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なぜ東大生は幸せになれないのか

最初に謝罪しておくと、私は慶應出身です
「お前、東大じゃねぇじゃん!」
というツッコミは勘弁してください


今回の記事は、どこか満たされない高学歴の人たちに向けて書きました。
東大生を例にとりましたが、慶應生でも、医学部生でも高学歴であれば、当てはまる部分は大きいはずです

以下のおすすめに一つでも該当する人なら、必ず役に立つ話です

【↓こんな人におすすめです↓】
・東大、早慶、医学部をはじめとする高学歴の方
・どこか幸福を感じられないエリートサラリーマン
・子供をと一流大学に行かせたいと思っている保護者の方

該当する方は、ぜひ目を通してみてください



さて、一般的には「東大に行くこと=成功」とされています

「東大に行けば、優秀な友達に出会えるし、一流企業に就職できるし、年収1000万は固いし、良いことづくめじゃないか!少なくとも、3流大学に行くよりは、東大に行った方が良いじゃないか!!」
という声が聞こえてきそうです

私がサピックスに勤務していた際にも、御三家→東大のルートに子供を乗せようと躍起になる保護者の方を多く見てきました

でも、東大に行くことは本当に幸せなのでしょうか?

自分の友人の東大生の殆どは、一流企業に就職しています
政府系金融機関、外資系コンサル、商社など、世間一般的には勝ち組と言われる人生を歩んでいます

「東京、予約のとれないレストラン、CAの彼女、やりがいのある仕事、六本木ヒルズ、バージンシネマのレイトショー、一泊二日の箱根旅行、ハリー・ウインストンの婚約指輪、幸せな結婚……人生をコンプリートするアイテム」

(東京女子図鑑より)

全てを手に入れた彼らは、表面的には幸せそうに見えるかもしれません。
でも、一皮めくって本質を見ると全く幸せそうではありません

社会的には満たされていても、精神的に満たされてないんですよね
自己肯定感という名の穴の開いたバケツを、社会的成功で埋めようとしているだけです

・天才たちの学生時代

最初、彼らにとって勉強とは、他の習い事と同程度のもので、少しだけ人より得意で、純粋に楽しいものだったでしょう

ただ、他の習い事と違うのは、勉強ができないと怒られることです

さらに、一度でも、勉強ができるというレッテルを張られたのなら、なおさら勉強ができないということは許容されません

最初から全くできないなら諦めもつきますが、少しでも得意となれば期待してしまうものです
中学受験において、親からの重圧はすさまじいものです

・勉強ができないと罵られる
・勉強ができないと殴られる
・監視カメラで勉強部屋を監視されている

極端な例のようですが、大なり小なりこういう話は世の中に溢れています

もちろん、家庭だけでなく、サピックスや有名中高一貫校でも常に勉強ができることが求められ、スクールカーストにも直結します

彼らは常に勉強と競争に晒されてきました

彼らにとって勉強は、生きていくうえで不可分のものです
いわば、人生の軸です

このような環境で生きてくると
「勉強ができる=良いこと」
と錯覚するようになります

勉強ができない子供は、塾でも家庭でも学校でも肩身の狭い思いをすることになります

それは子供にとっては
「勉強ができる=存在価値」
という条件付けになってしまうのです

東大に合格するまで、この条件付けは体に刷り込まれます

有名中高一貫校の受験生たちが
「東大以外大学ではない」
「センター英語190点以下はゴミ」
などと、冗談にしろ嘯いてるのをよく耳にします

彼らにはとっては、勉強ができて東大もしくは医学部に行くことは至極当たり前のことです
偏差値50以下の人間の存在など、信じられないことでしょう

勉強こそが世界の全てであり、人生の軸なのです


・東大合格後の天才たち



東大に入るまで自分は天才だと思ってたけど、真の天才を見て自信を喪失したという話はよく聞きますよね

これはまだ良い方です
「勉強=自分の価値ではない」
と自覚し、勉強以外に自分のアイデンティティを探すようになるからです


実は、私も東大を目指していました。
受験生の頃は良い大学に受かることが人生の全てだと思い、青春で遊び惚ける幸せな同級生たちを馬鹿な奴らだと見下すことで、なんとかアイデンティティを保っていました
しかし、結局は、東大に合格できず慶應に進学しました。もちろん、悔しかったです

