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好きなことを仕事にして休職するまでの話#2 めざせ高専!受験奮闘の冬

ここでは、人生最大の挑戦だった高専受験を振り返る。
建築を学ぶため、高専入学をめざして受験奮闘した中3の冬。
そろそろ進路先を悩む頃であろう受験生に、私の受験奮闘記で少しでもエールを送れたらいいなと思う。

致命的な弱点

私が目指した高専は県内でも偏差値が高く、建築学科は5つの学科でも特に高倍率だった。
1学科定員40名。例年、一般入試は枠25名に対して受験者数は70名以上、推薦入試に至っては枠15名に対し60名以上、2〜4倍という高倍率での戦いが繰り広げられていた。

少しでもチャンスの幅を広げるため、私は一般入試だけでなく推薦入試枠の獲得も目指すことにした。

推薦を受けるには成績要件として、学校順位上位10%に入る必要があった。
当時の私は3年生約120名のうち、20位に入るか入らないかくらいの成績で、得意科目は国語、化学と数学が苦手だった。
推薦入試は筆記試験と面接があり、筆記試験の科目は数学だったのだ。

化学と数学が苦手。それは、工業の専門学校を目指すにあたり、致命的な弱点だった。(数字を見ると眠くなるタイプだった)

学年上位10%に食い込むため、私は苦手科目である化学と数学に立ち向かうことを決意した。

図書館と紅茶とおにぎり

化学と数学に対する戦闘法。
私の受験勉強は至って単純だった。

放課後、土日、暇さえあれば図書館に入り浸り、学校の教科書以外の教本も見ながら、ひたすら高専の過去問を解きまくった。

教科書以外の教本を使っていたのには2つ理由がある。
1つ、学校の教科書だけでは高専の応用問題が解けず、学校の授業スピードでは1月の推薦入試までに試験範囲が間に合わない可能性があったからだ。
もう1つ、色々な教本を見ていくうちに、授業では教わらない方程式、時短できる解き方が載っていることを知ったからだった。

学校で勉強していない内容を理解するのは大変だったが、周りが知らないことを先に知ることはすごく楽しかった。一種の優越感も少し感じていた。

実際、冬休み前の化学と数学の授業中は、過去問をこっそり解きながら、授業内容は復習ラジオのように聞いていた。
(先生、ごめん。多分見て見ぬ振りしてくれてた)

冬休みは特に勉強した。多分人生で最も勉強した2週間だった。ノートの使用量は1日1冊、多いときは3冊使い切るほどだった。
冬休みは図書館の休館日が多かったため、真横にあった文化ホールの自習室で勉強していた。
でっかいおにぎり2つと紅茶を入れた水筒を持って、朝一番の時刻の町内バスに乗って勉強に向かう。開館9時から夕飯前の18時に母が迎えに来るまで、ずっと自習室に篭もって過去問を解きまくった。
お昼にでっかいおにぎり2つでお腹を満たし、暖房弱めの自習室では持参した熱い紅茶を飲みながら。

冬休み明け最初の定期テストで、その成果ははっきりと出た。私は数学と化学のどちらでも90点超えを取り、学年順位7位となって見事推薦枠を獲得した。

いざ戦場へ!第一関門、筆記試験

1月中旬、試験当日。
よく冷えた寒い日で、朝から雪が降っていた日だった。

受験者控室は40人教室が2つ、私の受験番号が記された控室はすでに30名ほどのライバル、未来のクラスメイトたちが集まっていた。
廊下から見える教室の様子や自分の受験番号からして、15人の推薦枠の中に少なくても50人ほどの受験者がいたと思う。
後から知ったが、私が受験した年度の推薦倍率は4倍に迫るほどだったらしい。

推薦入試の第一関門、数学試験が始まる。
試験官によってA3縦の試験用紙が配られ、机に裏返しにして置かれていく。
あがり症な私は緊張を紛らわせるため、試験中に鉛筆が落ちないようにと、鉛筆の周りに消しゴムで防壁を立てた。

