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畑の中で何を叫ぶ。移住者るんるんサイクリング体験記

4月から家族で短期移住している十勝の村、中札内。
住んでいる集落にはお店が一軒もなく、どこに行くのも車。
このままだと体が鈍る気がして、あえて「自転車」を移動手段としてみることに。

片道10キロ近くの移動が常の、広大な北海道の村を、自転車でゆく。
そんなサイクリングを体験して、思うことの記録。

長い長い一本道をゆく

住んでいる集落から、マックスバリュのある中札内の市街までは、一本道である。
車でいけば10分の一本道は、片道7キロ。

これを自転車でいくと、かなりいい運動になる。買い物用の大きなリュックを背負い、前かご付きの自転車を漕いでいく。

気軽に出発したサイクリングで、なかなか目的地に着かずにめげそうになる。
もういいだろう、と思うところが1/3地点くらいで、それからさらに2倍の道を漕いでいく。

歩道がガタガタなのにも驚いた。
車道は綺麗なのに、歩道の方はアスファルトの割れ目が目立つ。地元の人があまり使わないから、とくにケアされないままなのだろうか。
これだけ車社会だものね。

パンクしませんようにと願いながら、また、帰りには、買ったたまごが割れませんようにと願いながら、悪路をひたすら漕いだ。

この道はこの辺りでは利用する人の多い「道道」で、行き交う車はそこそこあるのだが、自転車には全くすれ違わない。

こちらでは自転車に乗っている人は本当に珍しい。
ゆえに、目立つ。

わたしの姿は多くの方々に目撃されていたよう。今日、自転車乗ってたよね? と、夕方に村で会った何人かに言われる。

車から、必死にペダルを漕ぐわたしを目撃されていたのかと思うと、恥ずかしい。
必死の形相だったよね?と聞くと、「いや、割と好調に漕いでるところだった」とのこと。それもなんだか恥ずかしい。

ちなみに中札内まで自転車で往復してきたという報告には
うわ、よく行ったよね、という反応。

「中学の時一回行って、2度と行かない」(地元の方)
「最初の頃に、一回行ってみたけど、ね」(山村留学の一年先輩)
などと
こちらでは、一回行ったらもう満足のコースであるようだ。

お日様の照らすうちに

広大な自然の一本道でのサイクリングは、天気が良ければとても気持ちが良い。
車中からではなく、”直接”その中にいながらにして目にする風景は、さらに広い。
晴れた日に、高い空から太陽の光が線になって降りそそいでいる中をペダルを漕いでいると、どんなにしんどくても、気分爽快だ。

ただし、こちらの天気は変わりやすいので要注意。
晴れているなと思っていても、すぐに雲行きが怪しくなったり、ものすごい強い風が吹きつけてきたりする。
小心者のわたしは、とたんにちょっと不安になる。
無事に帰れるだろうか、というドキドキ。
とくに夕方が近くなる時間だと胸が騒ぐ。

「日が暮れないうちに帰ってくるのよ」というのは昔のおとぎ話の中によく出てきたフレーズだけど、この田舎にあっても当てはまると思う。

なにせ、街灯がなく両サイドに畑が広がる一本道。途中に数軒、牧場らしき建屋があるものの、一軒通り過ぎてしまうと次の一軒までがはるか先。
ここで日が暮れると真っ暗だ。

夜になると空も畑も木々も判別できないくらいの漆黒の闇が広がる。街灯の灯りがまぶしい都会にいては体験することのない、吸い込まれそうな闇を体験すると、自然への畏れを本能的に知ることができる。

おかげで星がプラネタリウム並みに見えるのは素敵だが、
野生動物も出るのでおそろしい。
とにかく、日が暮れるまでに家に帰っておきたい。
自転車で出かけるときは、常に帰り時間を気にしておくことにしている。

だんだん闇が落ちてくる夕暮れ時

畑の中のプライベート空間にて

先日は、さらに長距離となる、隣村の「更別村」へのサイクリングを決行してみた。
とある平日の午後。夫は仕事、子供は学校、
求職中のわたしは1人、更別村の公園を目指す。

