の事業者に声をかけたんです。けれども、やっぱり地元の中小企業と、西側の本州大手企業とでは考え方が違って、まとめるのが大変でした。それで一番苦労したのが、今日参加している芳村さんだったんですけど…。市役所内部の調整が一番大変でしたが、なんとかそれを乗り越え皆さんの協力もあって会社をつくることができました。それが2番目の関わりですね。

 3番目は、もうチ・カ・ホとは関わりないだろうと思っていたんですけど、建設局の維持担当部に異動しました。実際のチ・カ・ホの管理をする部署です。仕事をしていて思ったのが、世の中にはいろんな人がいるんだなということです。地下歩行空間を歩いていたら毒ガスをかけられたからどうにかしてくれって言ってくる人がいたり、選挙がはじまると、歩き回って選挙活動をする人がいたりだとか、いろんな苦情が役所に入ってきます。実際閉ざされた地下空間を管理するのは大変だなと思っていた時に、火事騒ぎがありまして、放送局が毎日市役所に来て、「こんなに人が歩いているのに、どうしてスプリンクラーがないんだ」と責められました。道路ですからと言ってもなかなか理解してもらえなくて、大変だったというのが私の3回目の関わりです。


内川:ありがとうございます。では、維持担当部長繋がりというところで、地下歩行空間の整備に関わってきた清水さん、お願いいたします。

清水英征|札幌市建設局土木部維持担当部長

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清水英征|札幌市建設局土木部維持担当部長
1962年生まれ/北海道大学工学部卒業後、札幌市役所勤務。交通局で地下鉄東豊線(豊水すすきの~福住)の計画・工事を担当し、建設局に異動。建設局土木部時代に、当時企画調整局で進められていた都心のまちづくりと地下歩行空間の計画段階から事業部局の立場で関わる。その後、札幌駅前通地下歩行空間整備事業の立ち上げから工事まで執り行い、計9年間チカホに関わった後、開業の1年前に異動。
新幹線推進室時代には北海道新幹線の札幌延伸決定に関わり、その後、南区土木部、まちづくり政策局で再開発等を担当する事業推進担当部を経て、現在に至る。市内の道路全般(橋梁・トンネル等含む)及びチカホや西2丁目地下歩道、札幌駅南口及び北口広場など、様々な道路関係施設の維持管理を担当し、市民の安心・安全で快適な生活を守るべく、日夜地道に取り組んでいるところ。

清水:私がこのチ・カ・ホに関わったのは、多分2001年の後半頃からだったかと思います。というのは、今お話をされていた八柳さんが街路計画係長、僕が調査担当係長ということで街路事業の計画担当をしていたんですけれども、当時は新規路線を立ち上げるということで、年に5本も6本も地元説明会をこなしながら、エルムトンネルの終わったあとだったので、新規立ち上げが必要だった、ということで頑張っていた時代が2000年、2001年だったんですね。2001年の後半頃、そろそろ地元説明会がだいぶ落ち着いてきたというところで、特に調査担当係長だった私が、なんか手持ち無沙汰だと思われたんでしょうね。当時の藤林土木部長から、当時はチ・カ・ホって愛称がついてなかったんですけれど、「地下歩行空間を企画調整局でやろうとしているんだけど、お前も関わってしっかり見張っとけ」という話を承りまして。今の話にあったような丸田さんですとか、城戸さんですとか、1000人ワークショップに向けての調整とか、都市計画決定に向けての国交省との調整ですとか、そういうことにも最初から関わらさせていただいておりました。

