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第1話 トゥカリアの跡目争い(4) ~星の記憶~

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 平穏は、いつも唐突に破られる。
 次は確か・・・次の講義の部屋へと向かいかけていたエリファスは一瞬グレンらしき影が回廊の向こうに消えるのを見て、あの馬鹿またさぼる気かと後を追った。最近グレンはほとんどどの講義にも顔を出さず、このままでは放校になりそうな気配である。
 ぐるり、回廊を周り、建物の影に消えたのを追いかける。
 その差は恐らく30秒となかっただろう。建物を回り込み、裏に回る。回ったところでエリファスは硬直したように立ち止まった。
「グレン・・・!」
 信じられない光景が目の前にあった。血の海の中、倒れている人の影、服を朱に染めたグレンは、丁度その現場から立ち去ろうとしているところだった。
「私じゃない!」
エリファスの姿を認めたグレンが咄嗟に叫び駆け去って行く。
「嘘・・・だ・・・」
後を追いかけることもできないまま、エリファスは立ちつくしていた。自分でないなら、何故逃げる?知らず、体に震えが走る。真っ赤だったグレンの服。
 そうだ、こうしてはいられない、倒れている人物に近づく。調べるまでもなく、時既に遅かった。

「大丈夫か?」
気つけだ、と小さなグラスに琥珀色の液体を注いでルチェが勧める。ああ、と小さくつぶやいてエリファスはそれを受け取った。
「全く殺人現場を見るなんて、戦場でもなければ滅多にあることではないな」
「別に現場を見たわけではない」
そう抗弁する。
「かばいたい気持ちは分かるが・・・」
ルチェは机に腰掛けてどこか困ったように言った。エリファスが顔を覆う。
「私が見たのは、倒れている学生と、それを見下ろしているグレンだけだ。現場を見たわけじゃない」
「だが、グレンは返り血を浴びていた」
「分からない・・・。確かに真っ赤だった。だが返り血とは限らないだろう?」
思い出して吐きそうになる。死んだのはツツェという学生だという話だった。恐らく即死だっただろうと魔術師のオリンが言っていた。エリファスが現場について程なくして、オリンが教師数人とものすごい勢いで駆けつけてきた。相当強い魔術を感じたのだという。体内で力を破裂させたらしい。ぐしゃぐしゃになった内蔵、焼けただれた皮膚。動転していたエリファスは初め気づかなかったが、辺りには飛び散った内蔵の一部が転がっていた。
 明らかに魔術によるものであったため、エリファス自身が疑われることはなかったが、それでも何故そこにいたかと聞かれ、グレンのことを話さざるを得なかった。もちろん、自分ではないと言っていた、ということもくどいほど強調したが、しかし、それを信じてもらえるとは到底思えなかった。
 分からない。何故----?
 ツツェという学生をエリファスは知らない。見覚えもない。ケルナには五千ばかりの学生と、千を越える教師がいる上、始終出入りがある。そうそう全てを覚えてはいられない。グレンがツツェに会っているところを見たこともない。無論エリファスが見たことがないからといってグレンが知らない、ということには全くならないが・・・
「少し横になった方がいいんじゃないか」
あまりにもエリファスが青い顔を----何しろ死体の悲惨さは半端ではなかったのである----しているのを見てルチェがそんなことを言った。
「いや、大丈夫だ」
エリファスは言うと一気にグラスの中身をあおった。飲みでもしなくてはやっていられない気分だった。
 ガタン
 物音に二人が扉を振り返る。
「グレ・・・!」
入ってきた人物に思わずエリファスが叫び声を上げかける。グレンは慌ててエリファスに突進するとその口を塞いだ。
「しっ・・・声が高い」
「やれやれ、やっとご本人の登場か」
ルチェが腕組みをして言った。冷ややかに見据える瞳に対抗するようにグレンが睨み返す。
「グレン!ったくそなたどこをほっつき歩いていたのだ」
グレンの手を払いのけ、抑えた声でエリファスがそう抗議した。が、グレンはそれには答えず、代わりに急くようにして尋ねた。
「エリファス、他に何か見なかったか」
「何か見なかったかと言って・・・」
「何か、気づいたことはなかったか」
「べ、別になかったと・・・思うが・・・それよりグレン、本当のことを聞かせてくれ。一体・・・」
「詳しいことは後で話す。とにかく・・・」
グレンが何か言いかけた時、不意にばたん、と荒々しく扉が開かれた。ノックくらいしろ、ルチェが口の中で小さく抗議する。が、押し入ってきた者たちはお構いなく駆け込むとあっという間にグレンを押さえ込んでしまった。
「ちょっと待って下さい。いきなり縄をかけるとは・・・」
エリファスが抗議しようとする。が、グレンは目でそれを制した。言うだけ無駄、一つ間違えればエリファスまでも疑われかねない。
「しかし・・・」
なおも食い下がろうとするエリファスをルチェが引き留める。何故止める、とでも言いたげに振り向いたエリファスにルチェはそっとに首を振った。

