見出し画像

先輩が教えてくれた
「ほぼ日5年手帳」を去年からはじめた。

毎日日記を書きながら、一年前の今日を思ふ。
いま、幸せだなと感じる。
去年の一年間があったからこそ今の私がある。

去年1年間は、これからを生きる上で大事な分岐点となった。

4月に地方から、子供と一緒に単身赴任の夫が暮らす東京へ転居。40歳、人生初の上京に大きな不安に押し潰されそうになりながらも、えいやー!と、コトを進めていった。
東京での暮らしのこと、仕事のこと、子供の保育園のこと、想像がつかない不安と、新しい生活へのわずかなワクワクもあった。

田舎生まれ田舎育ちの私は、あっという間に通勤時の満員電車に苦痛を感じることになった。
片道1時間半…大変だと頭ではわかっているつもりだったが、本当に大変だった。9時ー17時勤務で往復3時間を移動に費やす。その間仕事ができればよいのだが、移動中は仕事できない。終わらない仕事は帰宅後に在宅勤務でやる。新しい保育園に通い出したばかりで緊張気味の子供の寝顔を見ながら、早朝一人で家を出る。保育園送迎は夫にお願いすることになった。
異動したばかり、新天地で頑張らなきゃと意気込んでいた。
帰宅してご飯を食べて、仕事する。PCがシャットダウンされてしまう前にやらねばならない。(22時PCシャットダウン)目は血走り黙々とパソコンに向かっていた。それでも終わらなければ、早朝起きて、家を出るまでの1時間でも30分でもパソコンに向かう。
次第に夫婦喧嘩が増えていった。私も夫も疲れていった。子供からパパママ喧嘩しないでと言われるようになった。
毎朝の通勤、地下鉄からグリーン車に乗り換える。ちょっと贅沢して席に座れる時間。窓の外を眺め、涙がポタリポタリとこぼれるようになった。
東京の端から横浜まで毎日通う。
3ヶ月頑張ったが、7月にはカラダとココロが悲鳴を上げていた。

子供が小さいうちは家族で過ごしたいと一大決心して東京へ来た。毎日同じ屋根の下に暮らしているのに、家族の顔を見る時間は以前より少なく感じられていた。それまで遣り甲斐を感じ、天職だと感じていた仕事も辛くなっていった。

大事にしたいものを大事にできず、
気持ちと行動が一致しない、ちぐはぐな状態になっていた。

上司に退職したいと告げると、産業医面談となった。ココロとカラダが疲れ切った中で判断するより、業務制限を行い心身を休ませた上で落ち着いて判断した方がよいとのことになった。

業務量を控え、在宅勤務も使いながら、今はとにかくやり過ぎないと意識しながら働いた。
1ヶ月もすると気持ちも身体もスーッといつもの自分に戻ったな…と感じる瞬間があった。
その後、自宅から50分程の東京駅に異動となり働いた。
あれから一年、
一番大事にしたいことを大事にしながら働く、
生活することができていると感じる今。
私は幸せだ。

去年、自ら変化に飛び込み、それまで経験したことのないほど心身ボロボロ状態になったけれど、
これから生きていく上で大事なコトを、術を身につけることができた。なぜあんなに苦しみながら生きていたんだろうと今は思うけれど、その時はその時で必死でもがいていた。
現状維持を超えて、動いたからこそ感じたことがある。そして、自分の居場所を変えたからこそ出逢えた人がいる。横浜、東京での出逢い、一生の宝物だ。

今苦しいなら苦しいと言葉にしよう。身近な人に伝えよう。助けを求めよう。我慢して一人で踏ん張らなくていい。この辛い壁を乗り越えた先に…なんて考えなくていい。自分自身が辛くないように仕事を環境を調整して、心地良く息ができる状態で生きていい。仕事がイケてない自分だっていい。家族が自分が笑顔で過ごせているならこの人生素晴らしい。

今はそう思える自分が好きだ。
去年のわたし、がんばったね。あなたのおかげ。
そして、ほぼ日5年手帳、大事な記録をありがとう。



読んでいただきありがとうございます。 noteで出会えた奇跡に感謝します✨ サポートいただけましたら楽しい寄り道に使います。