 先ほどの八柳さんのお話とも重なるんですけれども、私もどちらかというと、セクションからセクションへ仕事を引き継ぎながらやっていくというのが役所の仕事の仕方だという認識を持っていた中で、まだ企画構想段階のところから事業部隊が関わるというのは、ちょっと異例だったのかなという気がします。しかも我々事業部隊は、最終的には維持部隊に引き継がなければいけないということで、見てくれが良くて、唱える文句がかっこよくて、そういう華々しい施設をつくればつくるほど、実態管理が非常に厳しいというのが、これまでの経験値として維持部隊は特に思っていたところでございます。なので、事業部隊としては維持部隊の話もしっかり受け止めて、事前にその話を引き継いで、構想段階にフィードバックするということを最初からやっていかないといけない。そういう使命も持ちながらの関わり方だったので、当時星さんが「緑を感じる都心の街並み形成計画」でデザイン検討部会というのを立ち上げながら具体的な絵姿を描く際に、絵空事でなくて現実的にちゃんと運用できるスタイルを描いてもらわなきゃいけないということで関わらさせていただいた、という経緯があります。

 それと、事業がはじまる前に、先ほどの話にあったように上田市長が当選されまして、ちょうど我々がまさに事業化しようというところで都市計画決定を受けた内容に伴って、国交省ですとか北海道開発局といろいろ調整をするんですけれども、後には国道区間も含めてしっかりタッグを組んでいただいたんですが、初めの立ち上げの段階では結構手間取ったという状況があります。市長も基本設計、概略設計、予備設計って、なんでこんなに設計しないといけないのかそれぞれ説明してほしいと。なんでこんなに何回もお金もかけてやるんだ、という話からはじまって、やっぱり中央分離帯のオオバボダイジュというのが大事だということもあって、1000人ワークショップの中で、地上部の三車線を二車線にするだとかっていう話も含めてですね、いろいろと議論しなければいけない問題がたくさん残っているというところで時間をかけて慎重にというスタイルでやりました。あと、実際に都市計画決定を打ったあとで事業化するときに、当時マスコミさんからは、事業費が相当かかるということで叩かれておりました。

 あとは、地下鉄があって上はちゃんと歩ける通りなのに、なんでまたひとつ歩く空間をつくる必要があるんだと。そんなところに200億円かけるのは勿体無いと。さらには中央分離帯の木が無くなるというふうに聞いている、という話で相当騒がれた経緯があって、そんな非常に大きな逆風の中、我々が予備設計とかやっているなかでは、計画段階で出した200億円でなんか全然済まない。実際問題、地下埋設物が相当輻輳していて、予想よりすごくお金もかかって時間もかかったんですけれど、なんとかそれを理由に、お金もかかって工期も延びたという説明をしながら進めていきましたね。なおかつ、デザイン検討部会というのを「緑を感じる街並み形成計画」で動かしたものを、今度僕らがデザイン検討委員会というかたちで、当時東大の先生の篠原修先生、この方は土木景観に関しての国内随一の大家ですが、それと都市計画の専門家である北大の小林英嗣先生、緑の専門家の笠康三郎先生、この3人を主体に関係部局と専門家の業者さんも入って検討委員会を進めながらやってきたというところで、その後工事をずっとやってきて、沿道ビルとの接続部に地震時でもお互いの構造物がぶつかり合って壊れないように、免振ジョイントというものを開発して特許を取得したりして、2011年の3月にオープンする前の年で異動になって。今は維持担当部長ということで、それを実際に維持管理する部隊にいるというところでございます。


内川:
清水さんありがとうございました。今日ご用意した資料の中には、たくさん清水さんのお名前が登場してきています。目の前にある「札幌駅前通協議会通信」にも清水さんのお名前が。この協議会通信を作っていたのは石塚さんなんです。 続きまして、先ほどから「1000人ワークショップ」のお話の中でお名前が出てきていますが、民間の立場から札幌駅前通や地下歩行空間の歩みを見守り続けてきました、まちづくりプランナーの石塚さん、お願いいたします。

石塚雅明|株式会社石塚計画デザイン事務所 顧問

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石塚雅明|株式会社石塚計画デザイン事務所 顧問
1952年生まれ/北海道大学大学院工学研究科建築工学専攻修士課程終了
1984年柳田石塚建築計画事務所設立代表取締役/2002年現在の社名に変更/2017年代表取締役を退任し顧問に就任/まちづくりプランナーとして北海道、関東、東北を中心に活動。
総務省地域力創造アドバイザー/北海道地域づくりアドバイザー/岩手県まちづくりアドバイザー
主な著書に『参加の「場」をデザインする』/『まちづくり学 —アイディアから実現までのプロセス—』共著/『まちづくりを学ぶ -- 地域再生の見取り図』共著

