見出し画像

一緒の時間は、思っているよりも短いのかもしれないから

先日、次男は2回目の誕生日を迎えた。

週末の昨日は、お祝いのご飯とケーキを作った。長男と一緒に。

長男が大きくなってからは、家の中で楽しむ手段の1つとして、家族が誕生日のある週の週末は一緒にケーキを作るようになった。

いつの間にやら、休みの日を過ごす恒例のアクティビティになっている。

ケーキにデコレーションをする長男

次男の好きなアンパンマンは、私がチョコペンで作成。不器用なため、2回くらいやり直してなんとか完成した。

「ママ、手先が不器用だからね。チョコペンとかで文字を書くのが苦手なんよね。あ、また失敗したー!」と、長男に笑いながら伝える。

「まぁ、難しいよねぇ。あ、でもコレはいい感じやん!ママ」

と長男は軽やかに返事をする。

(共感する相槌も言えるようになったのだなぁ)

ささいな一言に、我が子の成長を感心する。

完成したケーキ。長男がカラフルに仕上げた。


私は、自分が得意ではないこと、失敗した姿も子どもには敢えて共有することにしている。

そして、一緒に考えて改善し、うまくいったら子どもと喜ぶようにしている。

「完璧にできなくていいよ、ママでも、大人でも苦手なことや失敗はあるよ」を、言葉ではなく姿で伝えたいからだ。

長男は来月で小学生だ。

「ママは、100点取れることあった?0点とかはあった?」
「マラソンの順位は早かった?」

など聞いてくることが増えた。

楽しみな反面、彼なりに不安もあるのだろう。

私は正直に、苦手なことやできなかったこと、得意なことを伝えたら、「え、そうなんだ!」と少し安堵した表情を浮かべていた。

「ママも人間だからねー」

「大丈夫だって」

「ママはこれ苦手だから、得意なパパに聞くといいよ!」

「ママがもし、長男くんに間違ったことや嫌なことを言ったら、伝えてね。謝るからね」

とも伝えている。

育児って、何が正解か良き対応なのかがわからない。子どもの性格によるし、教科書通りの対応がいいとも限らないから、毎回手探りだ。

年齢によって、新たな課題や問題も発生する。

「私は母親に向いていないな」とも冷静に何千回も思っているし、今後もその回数は更新するだろう。

それでも。

わたしは、この子達のたった1人の母である。

自分とは異なる違う人格の人間として、責任を持って、真摯に向き合う姿勢でいようと思う。

2歳のイヤイヤ期に入る次男と、小学生になる長男。まだまだ、手がかかる時期だ。

今日、長男は近所の同級生達と楽しそうに、初めて家の中で遊んでいた。

そこでふと、感じたことがある。

「そっか、親と子が一緒にいる期間って、実は短いのだなぁ」と。

人生80年、90年とすると、子どもと過ごす期間のほうが短くて、主人と過ごす日々のほうが長いのだ。

(わたしは、今、貴重な時間を過ごしているのだなぁ)

ずっと今が続くように錯覚してしまうけれど、もう数年もしたら、親よりもお友達と過ごす時間はもっと増える。いつの間にか学校を卒業して、巣立って行くだろう。

自分の時間は増えていくし、自由に動ける時間も増えるはずだ。

そんな自立を目指して毎日関わっているし、子の成長はこの上なくうれしいはずなのに。

明るい日差しと暖かい気温とは裏腹に、少しだけ寂しさも感じている3月末だ。

後悔なく、毎日を大切に過ごしたい。

我が子に対しても、家族以外の人に対しても。

自分の周りにある、人・環境・モノとは、一緒に過ごせる時間は思ったより短いのかもしれない。
だからこそ、毎日後悔なくそれらと向き合い、なるべく丁寧に関わりたい。

あらためて今日、決意した。

この記事が参加している募集

休日のすごし方

育児日記

最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。