ただ、悔しさよりも「これでもう勉強しなくて良いんだ」という、ホッとした感情の方が大きかったんですよね慶應に入学してからは、勉強以外にもサークルやバイトに打ち込むようになりました。そして思い切って、今までの頭が良いキャラを捨てて、バカキャラになりました
そうすると自分でも驚く程、生きやすくなりました
今まで馬鹿にしていた同級生とも、仲直りすることができ、友達もたくさん増えました

勉強以外の場面で、色々な人に受容されることで

もう、勉強に囚われなくて良いのだ

「勉強=自分の存在価値ではないのだ」
と実感し、勉強の呪縛から解放されたのです

圧倒的に人生の幸福度が上がりました


東大の上位10%なら問題ありません
彼らは日本の未来を創っていく超優秀な「本物の天才」なので、是非とも、勉強を人生の軸にして学問の世界で活躍して欲しいです

東大の中でも上位10%~60%くらいの層が一番危ないです
自分のことを優秀だと勘違いしてしまうのです

東大に入っても2年生までは進振りのために勉強
それが終われば、就活のために勉強です

ただ、上位10%に入れない中途半端な天才たちは
「勉強ができる=存在価値」だと誤解したまま人生を進めていきます

社会に出るまで、永久に勉強という軸に囚われたままなのです

・社会に出た中途半端な東大生たち

社会に出ると、勉強が仕事に置き換わります

これまでの条件付けから
「仕事ができる=存在価値」
という脅迫観念にとらわれてしまうのです。いくら金を稼いでも使う時間もないのに、気が狂ったように仕事してる人いますよね。仕事以外に自分を見つけられないからです。一種の病気です

「仕事ができる=存在価値」
なので、概して自分より仕事ができない人を見下してしまいます
表にこそ出したり、自覚していなくても、心の中では無意識的に相手を格付けして見下しています
人を上か下かでしか捉えられない心の貧しい人たちです

ここまで極端なのは3割くらいですが
自分より能力の劣る人間に対する、共感力の乏しさは話してて切に感じます

良くもも悪くも能力の高い人に囲まれてて、自分自身もストイックに努力を絶やさないので、できない人の気持ちが理解できないのです

自分が成長する上では、基準値を高く設けるのは大事ですが、他人と関わる上では上手くいきません


「なんでできないの?」
「どこが分からないの」

と聞いてくる人に会ったことありませんか?
これ、概して聞いてる側にはそこまで悪気ないんですよね
単純に、自分より能力の低い人、理解力に乏しい人が世の中に存在するのが信じられないだけなのです

こういう人たちは、非常に人生の幸福度が低い傾向にあります
世の中の大多数の人たちは彼らからすると
「できない人たち」です
往々にして、自分と対等に話せる人がいないという、強い孤独感・疎外感を感じています

だからこそ、人より仕事ができるという存在価値を守ることに必死になり、執拗にマウントを取ろうとしたり、病的に仕事に狂ったりします
こうして、年収とかタワマンとか、自分の肩書を自慢してくる、残念ハイスぺは誕生します

彼らは共感性がないので、良い恋愛や幸せな恋愛もできません
金はあるので結婚することは容易ですが、家庭は不幸です
共感性がないから、子供に自分の価値感を押し付け、勉強を強制します

当然のように、サピックス→鉄緑→東大or医学部のルートを歩ませようとします

彼らには、勉強ができないことは「悪」であり「理解できないこと」です

もし、子供が勉強ができなかったとしたら
「なんできないの?」
と詰め始めます

なんなら、エクセルを使って15分刻みで子供の学習を管理し、進捗が悪いとブチ切れて無理にでも勉強させようとします(実話です)

こんな状況は、子供からしたら
「勉強ができないお前は、存在価値がない」
と実の親から毎日言われ続けてるようなものです

そうすると、子供にとっても勉強だけが人生の軸になり、負の連鎖は続きます


・満たされようともがく東大生たち


仮に、表面上はキラキラして楽しそうに見えても、心のどこかでぬぐい切れない空虚さが話していて伝わってきます

経営者の方とちょくちょくご一緒させて頂くのですが、私には幸せそうに見えません
単価10万くらいの飯を食べたり、港区女子と遊んだり、クラブでシャンパン開けてバカ騒ぎしていて、表面的にはキラキラしていて楽しそうに見えます
もちろん、楽しいは楽しいでしょう