石塚:よろしくお願いいたします。皆さんお久しぶりです。まちづくりプランナーとして、チ・カ・ホができるまで、あるいはチ・カ・ホを含めた都心のまちづくりにおいて、市民の皆さんの意見を汲み上げるとか、沿道の事業者の皆さんとまちの将来に向けて合意形成をしていく、というお手伝いをさせていただきました。チ・カ・ホ10周年ということですけれども、そのまた10年前からいろいろ関わらせていただいたということになります。

 2001年に「札幌駅前通の地下通路の施設づくりを考えるワークショップ」というのをやったのですけど、そのコーディネーターから関わったのが、都心あるいは駅前通との関わりの最初だったかなと思います。市民の皆さんに地下通路を作るとしたら、どういう施設であってほしいかという意見を伺うという内容でした。翌年が、「都心交通ビジョン懇談会」。都心交通ビジョンということで、札幌の都心を人が回遊できる環境にするために自動車交通を抑制し、通過交通を排除するためにかなり強力な政策を札幌市さんが発表されて、それに対して商業者、あるいは交通事業者の皆さんから猛反発がありました。そこで今お話したステークホルダーの他に、市電を保存、延伸したらどうかとか、自転車を活用できたらとか、あらゆる都心の交通に関連するステークホルダーの皆さんに集まってもらって、共有できるビジョンをつくるということで2002年から2003年にかけてお手伝いをさせていただきました。そんな中で知り合ったのが、初代まちづくり会社の社長をやっていただいた越山さんだったんです。

 その時からいろいろ都心の交通計画が動きはじめたんですが、関係機関と協議をしていくと、こんな大胆な舵切りは難しいんじゃないの、という空気が流れていました。このままじゃ、せっかく札幌を人中心の回遊性のあるまちにしていこうという大きなビジョンが崩れていくんじゃないかという危機感もあって、城戸さんが当時交通の担当されてましたけれども、悪魔のささやきをして、こういう時は市民を味方につけたほうがいいですよということでご紹介したのが、ニューヨークで開催された「Listen to the City」5000人ワークショップ。グランドゼロの跡地活用を巡っての、壮大な市民議論をつうじて、それまでの計画が大きく変わって、市民のためのメモリアル広場を中心とした施設に生まれ変わるという出来事があったんです。

 ニューヨークで5000人だったら、札幌で1000人やろうということで、手書きで1週間くらいで企画書つくって予算に間に合わせて、1000人ワークショップをやろうということを企てた。その翌年に、上田市長が当選されて、いろいろ事業内容を見たら1000人の市民の声を聞くというイベントがあるみたいだと。それに駅前通地下歩行空間の整備、創成川のアンダーパスの連続化など市民の声を聞くべき案件を乗っけて是非を問うということになってしまったんですね。大ごとというか、都市計画決定された、あるいは事業に着手していることに対して、市民の意見を聞いて政策判断をするというのは、未曾有のことでした。上田市長さんだったから出来たチャレンジだったとは思うんですけど。そういうことで大騒ぎになって…(笑)。


八柳:
あの時は、選択肢の中に「事業を中止する」という選択肢も入れてたんですよね?


