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チューニング

年末年始の1週間を、実家で過ごした。

この4年間、1週間も実家に泊まることなんてなかったものだから、本当にひさしぶりだ。最初は嬉しくて仕方なかったが、すぐに窮屈になった。上げ膳据え膳でご飯を用意してもらえるのはありがたいが、なにせ時間が決まっている。気ままな一人暮らしに慣れた私は、焦がれていた「家族時間」にすぐお腹いっぱいになった。家族に顔を見せる、自分も家族の時間を味わうには1泊2日…せめて2泊3日で十分だ。そう思い、この後続く実家生活に憂鬱になっていた。

いろいろなことが気になる。部屋がごちゃごちゃとして、絶対に使わなそうなものが部屋の良い場所に置いてある。一人になりたくてもなかなかなれない。常に家事をやっている母には気を遣う。常に「みんなで」行動する。わーこれは無理だと思った。私以外の家族に流れている時間に私だけがついていけないような疎外感も感じた。私の居場所はここじゃない。何度もそう思った。

しかし、時間を重ねていくうちに、少しずつこの家での時間の流れやルーチンがわかってきた。朝は8時頃起きて、朝ご飯は8時半ころ。焼いた餅に海苔と醤油をつけるのは祖母の仕事で、祖母はその仕事を張り切ってやってくれる。食事の後の薬の内服では、水を用意して粉薬をはさみで開封して渡せば祖母は自分で内服できる。しかしよく見ていると、一粒錠剤が転げ落ちたり粉薬が半分以上袋に残っていたりするのでチェックが必要だ。朝食を食べた後にコーヒーかお茶を飲み、少しお菓子をつまむ。一通りそれらが済むと祖母はトイレに行き、用を足す。その後少し椅子に座ったあとは、のそのそと自分のベッドへ潜り込み、寝る。テレビはつけても全く見ずに、音を聞いている。そんな92歳の祖母を中心に、我が家の生活は動いている。

母の心配事は皆の食事で、朝食が終われば昼食のことを、昼食が終われば夕食のことを考えている。出かけるならば早めに伝えれば、そのように母の予定に組み込まれてうまくいく。気分でぎりぎりに行くか行かないか決めることは、母にとって落ち着かないようだ。

こうやって、この家の時間は流れているのか。なるほどなるほど。

流れがわかれば、自分もそれに対してチューニングができる。家族時間と割り切ってずっと同じように行動しようと気を張っていたが、ひさしぶりの東京、自分の意志も伝えてみようと試みた。元旦に墓参りと初詣からのドライブで大分家族時間を味わえたので、今度は自分の買物の時間も欲しいと思った。そこで、今日のドライブは遠慮して買物に行きたい、でも夜には帰ってくるから夜ご飯は一緒に食べたいと言ってみたら、採用された。ちゃんと伝えれば、伝わる。チューニングしていけば、私の居心地悪さも軽減していった。きっと、家族から見た私の協調性のなさも少しはましになったと思う。

これは、1泊2日や2泊3日で、期間限定のイベント事と割り切って無理して過ごしていたのではわからなかった気づきだと思った。合う、合わないではなく、傾向を知り、チューニングしていく。それが家族ってものなのかと思った。面倒臭いし窮屈ではあるけれど、当たり前に「ただいま」と帰って、「おかえり」と自分を迎えてくれる家があることを、とてもありがたいと思った。

家族ってなんだろう。それが知りたくて助産師になった。毎日がケーススタディで、いろいろな家族の形を見て来たけれど、一番見つめ直したい自分の家族との関係は、どうしても素直になれずないがしろになってしまう。1週間という長い期間を半強制的に実家で過ごすことは、今の私にとって良い機会だった。あんなに憧れていた一人の時間が、嬉しくも寂しい。

今日からまた、鳥取でふつうの生活が始まる。