大河の一滴にすぎない
いつも読んでいただき
ありがとうございます。
管理人のさおりんです。
聖書の中に出てくる聖句の中に
こんな文章があります。
わたしはぶどうの木、
あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば
その人は豊かに実を結ぶ。
(ヨハネによる福音書15章5節)
瀬戸内海の鞆の浦で朝早く一番高い場所
で眼下に広がる美しい海を眺めながら
静かに座り、上の聖句を思い浮かべながら
瞑想をするのがわたしの夢の中の1つです。
ぶどうの木と表現されるのは私たちの生命
の大本である神、大宇宙の根源です。
私たち人間は一見バラバラに存在している
ように見えても、それぞれの枝が
1本の幹で繋がっているように、
すべての人たちは深い部分で
お互いに結び付いて生きています。
瞑想を続けてしばらくすると、穏やかな
海に朝日が昇り始めるでしょう。
1波がスッと立ち上がるかのように、
1本1本美しい陽光を浴びてキラキラと
輝いて見えます。
ある友人は、
大海の上に無数の光の柱が立っている
のが見えて、
ああ、人はこうなんだ。
波のひとつが光り輝いて、
すべてが大海と繋がっていると思うと
言葉にならない感動が湧きあがった
そうです。
さらに作者の国木田独歩さんが一生を
とおして求めたものが、このことばに
言い表せています。
勝ち負けや損得といった世の価値観に
振り回されている自分が、
真夜中にふと1人の人間に立ち返った時、
そういうエゴが消えて、自分も他人も
ともにこの世に生かされている存在という
思いがしみじみ湧いてくるといいます。
1人ひとり個性も違うし置かれている
環境も違うけれども、
すべての人は天の一方地の一角に
生を享けて、1つの天に向かってお互い
に助け合いながら歩み、
やがて無窮の天に帰っていく存在です。
そう思うと、
人がたまらなく懐かしくなります。
作家の志賀直哉さんもまた、
ナイルの水の1滴でも同じようなことば
を述べています。
人間ができて、何千万年なるか知らない
が、その間に数えきれない人が生まれ、
生き、死んでいきました。
私もその1人として生まれ、
今生きていますが、例えて云えば
悠々流れるナイルの水の1滴のようなもの
で、その1滴は後にも前にもこの私だけで
何万年遡っても私はいませんし、何万年
経っても再び生まれてはきません。
しかもなお、その私は依然として
大河の1滴にすぎません。
それで差し支えないのです。
この世界は、一見、弱肉強食の醜い様相
も呈しています。
多くの人たちは
・自分さえ成功すれば
・自分さえ楽な生活ができれば
と目の前の欲望に翻弄されて空しく人生
を終えていきます。
しかし、いかにエゴむき出しで生きる人
であっても、大宇宙の奏でる調べは、
ちょうど琵琶湖の音色のように、
すべての人々の心に届いているのです。
志賀直哉さんが言うように、私たち人間
は大河の1滴にすぎません。
しかし、はかない存在のように思えても
その根底は大宇宙に繋がり、1つの命を
分かち合って助け合って生きる存在で
あることを忘れてはいけません。
そのことを知り、
大河の1滴で差し支えないと満足する
ところに、幸せを掴むヒントがあります。
生かされた命に感謝し、
お互いに助け合っていきます。
いまの厳しい時代は、そのことを学ぶ
大切な機会なのではないかと思います。
ここまで読んでいただき
ありがとうございました。
管理人のさおりんでした。
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