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前回の記事で国連などの国際機関で働きたい、と決めてからは、どのような機関があり、どのようにしたら国際機関で働けるか、という本を読みました。そこで学んだのは大学院卒業が必須、英語プラス他の途上国で使う言語もできると尚更良い、そして専門性を深めるべき、とのことでした。

高校の先生には日本の大学に行くように勧められていた中、日本の受験勉強で文法重視の英語を勉強してもあまり役に立たなそうだ、かつ若い今だからこそ英語で学んでたくさん勉強したいと思い、アメリカの大学を目指しました。また日本の大学では大学に入る前に専攻を決めなくてはならない大学が多く、私はもう少し興味のあるものを色々と探求してから専攻が決められるアメリカの大学のスタイルに興味がありました。

当時はインターネットもあまり普及していなかったので、調べられる情報も少なく、留学支援をしていた栄陽子留学研究所に入って留学サポートをお願いすることにしました。初めて行くアメリカだったので、面倒見の良い小さいリベラルアーツ(教養学)の学校を勧められ、その中で色々とカタログなどを取り寄せて学校について調べました。

また、アメリカの大学の学費はとても高かったので、奨学金も応募できないかと思い、色々と奨学金の機会について調べたところ、当時はグルー・バンクロフト基金とウェズリアン大学のフリーマン奨学金が私に合いそうだったのでそれに応募することにしました。

アメリカの大学に行くための準備としてはTOEFL、SAT(数学と英語の試験)を勉強し、エッセイを書き、推薦状をもらう必要がありました。高校の成績は良かったので、それをキープしつつ課外活動の剣道部の活動の継続、学級委員、運動会や音楽会の指揮者、などのリーダーシップ経験も積みました。

アメリカの大学受験は人間性全体を見て判断するので単に成績が良いだけではダメでした。自分を理解し、自分の意見を持つことも重要でした。私はあまり反抗期がなく、いわゆる優等生型で、のんびり過ごしてきていたので、自我を確立しておらず、意見を持っていない自分がいるのに気づきました。そのためエッセイを書くのが一番大変でした。これは後々アメリカの大学に留学してからもそうでしたが、自分が何を考えているのかいつも問い続けなくてはならず、それが大変でした。ただ、繰り返しているうちに、色々な世界の出来事について問題意識を持てるようになりました。

ここがもしかすると、「自分で考える力」というのが、今日本の教育に足りなくて、近年探求学習などを通してだんたんと子供に身につけさせてようとしている能力なのかな、と思います。インターネットやAIの発達でどんどん自分でなくてもできることが増えていくないか、デジタルに使われず、使えるような自分で考えて判断できる力が今後重要になってくると思います。

TOEFLとSATの勉強はとりあえず単語帳1冊暗記、英語のラジオを聴いたり、テスト専用の塾に行ったりして点数をとりました。SATの英語のスコアは留学生はそこまで関係ないので、英語の点数はよくなかったのですが、数学は頑張って満点近く取り、TOEFLで英語を見てもらうということで応募しました。

私が興味があったのは、国際関係論、開発経済を学べる学校、そして高校の頃インターFMにハマって、プレゼントを当てたり、DJに会ったり、インターFMで歌ったり、などしていてラジオDJにも興味があったので、ラジオDJにもなれるような課外活動ができる学校を探しました。その結果、10校程出して、3校受かりました。奨学金も面接まで行ったのですが、両方とも落ち、フリーマン奨学金は補欠でした。ただ、フリーマン奨学金のレセプションパーティへの参加によってWesleyan大学の先輩に会い、とても素敵な方が多くて、このようなコミュニティーに入りたいと思い、奨学金には落ちたものの、Wesleyan大学に行くことにしました。高い授業料を捻出してくれた父
には感謝です。

また、Wesleyan大学に行くフリーマン奨学生で英語に問題がある人はイェール大学の英語研修に夏に参加していたので、私も同様に参加することになりました。これは長年貯金していたお年玉で一気に支払うことにして、自己投資をしました。3月に高校を卒業した後、日本文化を学ぶため祖母にお茶を習ったり、バイトでお金を貯めたりしながらサマースクールに備え、いよいよ日本を発つことになりました。



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