見出し画像

どうか写真を撮り続けて欲しい。

「2024年がもう後半に入ったことに驚きを隠せないんだが。。」
と、思ってたりもする今日この頃。
ふと、noteを開くと最後に綴ったのが、1月であることにビビった。
毎月書くことを目標にしていたも関わらず継続ができないのはどうしようもない。
が、noteを書こうとしていたのは人生の記録を文章化したいからで、
文章の代わりに写真と映像でたくさん記録していたから自分を許そうと思う。
(甘々です。)


さて、今回の前書きはここまでにしておいてと。
早速本題に入って行こう〜。
あ、ほんますぐ終わる文章やから最後まで読んでや。(唐突な三重弁)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ここ最近を生きていて思うのは、「コロナ完全に終わったんじゃね?」という疑問。
正確には、コロナに対して過剰に反応することがなくなったのではないかということ。

電車でも、レストランでも、大学でもどこでも。
なんか3月ごろにマスク着用が任意?でOKになってからマスク無し生活する人が増えた。
気楽でいいよね。周りの目気にしなくていいのって。(任意あざす)

みんなが当たり前に当たり前の距離感で話して、
当たり前のように遊んだり、ご飯することができる世界になってから思うのは、
今あなたにある日常を記録するために写真を撮り続けて欲しいということ。

コロナ全盛期と比べて友達との別れの際に写真を撮る人が減ったなって思う。
次もすぐ会えるからって、すぐ「じゃあね。」って手を振る。
実際、すぐ会えるんだろうけどさ、なんかなぁって思う。

特に、2020年-2021年は会うの一瞬でも写真を撮っていた人が多いと思う。
街中でめちゃ見かけたし、自分もそうだったから。
だけど、その光景が最近減った気がして、(減ってると思う)
すこし寂しいなと勝手に感じてたりもする。

その理由は明白で、上にもあるけど、
前に比べて簡単に会える世界になったからというのがある。

友達や家族、恋人と「会える」「話せる」「遊べる」「ご飯する」etc・・・
という行為が当たり前になってきて、貴重なものだと感じ辛くなっている。

だけど、その瞬間起こった出来事や抱いた感情は記録しないと
思い出で上書きされて、残念だけど記憶が薄れてしまうのも事実。

だから、今日からまた。
あなたが過ごしている現在(イマ)をいつでも思い起こせるように
目に見える形として、どうか写真を撮り続けて欲しい。

写真が上手い=イイ写真ではないから。
あなたがふと見返したくなる写真ならそれがいい写真だから。
写真を撮ることに億劫にならずに、
思い切ってシャッターを切って欲しいなと思う。


今回書きたいことは書けたから、ここでさよなら。

「ばーい。」


#日記 #思い出 #エッセイ #写真 #記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?