【考察】丸井ブン太はなぜ遠野篤京の膝を破壊したのか - ブン太と幸村の関係性から考える【新テニスの王子様】
もうテニプリに関する記事を書く予定はない、などと言っていたわたしですが、早くも気が変わりました。
▼前回の記事はこちら
今回はわたしが『新テニスの王子様』を何度か読み返すなかで、どうしてもずっと引っかかっていたことについて、そして色々考えた末に辿り着いたわたしなりの答えについて、備忘録的に書き残しておこうと思います。
※本編のネタバレを大いに含みますので未読の方はご注意ください。
■君島の「交渉」を跳ねのけた木手、従ったブン太
今回取り上げるのは『新テニスの王子様』9巻、第84話から始まった高校生との代表シャッフルマッチ第3試合。
丸井ブン太・木手永四郎ペア VS 君島育斗・遠野篤京ペアの試合と、その背景として語られたエピソードについてです。
わたしはずっとこの件に関して長らく疑問を抱いていました。
詳しい試合内容や勝敗は今回の肝ではないので省略しますが、「交渉人」の異名を持つ君島によって、ブン太と木手はそれぞれ試合前に彼から交渉を持ち掛けられていました。内容はそれぞれ
木手には「試合中、味方である丸井ブン太を裏切って我々側についたように見せかけてほしい(そしてその隙に遠野の膝を破壊してほしい)」
ブン太には「試合中に遠野篤京の膝を破壊し、再起不能にしてほしい」
というもの。
その目的はいずれも「遠野とのダブルスペアを解消したいから」とのことでした。遠野のプレイスタイルやサイコパスじみた人格に嫌気でも差したのかもしれません。
そしてこれはギブ&テイクの大人の交渉なので、もちろん木手とブン太には依頼と同時にミッション達成の報酬も提示されます。
木手に提示されたのは「あなたを自分のダブルスパートナーに推薦する」。
要は遠野の後釜に据えてあげますよってことですね。
日本代表選手として試合に出られる機会が自ずと増えますし、「沖縄(うちなー)の力を全国に知らしめたい」と願っている木手にとっては悪くない話です。
そしてブン太に提示されたのは「幸村精市の病気を完治させるため、アメリカでの手術を手配する」というものでした。
結果、木手は試合中に君島からの交渉にNOを突きつけ、真っ向勝負で代表の座を獲りにいく姿勢を見せました。
一方ブン太はというと、千載一遇のチャンスを逃すことなく、全力のスマッシュを遠野の膝めがけて打ち込み、君島の意図通り彼の選手生命を破壊しにかかったのです。
遠野はこのせいで一時戦線を離脱することとなり、辛そうにリハビリをする姿が描かれていました。
そして君島は約束通りアメリカでの幸村の手術を手配したのですが、結局は血液サンプルを送った時点で幸村の病気は完全完治していることが判明し(本当に良かったね…)、実際に手術が行われることはありませんでした。
■読後に残る違和感
わたしはずっとこの一連のエピソードについて納得がいかないというか、どうにも腑に落ちずに悶々としていました。
確かに、遠野篤京という男はそのテニススタイルも人物像も、決して褒められたものではありません。
君島がペアを解消したくなる気持ちも分かります(君島は一流テニス選手であると同時に人気芸能人でもあるので、自身のブランディングやイメージ戦略的な意味でも看過できなかったのかもしれません)。
とはいえ、遠野篤京は完全なる「極悪人」や「敵」ではありません。
U-17日本代表として国を背負う優秀な代表選手の一人であり、君島はもちろんブン太にとっても一応は大切なチームメイトです。
常識的な倫理観に照らせば、ブン太のやったことはいかなる理由があったとしても正しいこととはいえません。
そして何より、わたしが旧作からずっと見てきた丸井ブン太は、故意に人を傷つけたり、ラフプレーで悦に浸ったりするタイプの人間でもなければ、「目的達成のためには手段を選ばない」みたいな極端な考え方をするほど冷酷な男でもないはずです。
そしてもっと不思議なのは、ブン太と幸村は同じ立海大付属中のレギュラー
ではあるものの、そのなかでも特に絆が深いといった描写は無く、かといって別に仲が悪いわけでもない、適度な距離感で接しているような描かれ方をしています。
端的に言ってしまえば、チームメイトではあるがあまり絡みが無い二人。
何より、幸村には真田、ブン太にはジャッカルというそれぞれ繋がりの深い幼馴染の存在があり、単純な発想ではありますが、今回のような話を描くのであればもっと適任の組み合わせがあるようにも思えます。
さらには、遠野の膝破壊事件があったあとに、たとえばブン太が自分の行いを後悔し遠野に謝罪するとか、裏でブン太がやったことに幸村が気づいて感謝するなり咎めるなりの描写があるとか、それならまだ納得がいくのですが、わたしが確認する限りでは本編でそういったエピソードは一切描かれないままこの一連の話は幕を閉じています。
