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身の丈以上の機器を扱う恩恵と代償

痛い目を見ないと、人は学ばない。あの日もしすり抜けたとしても、私はいつか必ず事故を起こしていただろう。あれがもし高速道路だったら。そう考えるとぞくりとする。高い授業料を払ったと思って、むしろ感謝したい。

あの日、事故がなければ数分後に会う予定だった友人から、「ごめんねあの約束がなかったら」と言われた。断じて、そうではない。自分の予定の組み方にそもそも無理があったのだ。

家が職場から遠いので、夜勤明けの日に用事や予定をギュッと詰め込んで、翌日の休日は家でゆっくりしたい。そう思って、明けの日はいつもタイトに予定を入れていた。

夜勤の疲れ具合はお産次第だ。暇で仮眠をバッチリ取れる日もあれば、16時間の勤務中、息をつく暇さえなく動き続けないといけない日もある。仕事中や、勤務直後はアドレナリンが出ているので元気だが、調子に乗って活動していると午後にぐっと死ぬほど眠気が押し寄せる。そのことは経験上わかっていたのに。

あの日も、無理を押して予定を詰め込んだ。夜通しのお産で、そういえば朝からめちゃくちゃ眠たかった。でもがんばれば、いける。そう思った自分は、本当にばかだった。そんな賭けのようなことを押し通した結果が、今回の事態だ。

事故の多いあのカーブでは、人が亡くなったこともあるらしい。職場の方の知人も、あそこで人を巻き込んだ事故を起こして新聞沙汰になったらしい。知人のお子さんは、山陰道(鳥取—米子を結ぶ無料高速道路。私も毎日乗っている)で居眠り運転をして正面衝突して命を落とした。

こんなに怖い事故が、ニュースや新聞上ではなくこんなに身近に起こっているのに、私はどこか人ごとのように感じていた。私は大丈夫。なぜかそんな風に思っていた。山陰道でうとうとしたことも数あるが、ここまで危機感を持っていなかった。今まで、何回も命を落としかけていたのだ。

今回の事故で、200万近いお金が動いている。しかし、自分の手出しはほぼゼロに近い。本当に保険に救われた。お金ってこんな風にまわっているのか。適当に聞いていた保険のオプションも、今回の件で身をもって理解した。見直しも検討しよう。

トラウマのように、ふとした瞬間に蘇る恐怖感。あの事故直後の異様な静けさ。それは、調子に乗るなと警鐘を鳴らすサインだ。自分を過信せず、無理はしない。私は、自動車という、自分の身の丈以上のパワーとスピードを兼ね備えた機器を操縦しているのだから、気を抜いたら、人や自分に返ってくるダメージも自分では抑えきれないほど膨大なものなのだ。

それを肝に銘じながら、今日も私は車を運転する。

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