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【327球目】サガン鳥栖

先日、ヴィッセル神戸が今期3勝目を挙げました。

そのうち2勝はサガン鳥栖からです。ヴィッセル神戸は最下位の18位。それに対してサガン鳥栖は7位。ちなみにサガン鳥栖は4年間ヴィッセル神戸に勝っていないようです。なんでしょうね、相性??

今日はそんなサガン鳥栖のお話をしていきます。


看板

サガン鳥栖のホームタウンは佐賀県鳥栖市とすしと読みます。

鳥栖市には鳥栖ジャンクションという長崎道、九州道、大分道の大きなジャンクションがあります。サガン鳥栖の営業の方がたまたま、当社の佐賀営業所の看板を見られて営業に来られました。佐賀県佐賀市にある佐賀営業所。その看板とヴィッセル神戸のホームスタジアムの入場ゲートの看板が一緒であることに気付き来られました。その時には私は佐賀営業所にはいませんので、佐賀営業所長が対応。

たまたま、その翌週に福岡県久留米市にある福岡営業所へ行く予定でしたのでそこでお会いすることになりました。


サガン鳥栖の歴史

1991年10月、佐賀県サッカー協会が、当時静岡県リーグ1部所属のPJMフューチャーズ(当時の本拠地は静岡県浜松市)の佐賀県への誘致を決定。1994年に鳥栖市へホームタウンを移転すると共に、翌年より『鳥栖フューチャーズ』(鳥栖F)に改名することとし、Jリーグ準会員としても承認された。しかし、PJMジャパンの撤退が原因となって深刻な経営難に陥り、1997年1月にチーム運営会社の株式会社佐賀スポーツクラブが解散を決議(1998年に破産廃止)。このときに存続を求める5万人を超える署名があったことなどを受け、鳥栖Fの受け皿となるチームとして1997年2月4日に佐賀県サッカー協会会長の中村安昭を代表とする任意団体として「サガン鳥栖FC」が発
足した。

上記はウイキペディアからの引用です。

私が佐賀大学に入学したのが1996年。2000年に卒業し2003年に佐賀を旅立ちましたから、この鳥栖フューチャーズの発足とその後の経営難はよく覚えています。佐賀県にJリーグのチームが出来る!と盛り上がっていたら、数年後に経営難で解散する。ニュースでもよく取り上げられていたので覚えていますね。

そんなサガン鳥栖。佐賀のチームですから、ヴィッセル神戸と同じ様に思い入れは強くて当たり前です。


スポンサーになるということ

三陽工業では、サッカーのヴィッセル神戸、オートバイでRS-ITOH、小さい金額だと、先日noteに書いたlike a wind GPやラリー選手権にも協賛をしています。今年は、久留米市軟式野球連盟(三陽工業野球部が所属している連盟)の学童大会の協賛もしています。

スポンサーや協賛

企業ではよく、費用対効果は??そんな話になると思いますが、スポンサーをすることによる費用対効果を計ろうとすると、数年から10年以上の年月がかかります。数年で効果があるものではありません。何なら効果がないと思ってスポンサーをやらないと、数年で辞めてしまいます。

その部分を考えるととても難しい意思決定になります。

そしてその際に大きなポイントは想いです。そのスポンサー先がどんな想いで思考と行動しているのか。その思考と行動が当社にどんな影響をもたらすのか。社員に喜んでもらえるかどうかも大きな要素の1つになってきます。お金が余っているならば、拠点がある全ての場所でスポンサーしたいですよね。Jリーグの活動方針の1番目にはこうあります。

フェアで魅力的な試合を行うことで、地域の人々に夢と楽しみを提供します。

ヴィッセル神戸のスポンサーを決めた時、この地域の人々にの件にとても共感をしました。ちなみにサガン鳥栖のサガンは長い年月をかけて砂粒が固まって砂岩(サガン)となるように、一人ひとりが小さな力を集結し立ち向かうことを意味しているのと同時に佐賀のという意味があります。

佐賀の鳥栖=佐賀ん鳥栖=サガン鳥栖です。いつの日かサガン鳥栖のスポンサーをできる日が来ますように。

本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!