 長い長い尋問。聞かれてもエリファスには分からないことだらけである。同じくルチェや他の連中もあれこれと聞かれたらしい。
 グレンではないと思いたい。そんなことをする人間ではない、そう思う。魔術が上手いということは殺人が上手いということだと苦々しげに言っていた----その同じ人間が魔術であんな風に人を殺すとはとても思えない。
 グレンがティエレのところに一時期頻繁に出入りしていたことは皆も知っていることである。恐らく探索の手はティエレにも及ぶことだろう。ファルムの死、バラートの死、そして・・・ツツェの死。
 分からない。もしティエレが、その一派が首謀者であるなら、何故ツツェを殺したりしたのか。バラートとファルムを殺した犯人との関わりを告発したツツェが殺されれば、当然疑いはティエレに及ぶに決まっている。
 グレンならば----仮にグレンがそういう意図を持ったとして----彼ならば、こんなすぐばれるような馬鹿な真似はしない、そう思う。エリファスがグレンに気づいて追いかけたのが計算外だった?そんな馬鹿な話はない。第一あんな風に魔術を使えば、異常がばれるに決まっている。
 分からないことだらけだ----
 エリファスは意味もなく強く頭を振った。もうずっと歯車が狂っているような気がしてならない。もしくはひたすらにボタンをかけちがえ続けているというべきか。何かが、どこかで狂い、それが今までずっと続いている----そんな気がしてならない。
 幾日にも渡る尋問。同じことを幾度も、幾度も聞かれる。ケルナの威信はもはや地に落ちていた。既に公子たちの中には引き上げ始めた者もあると聞く。あるいは護衛をつけるようになった者もあるのだとか。
「グレンに会わせて下さい」
エリファスは言ったが、どういうわけか、全く許されなかった。エリファスに対するわずかな疑いが晴れてなお。
 黒魔術。
 どこから攫んできたのか、ルチェはそんな単語を告げた。
「馬鹿な」
エリファスが信じられない、といった風情でルチェを見る。
「私だって信じられないさ。だが・・・少なくともケルナの評議委員たちはそれを疑っている。これは確かな筋からの情報だ、間違いない」
 不意に、エリファスの胸に記憶が甦った。物に溢れたグレンの部屋----そこにあったのは、あれは・・・・
 黒魔術本ではなかっただろうか?あの時グレンは単なる暇つぶし、どうせ中身はインチキだ、と笑っていた。
「思い当たる節があるようだな」
眉を暗くしたエリファスをのぞきこんでルチェが言った。別に、言いかけて失敗してしまう。君は嘘が下手だからな、ルチェは言って笑った。
「だがグレンは暇つぶしだと」
「それを信じるのかい?そんな言い訳を」
「・・・分からない」
だからこそ、グレンに会って確かめたいのである。なら、そうしてみるか?ルチェの言葉にエリファスは意味が分からない、といった顔をした。
「面会を申し込んでも許してはもらえないぞ」
「フフ、何のために私が仲間を連れ歩いていると思っている」
ルチェは言うと、今晩、手配するから待っていたまえ、とそんなことを言った。

 どうすればいいのか----
 暗闇の中、膝を抱え一人考え続けていたグレンは、不意に闇の中に自分を呼ぶ声を聞いて、ハタと顔を上げた。うっすらとした闇に人影があった。
「・・・グレン」
まさか。一瞬グレンは我が目を信じられなかった。
「エリファス、ルチェ・・・」
他に今一人、そういえばルチェの取り巻きらしき人物がいた。忍び込んできたらしい。
「ひどいことはされていないか」
連れ去られる時の扱いがあまりに手荒だったため、エリファスは心配してそう尋ねた。
「大丈夫だ。延々同じことを聞かれるので辟易するが」
それは自分たちも同じだったとエリファスとルチェが笑う。
「教えてくれ、何があった。一体何が起こっている?そなたを・・・」
信じてもよいのだろう?エリファスが言った。信じて、か。自分に何と遠い言葉だろう。グレンは一人胸の内でうっすらと笑った。信じることも信じられることも、ひどく自分には遠い気がしてならない。
「私じゃない」
改めて言う。ほう、とエリファスが息をついたらしいのが分かった。
「私にもよくは分からない。何者かが・・・裏で三公子を消し去ろうとした、それは確かだ」
「ではティエレ殿も狙われている、と?」
「恐らく」
「そなたはそれで、ティエレ殿に近づいたのか?」
「そうだとも言えるし、そうでないとも言える」
「それでは分からぬ」
苛立ったようなエリファスの言葉にグレンは軽く目を閉じた。無茶な要求だということは分かっている。けれども・・・
 どれほど説明したところで、彼らでは分かるまい。そう思うと絶望的な気分だった。ならば駄目で元々、一か八かかけてみてもいいではないか、そんな気分になる。
「グレン?」
言葉が途絶えたので不審に思ったらしい。エリファスが声をかけてくる。
「少し考えていただけだ。エリファス、ルチェ・・・私を、ここから出してはくれまいか」
思い切ったグレンの要望に牢の前で三人が息をのむ。できるわけがない、そんなこと。
「それは・・・無理だ、グレン。余計にそなたの立場が悪くなるだけだぞ」
「分かっている、そんなこと。だが、こう言っては何だがお前たちには無理だ。私でなければ、恐らく分かるまい」
「分からないとは限らないだろう。できる限りのことはする」
たまりかねたルチェが口を挟む。が、グレンはかぶりを振った。
「無理だ。魔術師に対抗できるのは、魔術師しかいない」
これを言われるとエリファスもルチェも辛い。どちらも魔術の素質はからっきしである。
「私の仲間に魔術に長けた者がいる」
「ほう、黒魔術でもか?」
少し皮肉めいてグレンが言う。黒魔術。その言葉にエリファスたちが凍り付いた。本当に、黒魔術なのか?そのようなものが絡んでいるのか?
「分かるだろう、エリファス。普通のまっとうな人間に扱える代物ではない」
「それではそなたがまっとうではないように聞こえるな」
エリファスは苦笑混じりに言った。
「混ぜっ返すな」
グレンも苦笑混じりに言う。笑ったのなど、ひどく久しぶりな気がした。
 分かった。エリファスが低く言った。今ここでそなたを出してやることはできない。だが、何とかできるだけやってみる。
 微かに暖かな気配を残して三人が去る。無理はしてくれるな----グレンは再び膝を抱え込むと深い深いため息をついた。

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トップ画像:Barbara Jackson氏によるもの(感謝)

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