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ショート・ストーリー~夜を駆ける

「私たち、赤い糸で繋がってるのよ」

彼女は別れ際に、必ずこんなことを言う。次に会う日までの、僕を縛る言葉だ。

そんなことあるもんか、とも思うし

そうであってほしい、とも思う。

僕はいつものように、「そうならいいね」と答える。彼女は安心したように微笑み、キスをする。

そして僕たちの時間は終わる。

ひとつの儀式のようなものかもしれない。


帰りの車では彼女はあまり話さない。遅くなった言い訳を考えているのだろう。

彼女の自宅より手前の、閉じた工場の前で車を停める。

「あなたが他の人のものなら、どんなにいいかと思うの」

彼女には家庭があり、僕にはない。それを彼女は不公平だと言う。

「そうしたら、私たちは同じになれるのに」

歪んでいる。でも、それで彼女が楽になるならいいかとも思う。

「じゃあね」

彼女が車のドアを閉める音が、やけに乾いて聞こえた。

走りはじめてから、僕はラジオのボリュームを上げる。何でもいいから人の声が聴きたくなった。

部屋に戻った時の孤独は、僕を痛め付ける。じわじわと、でも確実に。


こうやって、月に2回の逢瀬を重ねるようになってから2年だ。

2年。

短いのか長いのかは僕にはわからない。

ふわふわの髪、茶色い瞳、軽やかな笑い声。仕事をしている時の彼女はとても輝いている。

強い光を放つ者は、同時に深い闇を抱えているのが常であり、彼女もまたそうだった。

いろんなところに傷がある人だ。

柔らかな肌の上にも、心にもそれはあった。

まるで、その傷が彼女の本体であるかのような傷口。

そんな彼女を僕は愛した。彼女の気持ちは正直わからない。

わからなくてもいいのだ。

彼女の闇を僕は呑み込む役割なのだから。



赤い糸でなくてもいい。
頼りない、細い細い糸でかまわない。

切れずに、ずっと繋がっていたい。


それが僕の願いだった。


着信音が鳴り、彼女からのメッセージが浮かび上がる。まだ、会う周期ではないはずだ。
なにかあったのだろうか。

「逃げたい。今すぐ」

僕は全てを悟った。

手早く荷物をまとめ、僕はいつもの工場までスピードを上げる。

いてくれますように。

きっと着の身着のまま逃げてくるだろう彼女が、無事にたどり着けていますように。

僕はただただ、夜の街を駆けた。


夜を駆ける/スピッツ











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