石塚:
それは入れるべきかどうか市の内部でも迷っていて、最後、確か局長判断で、市民の声を聞くんだったら潔く「白紙撤回」入れましょうということになったんですね。


八柳:
みんなドキドキしていましたよね。


石塚:
ドキドキでしたね。市民議論の結果、賛成反対ほぼ半々、伯仲した結果だったんですけども、事業をすすめると市長が判断されました。ただ事業を進めるにあたって市民の声を丁寧に聞きながら進めていきましょうということで、大通公園だとか駅前通で何千人という市民の皆さまの計画案に対して意見を聞く「まちづくり広場」という取組のお手伝いをさせていただきました。そうこうしているうちに、駅前通の地権者の皆さんが、市民の声ばかりを聞いていて自分たちの意見を聞かないのはどうしてかということで、ちゃんとした市との話し合いの受け皿をつくるということで「札幌駅前通協議会」が立ち上がることになりました。そこで、さっきの「緑を感じる都心の街並み形成計画」と、チ・カ・ホの整備などの内容を協議会に諮りながら、いろいろ調整をして進めるということになって、それもお手伝いさせていただきました。

 そうこうするうちに、大通公園と駅前通のクロスする部分の「大通交流拠点」のまちづくりをどうするかということを星さんが担当されて、沿道地権者を集めた検討会を立ち上げられた。そこでビジョンをつくって、地区計画のたたき台をつくるというところでお声がけいただいて、その素案をつくらせていただきました。駅前通でもそういうことはやらないのか、という話になって、駅前通のまちづくりガイドラインをつくったのは翌年の2007年。そして2008年に地区計画が決定されるというところまでお手伝いさせていただきました。

 地区計画まで至って、あとはチ・カ・ホができるのを待つだけかなと思ったら、さっき八柳さんおっしゃられた丸田さん仕込みの「まちづくり会社」をつくるというミッションがなかなか日の目を見ないということで地権者の皆さんとの話し合いのコーディネートをお手伝いすることに。地権者の皆さんとお会いした時には、地区計画を策定するときにもお会いしていたので、顔ぶれとかお考えは分かっていたんですけれども、こんなの協力できないって強く言われていた状況だったんです。話し合いの結果、まち会社の必要性を理解され、まち会社が出来上がることになりました。

 ところが、ミイラ取りがミイラになるというか、まちづくり会社に出資をすることになって、取締役にもなって。チ・カ・ホができる直前にまちづくり会社が立ち上がるということで、運営のための準備に非常に労力がかかったんですけれども、そこはもう手弁当で。ほぼ1年間ですかね。初代社長補佐(2代目社長)の白鳥さんが、「石塚さん、企画事業部長に任命するからよろしく」と言って名前だけ渡されて(笑)。チ・カ・ホの貸出のレギュレーションだとか、広告のレギュレーションだとか、いろんなことを調整させていただきました。これでお役御免かな、というところでしばらく静かにさせていただいていたんですけれども、2020年に地区計画を変更するということで地権者の皆さんがまた議論をするということになったのでお手伝いをさせていただきました。その変更に合わせてまちづくりガイドライン景観まちづくり指針だとか、3計画一体の計画づくりということで結構大変な思いもあったんですけれども、無事、それが終わって。今は、その計画に沿って各開発がスムーズに行えるようにということで、協議の仕組みとして「開発検討委員会」というのをつくって、まち会社さんが事務局になってデザイン調整をやっているのですが、そこのアドバイザーをさせていただいています。ちょっと長くなりましたけれども、10年、続いてまた20年目を迎えるのでもう本当に引退かなと(笑)。

内川:引退したいと石塚さんは思っていらっしゃるようですけれども…。当初は都心まちづくり推進室で一緒にチ・カ・ホの開通とまちづくり会社の設立に関わって、もうこれで終わりだろうと思っていたはずなのに、なんとまちづくり会社に舞い戻ってきてしまいました芳村さん、よろしくお願いいたします。

芳村直孝|札幌駅前通まちづくり株式会社  代表取締役社長

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芳村直孝|札幌駅前通まちづくり株式会社  代表取締役社長
1959年生まれ/北海道大学法学部卒業後、札幌市役所勤務。
都心まちづくり課長時代に、札幌駅前通まちづくり株式会社設立及び札幌駅前通地下歩行空間活用による収益をエリアマネジメント活動費に充当する仕組みづくりに携わる。
その後、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)事務局長などを経た後、札幌市を早期退職し、2018年に札幌駅前通まちづくり会社に入社。
札幌駅前通地区のビジネスパーソンや都心を訪れる人々と連携しながら、札幌駅前通地区を魅力ある都心の「顔」として育てるため、エリアマネジメントに取り組んでいる。

