見出し画像

死を賭ける賭博師・友川カズキの轍 序章『その闘争の赫奕たる来歴』

風にとび込まれるよりは
風の中へとび込んでやりたい
過去に追われるよりは
未来を逃げ廻ってやりたい

友川カズキ『23歳の抵抗』

人間は誰しも生まれ落ちたそ瞬間から死を人質に生を享受している。時として人は、生きているという現実と死に至るという未来に恐れ立ちすくむ。
だが友川カズキは臆する事なく、生もそして死さへも賭けて勝負をしているだ。それもデタラメに、面白がって。社会という悪夢から真っ向から挑み、それにさえ慊らず自身とも闘争を繰り広げている。
死を賭けてまでも走り続ける。この賭博師を誰しも止める事はできない。

序 その闘争の赫奕たる来歴

一九五〇年二月十六日。後に友川カズキと呼ばれる及位典司は秋田県山本郡八竜村に産まれた。祖父・児玉ミヤを育ての親として成長した。彼は中学時代、偶然目にした中原中也の『骨』なる詩によって友川カズキに至る運命が確約されたのである。

  ホラホラ、これが僕の骨――
  見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
  霊魂はあとに残つて、
  また骨の処にやつて来て、
  見てゐるのかしら?
  故郷の小川のへりに、
  半ばは枯れた草に立つて、
  見てゐるのは、――僕?
  恰度立札ほどの高さに、
  骨はしらじらととんがつてゐる。

中原中也『骨』

その一編の詩は少年・及位典司を覚醒させたという他ない。それ以前、読書している人間を異人種と見なしてきた彼は、まるで何かに取り憑かれた様に文学に沈溺した。そしてその事は即ち、自身の中にある、得体の知れない邪悪な塊を対外的に示してやろう、という野望も内包していたのである。

果たして、友川カズキとは一体何者なのだろうか。歌手であり、詩人であり、画家であり、賭博師であり、俳優であり、それ以外でもある。

かつて寺山修司は言った。「僕の職業は寺山修司」であると。友川もまた、彼の様に自身を規定したりはしない。彼は自分が自分自身を規定することも、そして他者に規定される事も断固として拒絶する。それは常に自分が何者かであると同時に何者でもありたくない、という真なる自由への発想からではあるまいか。

友川カズキは現在までにオリジナルアルバムを二十三枚リリースしている。

私は一連のアルバムを聴きその至上の衝撃から彼の魂に可能な限り接近したく思った。丁度、サルトルが『泥棒日記』に感銘を受けて『聖ジュネ』を記したように。

果たして私の試みは幻を見る事に終始するやも知れない。だが、それはそれで構いはしない。幻も見れぬ人間が決して、現を掴む筈などないのだから。

序章 完


是非、ご支援のほどよろしく👍良い記事書きます。