でも、幸せには見えません
心が満たされているようには見えません

港区で金をばらまいて女を抱いて、青春コンプを埋めようとしているだけです

勉強しかしてこなかった青春コンプは一生埋められません
だからいい年した政治家のおじさんが女子大生とパパ活するのですよ
必死に勉強してきて、就活にも成功した結果が、パパ活おじさんなんて悲しいですよね

これを読んでいる人は、いわゆる頭の良い人が多いでしょう
そんなことはない
自分は今幸せなんだと否定したくなりますよね

でも、本当にそうですか?

勉強は全くできないけど幸せそうなヤンキーや、遊んでばかりいる幸せそうな友人に嫉妬したことは一度もないですか?


・幸せな東大生たち

もちろん、全員が全員不幸せな訳ではないです
私立中高一貫校でもスクールカースト上位の生徒(いわゆる陽キャ)や、地方出身者は勉強以外にも多様な軸を持っていて、人間的に豊かだと感じます

私の仕事を手伝ってくれてる東大生の子がいるのですが、彼は非常に幸せそうです
「身分証提示の際に、よく難関大学の学生が学生証を出してドやったという話を聞きくけどどうなの?」と聞いたら
「俺は学生証は出さない」
と言っていたのが印象的でした

「東大生=勉強ができる人」という記号ではなく、自分自身を一人の人間として見て欲しいということでしょう
勉強以外で、自己受容ができているので、東大生という肩書に拘る必要がないのですね。

・わが子を満たされるように育てるには


まず、一番大事なのはありのままのわが子を肯定してあげることです

以前のnoteにこの話は書いてあるので、詳しく知りたい方はぜひ目を通してみてください
かなり良記事なので、読んでみて絶対に損はないです

今回のnoteの内容もより理解が深まるはずです

ただ、この本質はツイートに集約されます

もう一点大事なことは、色々な経験をさせてあげることです

もちろん勉強をすることは良いことです
勉強は人生を豊かにします
でも、一部の天才を除いて勉強だけで人生を生き抜くことは難しいです
仕事で突き抜けることができるのも、ごく僅かです

たとえ、東大に入れたとしても、また競争
たとえ、外銀に入れたとしても、また競争

レースに終わりはなく、99%の人間はどれだけ今は天才に思えても、どこかで挫折を経験します
挫折を味わった時に、仕事や勉強以外の多様な軸を身に着けていると、生きやすいです

それまでは天才だったたのに、東大受験に失敗してからすっかり引きこもりになったみたいな話は、沢山聞いたことありますよね
勉強しか軸がないと、勉強で行き詰った瞬間に終わります


一番良い方法は、勉強以外の何かに熱中させることです
勉強ができて、なおかつ幸せそうな人は、部活や習い事で大体成果を出しています

ひょっとしたら、部活に熱中した分だけ浪人するかもしれません、早慶に合格できたのがマーチになるかもしれません

それで良いじゃないですか。子供が幸せなら
なんなら高卒でもよいと思います。子供が幸せなら

最近、自分の後輩が早稲田を中退して寿司職人に弟子入りしたそうです
私を含めて、両親や友人はずいぶん彼のことを心配しましたが、いざ中退してみればなんの問題もなく修行に励んでいます
東大を2回落ちて、早稲田に入学して、さらに中退までして、世間的に見れば彼は人生の落伍者でしょう

でも、彼はとても幸せそうです
学歴という今まで自分を縛っていたものから解放され、自分の夢を追いかている彼はとても生き生きしていて、最高に輝いています

幸せの尺度はひとそれぞれです
たとえ子供であろうとも、子供なりの価値観や尺度を持っています

世間体や大人の常識を押し付けず、本人の価値観の中での幸せを一番に考えてあげてください

色々書きましたが、難関中学や東大に進学することは非常に素晴らしいことです
その努力ができる人を私は心の底から尊敬しますし、その努力経験は一生の宝です
だからこそ、幸福度が低いのはもったいない
もっと幸せになる高学歴が増えて欲しいと切に願っています

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