『テニスの王子様』『新テニスの王子様』については派手な必殺技や見目麗しいキャラクターたちのことばかりが取り上げられがちですが、原作者の許斐先生は登場人物同士の関係性や心の機微、人物像といった内面の部分を丁寧に、かつロジカルに描くタイプの漫画家です。
先生なら「話の展開上都合がいいから」的な理由でたまたまそこにいるキャラクターに中途半端に汚れ役をやらせたりしないとわたしは信じているので、これには必ず何か理由があるはずです。
そんな思いで何度も読み返しながら考えを深めていった結果、わたしなりのひとつの答えに辿り着くことができました。
この記事はその話がしたくて書き始めたものです。
そして、その話をするためには遠野の膝事件だけでなく、丸井ブン太という人間について、さらに幸村精市と丸井ブン太の関係性について紐解いていく必要があります。
■丸井ブン太という人物
結論から話してしまうと、わたしは今回の件を通して、丸井ブン太は「手放すことができる人」そして「自分にとって大事なものの順序をきちんとつけられる人」であり、これこそが彼の強さと優しさの源泉であるという考えに辿り着きました。
テニプリ読者であれば誰もが知る通り、ブン太は明るい性格で裏表がなく天真爛漫、常に皆の中心にいて、どんな集団にいてもムードメーカー的な役割に自然と回ってしまうような存在です。
その言動はもちろん見た目からも「カッコ可愛い」的な評価を受けており、言わずもがな女性ファンも多数獲得しています。
一方で公式プロフィールによれば、彼は三兄弟の長男という顔も持っており、意外にも二人の弟をもつ「お兄ちゃん」でもあります。その性質は作中でも端々に見受けられます。
入学当初「俺がNo.1の学校でNo.1になる!」と息巻いていた赤也が当時二年生だった幸村・真田・柳にボコボコにされ、腐りまくっていたところをさり気なくアシストして入部に導いたり、U-17合宿にて自身の課題に直面し塞ぎ込んでいた鳳長太郎にさらっと的を射た助言を授けたり。
「お兄ちゃん」らしい面倒見の良い一面が垣間見え、そのギャップに魅了されたファンも多いのではないでしょうか。
さて、兄に限らず長子として生まれた者は、どうしてもさまざまなことを諦めなければならないことが多いです。
弟や妹が生まれれば、どうしても両親は下の子にかかりきりになる。
「お兄ちゃんなんだから」と、弟たちの手前自分の欲をぐっと堪えて、きっとブン太はたくさんのことを諦めて、手放して育ってきたのではないでしょうか。
家での様子や弟たちとの過ごし方はほとんど作中で描写されていませんが、一般的に三兄弟の長男ということであれば、少なからず「諦めること」「割り切ること」「手放すこと」に慣れていると考えることができると思います。
これだけではまだまだ憶測の域を出ないので、もう少し丸井ブン太について掘り下げていきます。
公式プロフィールやファンブックを参照してみて分かるのは、彼が「たくさんのものを持って生まれた側」の人間であり、そのなかでも「大切なものの優先順位を決めて、それに従い手放すことができる」人間であることが分かります。
「持っている側」についていくつかエピソードを挙げておくと、小さなもので言えば学校で出前を取って伝説になったり、自他ともに認めるかなりのゲーマーであるはずの赤也に格闘ゲームで何度も勝利して見せたり。
彼のプレー中の決め台詞「どう、天才的?」が象徴するように、丸井ブン太という人間は「天才」であり「カリスマ」側で、何をやっても大抵人より秀でてしまうし、何をやっても周りの注目を集めて話題の中心をかっさらってしまう人間なのです。
そして「物事の優先順位をつけて手放すことができる」について。これも丸井ブン太を考えるうえで重要な要素になっています。
たとえば、彼はかなりの甘党であり、ケーキやパフェといったスイーツにとにかく目がないというのは有名な設定のひとつですが、甘いもの好きが講じて自らお菓子作りに励んだ結果、その製菓技術は素人レベルを遥かに超越し、ベルギーへの製菓留学の話が来るほどにまでなりました。
しかし、ブン太はこの製菓留学のオファーをきっぱりと断っています。
その理由はもちろん、今はテニスで全国優勝することの方が大切だからに他なりません。
このように彼は決して欲張ったり執着したりせず、冷静に自分にとって大切なものを見極め、合理的な判断を下すことができる人間なのです。
さらに印象的なのが『新テニスの王子様』になってからのU-17合宿。
丸井ブン太には9歳の頃からの幼馴染で、絶対的な相棒ともいえるダブルスパートナー、ジャッカルがいます。
しかしU-17合宿以降、日本代表にジャッカルが選抜されなかったこともあって、ブン太とジャッカルがペアを組んで試合をすることはなく、事実上のペア一時解消のような状況になっています。
