うらめしや、ならぬ、となりめしや
父の五十日祭のために、また実家に帰っています。
五十日祭というのが、聞きなれない人もいるかもしれません。神式の葬儀では、仏式でいう四十九日の法要を「五十日祭」と呼ぶのです。
ちなみに、三日七日の法要は「十日祭」、
一周忌は「一年祭」
神様のもとでは、人の生き死には、全て祭。
そういう捉え方をする神式の葬儀が、私は結構好きです。(葬儀に好きも嫌いもないけど)
神式の法要は、あっという間に済んでしまうのも良いです。あっさり終わって、時間が余ったので、みんなでラーメンを食べました。
わたしの文章をよく読んでくださる方は、また、ラーメンかよ!と思われるかもしれません。確かにわたしもそう思います。父だけでなく、わたしの家族はみんなラーメンが好きなのです。
で、そのラーメン屋は家の隣にあります。
近所、というレベルではなく、本当に本当の隣なのです。壁と壁がくっつきそうなくらいの、正真正銘の隣です。
そして、ラーメン屋というのは少し語弊がありました。ラーメンもあるし、ハンバーグもあるし、ナポリタンもある、何でも屋みたいな感じです。佇まいは昭和の喫茶店風。
実際、昭和から続いている店なのですが。
その店に、わたしは多分、十年以上行ってなかったのですが、一歩足を踏み入れると昔と全く変わってない店内に感動すら覚えます。
ラーメンにハンバーグ。クリームソーダ。
全く変わってない味にこれまた感動です。
子どもの頃から、数えきれないほど、繰り返し繰り返し食べた味。もはや飽きるを通り越した、当たり前の味。
少ししょっぱくて、胡椒が効いてて。
(実は我が故郷は、塩分過剰摂取ワーストワンの県なのです。きっと、みんな塩辛い味が好きなのでしょう。)
父もよくこの店に行きました。
それなりに長く生きましたから、多分、わたしよりたくさん行ったでしょう。
天国できっと、私たちがこの店で食事をしている姿を見ているはずです。
幽霊の決め台詞(?)といえば「恨めしや」ですが、亡くなるまで、母に甲斐甲斐しく世話をしてもらった父に「恨めしや」なんて言葉はないと思いたいです。
「うらやめしや〜、じゃなくて、隣飯屋〜」
元気だった頃の、父のお得意の駄洒落を、天国でも披露して欲しいなと思いました。
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