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土と木と水、寺野菜。

昔からお寺には浄財が集まります。浄い財というのは、お金に限りません。たからには食物をはじめ衣類や建物などが含まれます。托鉢で頂いた米や野菜あるいはお坊さんのお袈裟や着物(古着)、材木や手間などの寄進などが含まれます。つまりは何でも有り難く頂戴します。

念水庵は一軒の檀家さん(門徒さん)もございませんので、働かないと食べていけません。食べるのが目的ではないですが、身を支えるためには最低限の生産が必要です。今は会社員ですから何も問題ありませんが、いずれリタイアしますので、今のうちに生きる糧を考えて置こうというものです。

それがこの「寺野菜」という考え方です。その昔、百丈懐海というお坊さんが居られて、それまで「坊主は生産してはならない、在家の信者さんからの布施だけで、托鉢で生きるべきだ」という決まり(戒律)があったのですが、山の中の修行寺でしたから、近くに檀家がないわけです。

それで「自分たちの食べるものは自分たちで作ろう」と掟を破って家庭菜園ならぬ寺で農事をはじめたのです。百丈和尚は自ら率先して畑を耕しました。「一日なさざれば一日くらわず」は有名な言葉です。その考えを踏襲させて戴こうというのが、今回のわたしの発想です。

農法は何でもいいのですが、ずばりお金をかけたくない、お金がかけられません。そこで無農薬・無肥料で作物を作りたいとの思いから「協生農法」や「菌ちゃん農法」に目をつけました。思想はともかくとして(そんなものは坊主に関係ありません)、糸状菌が麹の発酵の原理と同じで、木や草を分解して野菜の根と結びつき栄養・肥料となるという現実に着目しました。

裏山には腐りかけた木がごまんと倒れたままになっています。竹もたくさん生えています。枯れ枝や落ち葉にも事欠きません。これらが飼料になります。これを土台に畝をつくり種を蒔くだけで通年野菜が取れるのです。ホンマかいなと疑いましたが、調べた結果どうやらコレは本物です。

寺で作った「寺野菜」は自分たちだけで食べきれません。お参り、参禅、お茶飲み、修行仲間にお裾分けしたい。これが本音です。見返り?そんなもん坊主は期待しておりません笑。食べる健康法は自然栽培の野菜でキマりやないですか。寺の土と寺の木と寺の水でできる寺野菜であります。

寺の土と木と水の恵みを有り難くいただく幸せ、寺野菜。

みずみずしい野菜、おいしくて栄養たっぷり、生でかじれば、昔いなかの畑で採れたての大根や人参を食べた味がします。また食べたくなって、お寺にお参りされる人が少しずつ増えたらいいな、と実は密かに思ってます^^
寺だけにてらいもありますが^^


余談ですが、お知らせです。三月三日のひなまつりの日に参禅堂の工事請負契約を交わします。有り難いことです。もうそこに春が待っております。

今日の一言は、、、

寺野菜(水)

ご覧いただき感謝いたします。
念水庵

土と木と水、寺野菜

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