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ショート・ストーリー~僕は父になる

僕は、今週父親になる。男の子らしい。

こども?俺の?

妊娠を告げられたとき、思わず彼女に言ってしまった。

当たり前だが、めちゃくちゃ怒られた。

実家に帰られて、連れ戻しにいった。彼女の両親にも平伏して謝った。

ピンとこなかっただけで、他意はなかったのだけど、それでも言ってはいけない言葉だった。

彼女はもっと、僕が大喜びすると思ったらしい。結婚2年目の妊娠。

当たり前だ。

そのときの彼女の失望を考えると、今でも申し訳なくて胃のあたりがきゅっとくる。

「あなた、そもそも人に興味ないから」

そのとき彼女は泣き腫らした目をふせて、独り言のように呟いた。


それは僕に向けての言葉ではなかった。

彼女は、自分の人生の何かをそこで諦めたのだろう。


ずきん、と心が疼いた。

そうじゃない。そんなんじゃないんだ。

大声で叫びたかったけれど、自分の感情を言葉にするのが苦手な僕は

結局沈黙で終わらせてしまった。


僕は僕なりに、この結婚に向き合っている。


ただ、慣れてないんだ。

両親から、溢れる愛を注がれて育った彼女には自然と人が集まってくる。

人付き合いもうまく、自分の感情を堂々と伝えられる。いつもきらきらしている。

新居には毎週のように
彼女の世界からの来訪者がやってきて、なにやら楽しそうに話して帰る。

僕はその世界を邪魔したくなくて、仕事を入れたりわざと買い物にいくのだ。

それも彼女は最初、
なんでいっしょにいないの、あなたの家でしょう、となじった。

僕の家。

ここを僕の家と言ってもいいのだろうか。

僕の部屋ならわかる。

だけど、家と言われるとそれは違和感があった。


要するに、眩しすぎてどうつきあっていいかわからないんだ。

僕は、あまり家族との縁が濃くはない。

それぞれが、好きなことをして暮らしていて干渉しない。それが僕の家族。

今までは、彼女の世界と僕が重なるのは週末のひとときだけだった。

両親からの干渉、妹との口喧嘩やいろんな友達の話を僕は笑顔で聴いた。

そこには、人と人が行き交う賑やかさが溢れていた。
なんやかや言っても、そこにベースとしてあるのは愛情だ。

ホームドラマを見てるようで楽しかった。

それは彼女の日常であり、僕のものではなかったから。

籍を入れ、近親者だけの御披露目をした。

引っ越し、ぎこちない生活が始まったと思ったら、

今度はこどもができたという。

彼女は仕事を辞め、新しい命との日常を大切にすると言った。もちろん、なんの異存もない。


彼女のぶんまで、稼がなければ。

しっかりしなければ。昇格試験も今までは無視してたけれど、今後は受けなければ。

僕のなかでの義務感が、ますます僕を無口にした。

彼女は不安を募らせる。

その悪循環のなかで、
彼女はどんどん母になっていく。

お腹もふくらみ、神々しい光まで加わった。


ますます、僕は何を話せばいいのかわからなくなっていた。

「じゃあ、私行くから。荷物だけおねがい」

「うん」

僕は旅行バッグを手に取る。帝王切開になるので、もう三日後には生まれてくるのだ。

この、おなかにいる僕たちのこども。

「いま、病院もコロナ対策で厳しいから、ロビーで帰ってもらわないといけないかも」

「うん」

頭はぐるぐると回っているのだが、言葉にならない。何か言わなければ。

彼女は、ふう、とため息をつきスニーカーを靴箱から出す。

その後ろ姿を見たとき、
僕はとっさにバッグを放り出し

後ろから抱き締めた。

なぜか、もうこの時を逃すと一生できない気がしたから。

こんなこと、人生のなかで初めてだった。


「俺、ほんとに今幸せだから。お前と、子どもと。
がんばるから、俺」

文法もめちゃくちゃだ。自分でもなに言ってるかわからない。

でも、これだけは手放してはいけない。

今でなきゃ、だめだ。


彼女はきょとんとしていたが、ぽろぽろと涙を流した。

「今ごろ言う?それ」

久しぶりに見た、彼女の笑顔。

そうだ。笑うときに目じりがきゅっと下がるこの表情が大好きだったんだ。

「あ、この子いま蹴った」

彼女が幸せそうにお腹をなでる。

「焼きもちやいてるんだろうな」

僕と彼女は、ひさしぶりに

声をたてて笑った。

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