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随筆(エッセイ)が四国新聞の読者文芸随筆欄に掲載された

俺は今年に入って少しずつ随筆(エッセイ)も書いて投稿するようになった。そして、嬉しいことに11月27日(月)の四国新聞の読者文芸随筆欄(篠永哲一選)で俺の書いた随筆が入賞(第2席)して、全文が掲載された❗これだ❗

四国新聞(11月27日(月)付)に掲載された俺の随筆

写真だと読みづらいので、以下に掲載された俺の随筆を紹介したい。タイトルは「ええ走り」だ。

 先日、マラソンのパリ五輪日本代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)が行われた。レース中、雨が降り続けるという悪条件の中、男女共に優勝した選手は素晴らしい走りだった。ただ、それ以上に心に残ったのは男子のレースで四位になった川内優輝選手の走りだった。
 かつて公務員ランナーとして注目を浴びた川内選手は百三十回目のマラソンだった。前半から積極的に飛び出した川内選手は後続を大きく離して走る一人旅。レース後半で後続集団につかまるが、そこからも粘りの走りを見せて四位となった。三十六歳という年齢を考えれば、大健闘と言える結果だった。川内選手の走りを見ながら、私は昔の事を思い出していた。
 私は、高校時代に陸上競技をしていて、主に走っていたのは千五百メートルだった。レーススタイルは前半から二番手以下を離して先頭を走るスタイルで、これは当時好きだったツインターボという競走馬を真似たものだった。この馬は気性がとても荒くて、騎手が抑えたくても抑えられないため、レースでは常に後続を大きく離して逃げた。その姿が我が道をゆくようでかっこ良かったのだ。
 ただし、私は後続を離して走っても力不足で最後はばててしまって、いつも負けていた。もしかすると、チームメートもあきれていたかもしれない。私は、レーススタイルを変えてもう少し後ろに控えるようにしようかと迷っていた。ある日、いつものように先頭を奪って走り、負けたレース後にスタンドで一人で座っていると横に一人の中年の男性が座った。その男性は、なんと当時県内屈指の強豪校を率いていた監督だった。監督は私にこう言った。「君、ええ走りしとるやないか。ああいう走りを続けていったら絶対強くなれるで」それだけを言い残すと監督はその場を立ち去った。私はその言葉がとても嬉しくて迷いが消えた。練習でも積極的に引っ張った。
 そして迎えた高校生活最後のレース、夏の高校総体。私は、後続の足音が聞こえないほどの大逃げをした。ラスト一周の鐘が鳴ってもまだ後続集団は、はるか後方。勝てる!そう思った最後の直線、足が突然鉛のように重くなった。何とか気持ちで前へ進むが、次々とかわされて結果は五位。四位までが決勝進出だった。レース後、私は一人では歩くこともできずチームメートに担がれてトラックから出て、トイレに行って吐いた。こんな事は初めてだった。こんな負けはしたが、悔いのない完全燃焼のレースができた。自己記録も大きく更新することができた。
 その時、私はあの監督がかけてくれた言葉の本当の意味がわかった気がした。監督が言った「ええ走り」というのは、自分の可能性を信じて挑戦することではないか。
 降り続く雨の中、百三十回目のマラソンを走り切った川内選手の姿が輝いて見えた。

四国新聞(11月27日(月))の読者文芸随筆欄

選者の評も掲載されていた。

四国新聞(11月27日(月))の読者文芸随筆欄

後日、四国新聞社から記念品として図書カードと賞状が送られてきた。賞状はこれだ❗

四国新聞社が送ってくれた賞状

俺の随筆を掲載してくれた選者に心から感謝したい。

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