SNS時代における「サヨナラだけが人生」
出会いの数だけ別れがある。生き別れでも、死に別れでも、誰かと出会っても結局のところ別れてしまう事実は、年を重ねることで少しずつ知ってくるようになる。
だから新しい出会いが訪れても、それには別れが付きまとうと思ってしまい、心のどこかで億劫な気持ちを抱いてしまうのも、わからなくはない。
しかし、こういった「サヨナラだけが人生だ」という文脈は、ひと昔前の方がよく聞いた気がする。今はインターネットがあるし、人とのコミュニケーションまでデジタル化してしまったSNS全盛の時代なのだ。
こういった時代において「サヨナラだけが人生」と言っても「友達かも?」的なレコメンドがスマホ上で表示され、別れるにも別れられなかったりしているケースもあるんじゃないか。SNSを続けている人同士は、ずっと何らかのかたちで一応は繋がっているのかもしれない。
メタ社(旧Facebook)は企業のミッションに「making the world more open and connected(世界をよりオープンでつながったものにする)」や「bring the world closer together(世界のつながりをより密にする)」を掲げていた。これらは変わりつつあるものだが、「人と人をつなぐこと」が主軸であるようだ。
日本にもLINEがあるし、繋がりはなかなか断ち切られない状況になってきた。もちろんブロック機能はあるが。
この様に、世界的なIT企業が僕たちのコミュニケーションの在り方を握るようになったのである。
そうすると、昔の様に別れの辛さを感じることは減り、反対に増え続ける友達アカウントの数に気持ちが高揚していく人もいるのかもしれない。数値というのは最もわかりやすい報酬の感覚を人に与えるのだ。
ただ、そうやって数ばかり増えていっても、中身のない繋がりだとしたら心のどこかで虚しさを感じるようになるのは目に見えている。アカウントとしては友達は1000人以上いるけれど、実際に会っているのは2~3人という人も多いのではないか。
もちろん、新しい出会いには常に積極的でありたいものだと思っている。
しかし、やっぱり昔の様に「会うは別れの始めなり」「サヨナラだけが人生なのだ」といった、虚しさを抱えた生き方の方が、何となく美しくて深みのある人生になる気がする。