このときの二人の心情の描かれ方が非常に対照的で、なんだかずっとブン太の面影を追ってめそめそしているジャッカルに比べて、ブン太はジャッカル不在の事実を冷静に受け止めてガンガンひとりで前に進んでいきます。今回のように木手とのペアも、自分に利があるとなれば躊躇なく受け入れています。
これは別にジャッカルに対して思い入れがないとか、ジャッカルを捨てたとかそういうことではなく、自分自身がさらに成長し高みを目指すために必要なことであれば何であれ受け入れる、なぜなら「もっとテニスが上手くなること」「強くなること」が今の彼にとって最も優先度が高いから、と考えることができます。
(似たようなことが青学の大石・菊丸ペアにも言えると思っていて、だから大石だけが日本代表に選ばれて菊丸が漏れたと考えているのですが、今回の話には関係ないのでまたの機会に)
このように、ブン太は物事や人に対して感情的に執着することが基本的になく、そのときの自分の大切なこと、優先すべきことに照らして合理的な判断をして、まっすぐその方向に進んでいくことができる男なのです。
これは長男(長子)らしさでもあり、「たくさんのモノを持って生まれた“カリスマ”側だからこそ、取捨選択に慣れている者」らしさでもあるといえるのではないでしょうか。
丸井ブン太の公式プロフィールを眺めていると、座右の銘は「食う・寝る・遊ぶ」。どれも形に残らない、その瞬間の喜びや快楽を楽しむものです。
そして好きな本には「マンガ(アプリで読む)」と書かれています。
アプリで読む、とわざわざ記されているところがポイントだと思っていて、つまりブン太は好きなマンガを全巻揃えて本棚にコレクションするとかそういうことにまったく興味のないタイプで、形あるものへの執着がない人間であるということが分かります。
こうした性分にも彼が「人やモノに執着せず、そのときの優先順位や状況によって躊躇なく手放すことができる人間である」ということがよく表れていると思います。
■丸井ブン太を通して見る「幸村精市」像
さて、そんなブン太が幸村の病気を完治させるために、遠野篤京の膝を破壊しにかかったわけですが、ここまでの考察に照らすと、
ブン太にとって遠野の選手生命云々よりも、幸村の病気を治すことの方が優先度が高かった。だからブン太は遠野を手放し、幸村を選んだ。
ということになります。
ここからはブン太の視点を通して見る幸村精市という人物はどんな存在なのかについて考えていきます。
幸村精市はブン太とは対照的に、「大切なモノは何一つ手放してなるものか」と考えるタイプの人間です。
これは幼少期に真田と組んで出場した初めての試合で、真田から「最後まで諦めるな!」と喝を入れられたエピソードも影響していると思いますし、難病に倒れ一時はテニスそのものを永遠に奪われそうになった経験も大きいと思っています。
幸村は2年の冬にギランバレー症候群に酷似した神経系の病気に倒れ、「もう二度とテニスはできないかもしれない」とまで言われ、慟哭していました。
それでも幸村は決してテニスを諦めなかったどころか、3年の夏、全国大会の舞台でコートに立ち、自らの手で三連覇を勝ち取る未来を手放さず、優勝こそ叶わなかったものの、見事に最前線に舞い戻って見せたのです。
別に高校生になってからでも、大人になってからでもテニスはできるのに。
これは「冷静に状況と優先度を判断して合理的に取捨選択をする」人間であるブン太には到底できないことです。
人間は自分に持っていないものを持っている人に対しコンプレックスを抱くようにできている生き物であり、そしてコンプレックスは憧憬へと姿を変えます。
幸村のテニスへの強い執着と奇跡的な復活劇を目の当たりにして、ブン太はきっと強烈な憧れと畏怖の念を抱いたことでしょう。
「大切なモノは、何があっても絶対に手放してなるものか」と考え行動することができる幸村に、「手放すことができる」側の人間であるブン太が、「絶対にテニスを手放してほしくない」と思った。
だからブン太は自らの手を汚すことになっても、君島の交渉を受け入れて遠野の膝を打ち抜くことができたのではないでしょうか。
補足的な話になりますが、幸村の趣味はガーデニングで、特技は水彩画です。
ガーデニングは甲斐甲斐しい世話のプロセスの先にある開花という「形」を楽しむ趣味であり、絵画を描くことも同様、それなりの時間を手間をかけて試行錯誤し、満足のいく作品を仕上げ、その作品を「形」として残し楽しむものです。
こうした幸村の趣味嗜好もブン太のそれとは対照的であり、ブン太から見た幸村は「自分にできないことができる」「自分とは違う考え方を持っている」「自分には理解ができない=もっと理解したい」存在として写っているのではないでしょうか。