「よーい、はじめ」の掛け声とともに、試験用紙を裏返す。
「出た出た!これ過去問で見たやつ!」と某教材マンガの如く、順調な滑り出しで解き進めた。
問題も残りあとわずかとなったところで、「これ見たことないんですけど?!」と初見の問題が出現し心臓が飛び跳ねる。
その問題は図形を使うものだったと記憶しているが、前日に勉強した内容の応用編だったのだ。
実のところ、数学に関してはほんの少しだけ、勉強範囲が高専の試験範囲に追いついていなかった。

絶望した。ああやばい、と。

昨日見た教科書のページをなんとか思い出そうとするものの、解いてない問題の公式など、一片たりと思い出せるはずもない。
最終手段として「答え分かんないけど一生懸命考えました感」を演出するため、その問題欄と試験用紙の裏側全面にびっしりと、私が知る限りの公式と図解を書き込んだのであった。

腱鞘炎になるのでは?と思うほど、試験終了まで足掻きの公式を書き続け、第一関門の筆記試験を終えた。

我が恩師との初対面。第二関門、面接

足掻きの筆記試験を終えた後、受験番号順で呼ばれて面接試験へ。
私はどうやら中盤あたりの番号だったらしく、呼ばれるまで1時間ほど待った。

私は図書館で借りた建築雑誌を読みながら、学校での面接練習を思い出していた。

面接練習は精神的にキツかった。
学校の放課後、私を含めた推薦入試をひかえる生徒数名で、空き教室で先生3名相手に模擬練習をした。

先生方としては多様な面接官を想定した質疑応答だったのであろうが、用意した答えを思い出せずに言葉に詰まるたび、沈黙としかめっ面でプレッシャーをぶつけてきた。
模擬練習で泣いていた子もいた。

面接指導の先生は私に対し、高専の面接が一番怖いぞと言った。私はその言葉をまんまと信じ、迫り来る推薦入試日に恐れ慄いていたのだった。

時は戻る。
私の1つ前に座っていた子が面接に呼ばれた時、同時に私も面接教室前で待つよう言われた。
廊下の椅子で待っている時、面接試験が行われている教室からは、異様なほどの盛り上がりと笑い声が聞こえてきた。
想定していた面接の恐怖イメージとのギャップに戸惑い、私はさらに恐ろしくなった。

教室から面接を終えた子が出てきた。ついに私の番がきた。
「次の方〜お入りください〜」と呼び出される。
ひとつ深呼吸をして、模擬練習通りにノックして返事がきたら中に入る。
扉を閉めて振り返る時、私は回れ右をするように華麗なターンを見せた。
そのまま流れるように挨拶をし、椅子に座る。

真ん中にいた面接官の先生が第一声、
「綺麗なターンだったねぇ〜スカートすごい綺麗に広がってたよ笑」。
両側にいた2人の先生もふふっと笑っていて、正直私はめちゃくちゃ恥ずかしかったが、異様な盛り上がりと笑い声の原因がここで分かった気がした。

そして、ここで面接和ませ担当だった先生こそが、のちに高専での私の恩師となるS先生だった。

面接は順調だった。
多少緊張で言葉に詰まることはあったものの、練習の成果は十分に出せた。
最後の質問でS先生は「とにかく君は早く建築が学びたいんだね?」と私に問いかけた。私は「はい!!」とその日一番の大きな声で答えた。
S先生は嬉しそうに頷いて、私の面接試験は終了した。

サクラサク冬

結論から言おう。私は高専建築学科に合格した。

数学試験で答えが分からずにびっしり書き殴った公式や、面接試験での華麗なターンと大きな返事が合否に影響したかは分からない。
(数学試験の方はほぼ無意味だったと思う)

合格発表は職員室横の準備室で担任の先生から聞いた。
部活動の顧問でもあった先生は、ちょっと意地悪に緊張感ある雰囲気を醸し出しながら「………合格だよ!おめでとう!」と私を抱き寄せて喜んでくれた。2人で抱き合って泣いた。
その後、学校に迎えにきてくれた母にも結果を伝え、車の中でもう一度母と2人で泣いた。

「受験」は人生最大の挑戦だった

推薦入試当日、試験会場まで送ってくれた母に対し、「私今年落ちても、留年してでも高専にいくから」と伝えていた。
そのくらい私にとって、人生最大の本気と覚悟を持って臨んだ挑戦だった。

こうして私は大好きな建築を学ぶ未来を手に入れたのだった。


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