芳村:改めまして芳村です。よろしくお願いいたします。皆さん関わってきた時間が長いから、自己紹介も長くなるので、私は期間的には一番短いので3分程度でお話したいと思います。私はチ・カ・ホ、というか都心に関わるようになったのは2009年4月です。それから3年間だけ、都心まちづくり推進室にいて、期間的にはものすごく短いんですけど、その間に札幌駅前通まちづくり会社の設立ですとか、チ・カ・ホ開通といった時期に重なっていたということで今日、レジェンドの方々と席を同じくさせていただいているという感じなのかなと思います。

 ただ、なんとなく今、昔話を知っているなというのは、実は私、2003年から2006年まで大学設置準備室というところにいて、その時に都心まちづくり推進室と同じ部屋というか隣同士だったので、上田市政になって都市計画決定しているのにもう一回市民の意見を聞くとかっていうのを、隣で見ていて、大変だなって思いながら、3年間ほど同室していました。大学つくるのも大変だったんですけどもね。それで、私にとってはチ・カ・ホをつくる云々よりも、まずまち会社をつくって、いかに運営するかが課題でした。チ・カ・ホであげた収益をエリアマネジメントの財源にするという大きな建て付けはあったので、なんとしてもまち会社設立ということで、八柳室長のもとで、やっていたわけです。

 ところが、2009年の10月くらいに、それまでは地元の方たちにチ・カ・ホから収益があがりますから、活用というのはどの程度利用されるか分からないから水物ですけども、警備とか清掃とか、そういった物的管理も指定管理で受けますから、そこはまち会社の安定的な収入となりますから…と説明していたところですね、意思決定をいただく局長会議の段階になって、まだ出来てもいない会社にそんな何億円というような物的管理をさせるというのはいかがなものかということを突然言われてしまいました。それで180度方針転換して、それでは活用だけの指定管理にしましょう、ということになったんですよね。それを、今までまち会社設立を一緒に検討していた地域の方に説明するんですけども、我々もびっくりしているんですから地域の人はもっとびっくりして。話が違うでしょ、ということで、今まで丁寧に信頼関係を築きながらそれなりにやってきたのが、一気に瓦解してしまったというところで、それを見かねた石塚さんが(笑)、2009年の10月以降に検討の場に入っていただきました。

 石塚さんがその時おっしゃったように、「私は別に札幌市から委託を受けている立場ではありません。あくまでもフラットな立場で、ただ過去こういうかたちで駅前通地区のまちづくりに関わったので何かお手伝いできないか」という立場で入っていただきました。それで2010年7月の検討の場で、今を逃すと地元がイニシアチブ持ってチ・カ・ホの運営管理とか活用に関与もできないからなんとかやりましょう、ということになって、ギリギリセーフという感じで2010年の9月に会社が設立されたということです。さっき内川さんも言いましたけども、まあこれでお役御免かなと思っていたら、2018年4月から、自分でつくった会社に来ちゃった、で、今に至るというそんな感じです。


内川:
ありがとうございます。


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★次回は、チ・カ・ホ開通までの道のりをお届けします。

チ・カ・ホ開通10周年企画座談会
「チ・カ・ホは生きている〜札幌駅前通地下歩行空間誕生秘話〜」
収録日|2021年7月13日(火)
会 場|眺望ギャラリー テラス計画
登壇者|八柳壽修(東亜道路工業(株)技術顧問 技術士)
    清水英征(札幌市建設局土木部維持担当部長)
    石塚雅明(株式会社石塚計画デザイン事務所 顧問)
    芳村直孝(札幌駅前通まちづくり株式会社  代表取締役社長)
モデレーター|内川亜紀(札幌駅前通まちづくり株式会社)
撮影|Doppietta photo

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