見出し画像

昨日の朝の時間が心地よかったので書いておきたい。
土曜の朝9時半、オンラインで行われるゆるーいおしゃべり会に参加した。
本屋アルゼンチンの『教授の本棚』に参加して、送ってくれた本の持ち主である南先生(みーさん)も参加する会。

8時前に起きた寝ぼけまなこは、なぜか珈琲もカフェオレも両方淹れてzoomに入った。zoomに入ると、一昨年の「ほぐす学び」で共に学んだ顔ぶれに、嬉しくなった。

みーさんの自己紹介がはじまると、一気に本屋アルゼンチンワールドに引きずり込まれたーー。
「声、聞こえますか」
何十年も前にみーさんが行った中島みゆきのLIVEの話。床の敷物に座り、なんでもないコップには酒が入っている。
歌う前に中島みゆきがお客さんに向けていう。「声、聞こえますか?」

みーさんは、今、zoom越しに全国に散らばっている参加者にいう。
「声、聞こえますか?」
伝わってるのか伝わってないのか、わかっているのかわからないのかもわからないけど。こうして繋がっている。

16歳のみーさんが手に取ったフロイトの本の話。その時のみーさんが、今もここにいる。


本屋アルゼンチンから送られてきた本との出会い。
ピンポーン、ある日、箱が届いた。
なにが入っているのかわからない箱を受け取るワクワク感。
いつぶりだろうこんな気持ち。

自分では買うことのない本との出会い。偶発的な出会いを楽しむ。
手元に届いた本と過ごして1カ月が経とうとしている。


みんなどんな時間を過ごしてきたのか。どんな本が入っていたのか。読んだ本があるのかないのか。本を読んで感じたことなどを、小グループに分かれてシェアする。

それぞれに届いた本をみんなで覗く。
おー、あー、それ気になるー。声が漏れる。

私が読み進めることができた本は、小田 実 「われ=われの哲学」だった。印象に残って、自分の言葉にして人に伝えることができる箇所を共有した。『人の行為によってモノに生命が吹き込まれる』との話だ。ただの台も手術が行われることで手術台になる。戦地で恐怖に苛まれていたカメラマンが使い古したカメラを手にした途端、正気を取り戻すーー。私たちの身近なところで考えると、スーツをきたら仕事モードになるってこともあるよねとコメントをもらう。石ころだって、アクセサリーや装飾品になる。

ここで面白いのは、人間の行為が、ただの「もの」としてしかなかった「物」にいわば祈りを吹き込んで「事物」として活性化するのとは逆に、今度はそれまでただの「もの」だった「物」が「事物」と化することで人間の行為を支えもすれば、人間を人間としてあらしめる事態にもなることだ。

Cherished Prosession みーさんのメモ

小田 実著 「われ=われの哲学」P.89-


みんなで集まり、みーさんへの質問タイムが繰り広げられる。
手に取った本についてみーさんに質問する。

ーーなぜ、みーさんはこの本を?
なぜ、環境心理学の教授が「文房具」の本を買ったの?
私に届いた文具の本には、ひたすら文房具の説明、歴史が書いてあった。

みーさんは、いう。
文房具、バナナ、なんであれ、そこにあるものの世界が広がっている。
何かひとつ手にとってみたら、そこに世界があるでしょう。
本は一番わかりやすい。一冊の本、そこに世界がある。本って、終わりがあるから、作る人がまとめる必要があるからね。


ーー届いた本に付箋が貼ってある。
本は『身体の構築学』。 
みーさんが貼り付けた付箋には、「ボケとツッコミ」について書かれている。
なぜ? 参加者がみーさんに問う。
「ボケとツッコミに凝った時期があった」みーさんが答える。
本を書くときに、ボケツッコミはけっこういいらしい……。
「こう書いたらあなたたちはこう突っ込むでしょ?!でも、こうなんだよ」
ボケツッコミは、本を書く時の流れをつくる。
フロイトはそのようにして本を書いていたそうだ。書き手の名手、フロイトもボケとツッコミを繰り返して本を書いていた。
「ボケ」と「ツッコミ」は、対話なのだ。

ーーミーさんが自分の場に残している本はどんな本?
16歳の時にみーさんが手に取った精神分析関係の本が多い

ーーみーさんが、置いていた本を再び手に取るきっかけは?
本がそこに居るというか、モノとしての本がそこに居る
本もボディを持っている。つい目にはいるーー。
つい手に取ってしまってめくる
ふと手に取ってみたところに、その時考えていたことのヒントがあったりする。フロイトの話に戻るけれど、『身体』が『本』に出会ってなんかしら目について、手に取って開いてしまったーー。よくわからないままなんだけど、そこに自分で意味づける。人がもっている心の包み込み方。無意識が作用しているというのは嘘なんだけどーー。わからないなりに、自分の文脈がある。なんらかの流れがそこにある。トラックが何層も走っている。仕事している層があって、その下の層とリンクして……たまたま下層的な文脈に本の言葉がかかって、そしてまた元の層に戻ってくるようなーー。

わからない時に、どんどん解いていくのは大事なんだろうけど。解こうとするのは、身体的に動いていくんだろうけど。

『ネガティブケイパビリティ』ってある。答えが出ないものに関しては置いておく。下層に置いておく。クエッションとして、モヤモヤしているんだけど置いておく力。わからなさをじんわり置いておく。置いておくにも力がいる。それが、ネガティブケイパビリティ。できればわからないまま置いておかずに連れ去りたい、という気持ちがあるけれど。

みーさんが本2000冊を本屋アルゼンチンに預けた。預かった本屋アルゼンチンは、本を処分せずに置いておいた。これは『ネガティブケイパビリティ』
なんじゃないか。1年間くらい、2000冊くらいの本を置いておいたなかで、『本を送る』というアイデアが生まれた。

湯船に浸かって頭だけ出してーー。ふわっと突然アイデアが浮かぶというけど、突然ではなくて、ネガティブケイパビリティがあってアイデアが湧いてくるのかもしれない。

小田実さんの本にあった、「人」と「もの」との関係が、「人」と「本」との関係に重なった。つい気になって手に取る。つい気になるーー。なぜか気になる人がいる。気になるって、無意識ではなくて、そのボディに惹かれているのか。「もの」も身体を持っている。「人」も「もの」もそのボディに惹かれ、つい手に取ってしまうのかもしれない。つい出会ってしまったら、そこに意味を見出していくーー。そこに物語をつくる。

ーーなぜこの本が私に届いたのだろう?
本屋アルゼンチンの主人は、なぜこの本を私に? 
人は世界と自分との関わり方を解き明かそうとする?
そこに意味を見出す? 物語を生もうとする?
本との出会い方でその人となりが見えるーー。

本を箱に詰めた主人に意図はあるのか? 
ーーない。
読み手側の受け取り力を信じてる。
受取手のハズレを楽しめる力も信じてる。
箱に詰める本の振れ幅だけは考えている。


みーさんがアルゼンチンから学んだこと。
アマチュアでいいんだ。『アマチュアでいいんだ』
環境心理学は10数年もやっているからアマチュアではないけど、他の分野については『アマチュア』でいいんだと学んだーー。

いろいろな話が錯綜しながら、ぜんぶ繋がっているような、繋がっていないような。わかったような、わからなかったような。
いい時間だった〜。




この記事が参加している募集

休日のすごし方

読んでいただきありがとうございます。 noteで出会えた奇跡に感謝します✨ サポートいただけましたら楽しい寄り道に使います。