(ちなみにブン太の公式プロフィールの苦手なことの欄には「絵を描くこと」と書かれています)
何が言いたいかと言うと、丸井ブン太は幸村精市の強火オタクであるといえるのではないか、ということです。
頓智気な表現になってしまって申し訳ないのですが、これ以上に的確にこの関係性を表すことのできる言葉が思いつきませんでした。
先にも述べたように、幸村とブン太は同じ立海のチームメイトでありながら、特別仲の良い描写は無く、どちらかというと他のメンバーよりも少し距離があるような関係性に描かれています。
これはブン太が幸村のことを「幸村君」と呼んでいるところにもよく表れていると思います。
ブン太は端的に言ってしまえば「陽キャ」であり、気難しい性格であまり他校の人間と関わろうとしない木手永四郎のことを「キテレツ」と読んだり、自分を慕ってくれる氷帝の芥川慈郎のことを「ジロ君」と呼んだりと、相手との距離感や自分の思惑に応じてオリジナルのあだ名で呼ぶことがしばしばあります。
そして同じ立海の同学年メンバーのことは「真田」「柳」「仁王」といったように基本的には全員苗字呼び捨てです。
でも、なぜか幸村に対してだけ「幸村君」と君付けで呼ぶのです。
これに関してはさまざまな考察が飛び交うところだと思うのですが、わたしの結論は先程も述べた通り「ブン太は幸村の強火オタクである=憧憬と尊敬というフィルターを通して幸村を見ているから」だと考えています。
ここで急にわたし自身の話をしますが、わたしは幸村精市というキャラクターが全テニプリキャラのなかで1、2を争うくらい好きです。
そしてこの記事中では便宜上「幸村は・・・」というように苗字呼び捨てで書いていますが、普段口頭で彼の話をするときには「幸村精市さん」とフルネーム+さんで呼んでしまいます。わざとではなく無意識に。
これと同じような現象で、憧れが強すぎるがあまり、ブン太は幸村のことを「幸村君」とつい距離のある呼称で呼んでしまうのではないかということです。
大谷翔平のことを一般人は「大谷」と平気で呼び捨てにしますが、実際に彼と関わりのある人など距離感の近い人ほど「大谷くん」「大谷さん」「大谷選手」と呼んでしまう、みたいな。
ブン太と幸村の距離感が絶妙に遠いように見えるのは「推し」と「ファン」に近い関係性だからであり(それ以前に彼らはチームメイトなので実際もう少しフランクな関係ではあるとは思いますが)、なぜかというとブン太は幸村に対してコンプレックスと憧憬の念を抱いているから、というのがわたしの考えです。
こう考えると、『新テニスの王子様』31巻~32巻にて繰り広げられた幸村VS手塚戦にて、試合中にブン太が何度も拳を握りしめて「幸村くん!」と声を上げて応援し、「あんな清々しい幸村くん、久々に見るだろい」と驚き、試合中に君島から幸村の完全完治を聞かされた時にはその目に涙を浮かべ、惜しくも手塚に敗れて戻ってきた幸村に(真田や柳を差し置いて)真っ先に抱き着いていたすべての言動に納得がいきます。
(手塚戦でのブン太の言動に着目して読んでみると、明らかに登場回数や発言回数が多く、誰より高い熱量でブン太が幸村を応援していることが分かるので、是非既読の方ももう一度読んでみてください)
■手放すということ
遠野の膝を起点に、まさかここまで幸村とブン太の関係性について深く考えることになるとは思ってもいませんでした。
でもそのお陰で、わたしはずっともやもやしていたブン太の膝スマッシュにも、その後の後悔や和解のエピソードがないことにも、すべて納得がいく答えを得ることができました。
繰り返しにはなりますが、「諦めること=手放すことができる人間」であるブン太が、「何一つ諦めないことを選べる人間」である幸村に対し、「何が何でもテニスだけは手放してほしくないと思った」ことがとても美しい動機付けだと思います。
だからこそ、このとき手を汚すのは真田でも柳でも赤也でもなく、丸井ブン太でなければならなかったのです。
「結局遠野が可哀そうじゃないか」「ブン太は冷たい人間だったのか」と言われてしまいそうですが、それも少し違うと思っていて、ブン太は手放すことができるから誰に対しても優しくあれるのであり、さまざまなものを的確に手放すことで彼は強く聡く生きてきたのです。
何かを選ぶということは、何かを捨てるということと同義です。
丸井ブン太はただの天真爛漫なおちゃらけキャラではなく、それがきちんと分かっている男であるということです。
ラフプレーを肯定したいわけではなく、遠野に関して言えば確かに気の毒ではあるのですが、その裏にあるブン太の思いや考え方を理解することで、このエピソードを必然として消化することができるのではないでしょうか。
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