目的の公園までは片道10キロ。
通るのは「道道」ではなく「村道」。村道では、自転車はもちろん、車もほぼ通らない。

携帯の電波があるのかも不安があったので、「もし万が一のことがあり帰ってこなかったら更別村にいるから」と夫に言い残し出発。
いざとなったら車で迎えに来てもらえると思えば心強い。

村道をゆくと、周りに広がるのは見渡す限りほぼ畑、それか林。
牧場とか、農場などの建屋もほとんどない上、車もなにも通らないから、人の存在がないしんとした世界だ。

畑と林が広がる道をゆく

真っ直ぐに続く道でペダルを漕いでいるとあまりの人との出会わなさに、なんだか笑ってしまう。密っていう言葉がもっとも縁遠いシチュエーション。行く手にも後ろにも、誰もいない。左右を見渡しても、遠くかなたまで、畑しか見えない。そんな、”少なくとも、自分の半径2キロ圏内に誰もいない”というような状態が、ゆうに20分は続く。なんと贅沢にプライベート空間が確保されていることか。

見渡す限り人はいない

3月にマスクをして大阪駅の人混みを歩いていたわたしと、誰もいない田舎道で一人自転車を漕ぐわたし。同じわたしなのに、たった1ヶ月でこれだけシチュエーションが変わるなんて。
人生ってわからない。

ペダルを漕ぎながら、ジュディマリを大声で歌う。
どれだけ歌っても、誰にも聞かれる心配がない。
久々に熱唱。
天然カラオケを満喫できるサイクリングだ。
(お風呂で歌うよりも圧倒的開放感があり、気持ち良く歌えます。)

ここでもふと、クマが出たら?の考えがよぎり、つい歌に力が入る。
”熊よ、ここに人間がいますよー!”
という意思表示として、思い切り歌う。

この「更別村」は、北海道の中でも一人当たりの作付面積が最大で大規模農場が多いらしい。一つ一つの畑が、大きくどこまでも広がっているのはそのせいかと納得した。

たまに人の存在を感じられるのは、遠くにうごめくトラクターであるが、そのトラクターにすら、出会えることが稀。なので動いてるトラクターを見つけるととても嬉しい。「ハロー!」という気分で、遠くから微笑んでみる。
向こうにはわたしが見えているのかわからない。見えていたとして、1人自転車に乗って村道をゆく姿はさぞかし怪しいに違いない。

田舎の黒い鳥

田舎の道で、人に会わないかわりに、鳥にはよく会う。
色々な鳥がとんでいるが、カラスも結構見かける。

農道で、行く手の道の真ん中に佇むカラスが数羽。

一瞬ドキッとしたが、チリンチリンとベルを鳴らすと素直に道を開けてくれた。
田舎の道をひらひらと飛ぶカラスは、都会で見るカラスより清潔な気がして怖さがない。
カラスが特別忌むべきものではなくて、ただの野生の黒い鳥であることを思う。

都会でカラスといえば、ゴミをあさり、時に人を威嚇するような存在だった。目の前にいたら、できれば遠回りしてでも避けたいと思っていた。
こちらでは、畑の近くで草をついばんでいる黒い鳥として存在する。サイクリングでばったり出会っても一応「こんにちは」、とあいさつできる隣人レベルかもしれない。

鳥と人間の関係も、気持ちも、環境によりこんなに変わるのだなとふと思う。

この村に住んで、カラスに対してだけでなくて、もしかしたらその他の視点も変わっているのかもしれない。
などと、サイクリングでいろいろ考えながら帰路に着く。


車で出かけないと畑以外に何にもない、という田舎で、ビューンと飛ばしたら着いている道を、あえて自転車で。

子供たちを誘うも、すっかり車生活に慣れてしまっていて、「車じゃないならいかない」などと、なかなかのってこないのだから残念だ。

目的地にはなかなかたどり着かないし、何かあったらどうしようの不安もよぎるけれど、圧倒的な自然を体感でき、運動不足も解消できるので、価値ある体験だと思っている。

時間に余裕のある、よく晴れた、明るい時間に、またやってみよう。

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