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発達障害が仕事を転々とする理由

 年末に1年続いた仕事を辞めました。筆者は1日〜3ヶ月程度でいつも辞めるのがお決まりでしたが、今回は前職の経験もあったので仕事内容に関しては全く問題なく、むしろ楽しくやっていたつもりでした。

 店長から仕事にケチを付けられることが増えたなぁと思いながら冷静に流していたんですが「早くこっちの作業も手伝えよ!」という言葉についにカチン。その日も2時間早く出勤し時間内では終わらない分の仕事をしてから(タイムカード外)本作業に入っていました。

 やってもらって当たり前になってたのか知りませんが、そういう状態になったら人間もう終わりだなと思ってそのまま辞めました。

 プライベートでイライラすることがあって当たられてた説もあるし、筆者の仕事のやり方にイライラが募っていた説もあるがそれはお互い様。


ブラックシープは誤魔化せない

 筆者以外の発達障害者を見ていても感じたことですが、仕事自体は慣れてしまえば人並み以上に出来たりする。初動でケアレスミス連発してクビになることさえ乗り越えればひとまず軌道に乗ることは出来ます。

 発達障害は余計な言動が多い、無意識にマウントをとる、メンタルブレイク起こしがち、なのを踏まえてとにかく寡黙に丁寧に冷静にを徹する。同僚すらも”お客様”という意識。

 そこまで意識してても時間の経過と共に定型発達者から”異物”だと見破られる。その瞬間から周りの人間すべてが異物を排除するフェーズになる。そうなるともうコミュニティには居られない。

 これが発達障害者にありがちな職場を転々とするプロセス。


羊の皮を被った定型発達者

 発達障害者のこうした行動について定型発達者からは「無責任で子供じみている。そうなって当然の言動をしてきた報いである」という意見で占められるが、では定型発達者は同じような場面に直面した際どのような対処をしているのだろうか。

 彼らは特別に能力が高いわけでもコミュニケーション能力に長けているわけでもない。波長が合わない個体を本能的に排除して住み良い環境にしているだけである。白い羊の群れの中に黒い羊がいれば除ける、それと同じこと。

 発達障害者は羊の皮を被ったオオカミの群れから離れるのと同じようにコミュニティから去っているだけである。命を守るため、生物として当たり前の行動なのだ。発達障害者はタガが外れると反社会的な反撃をしてしまう者もいる。それをわかっているから定型発達者とは戦わずに黙って去る選択をするのだ。


自分で自分の首を絞める定型発達者

 どうにかして一般社会に溶け込めないかと抗ってはきましたが、筆者の主治医からも「そろそろ生活保護を考えた方がいい」と言われ、もう10年ジタバタして無理だったしそれも有りかなと思っています。

 定型発達さんが渾身の意地悪で私たちを社会から除外しても結局あなた方の税金で養うことになるんです。ならば争わずに一緒に楽しく働きましょうよ…

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