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好きなことを仕事にして休職するまでの話#1 建築に出会った中3の夏

初投稿なので自己紹介代わりに自分語りを。
休職を機に新しいことに挑戦しようとしている今、この記事がこれからの自分のお守りになりますように。
飽き性な私が、将来の仕事にしたいと思えるほどの「好き」を見つけ、その後憧れの仕事に就き、休職に至るまでを振り返ります。

幼少期から変わらない性格

これから身の上を語る前に、私にとって「熱中できるものを見つけること」が如何に難しいことかお伝えしたい。

自分の性格を端的にいうと、飽き性でのんびり屋なマイペース
昔から好奇心旺盛で挑戦したがり。興味が湧いたら熱中してのめり込む。
ただ、熱しやすく冷めやすい。すぐに熱が冷めて飽きてしまうのだ。

習い事は大抵半年続かない、長くて2年くらいだったと思う。
そろばん、和太鼓、ハーモニカ、オカリナ、百人一首競技かるた…
どれも少しでも行くのが嫌になったらすぐに辞めていた。

そんな私に対し、両親は寛容だった。
母は始める時には「本当にやりたい?」と念を押しつつも、私が辞めたいと伝えた時は「そっか」と理由を深く聞く事もなく、強く引き止める事もなかった。父は「何事も挑戦」が口癖で、やりたいことはとりあえずやってみろ、といつも背中を押してくれた。

教育としてそれが正しいかは分からないけど、私はそんな両親の姿勢のおかげで、今も変わらず好奇心旺盛だ。挑戦することへの躊躇いや怖さはほとんど無く、実行するときは「本当にやりたい?」と自問する。いい教訓をもらったな、と感謝している。

ただ飽き性な部分も変わっておらず、結果的に多趣味になった。趣味程度に楽しむことができても、熱中し続けることができないのだ。友人や家族と好きな事について話すたび、自分との熱量の差に圧倒されるのと同時に、「ああ、こんなに好きと言えるものがあるっていいな」と憧れや眩しさを感じるのだ。

そんな私が物心ついた頃からずっと好きだと胸を張って言えるのが、絵を描くことと工作だった。

小学校高学年の頃、両親から「サンタさんの正体は俺たちだ。今年はみんなで買いに行く」と言われた日、サンタさんが両親だったことに軽いショックを受けつつ、家電屋さんで工具セットかペンタブか、どちらを買ってもらおうか真剣に悩んだ記憶がある。
その時は2時間以上悩んでペンタブを買ってもらった。

当時の私はその好きなこと2つ、絵と工作に対して子供ながら真剣だった。

志望校探しと高専

中学校3年の夏、絵や工作がたくさん出来たら楽しいだろうな〜という気持ちで、デザイン科のある工業高校を中心に学校調べをしていた。
朝にめっぽう弱い私は通学時間の短さも譲れず、通学時間を天秤の片方に乗せながら、気になる高校は手当たり次第に調べて体験入学に参加していた。

そうして志望校探しをしている時、母が「高専」の存在を教えてくれた。

高専とは、正式名称を「高等専門学校」といい、中学卒業後の5年間、より早い段階から技術者としての知識を深め、卒業後すぐに活躍できる技術者を育てる「ものづくりの専門学校」だ。

(高専とは/文部科学省:https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kousen/index.htm

そして私は、地元にある高専の体験入学で「建築」と出会った。

「建築」に出会った日

体験入学に行った日のことは今でもよく覚えている。
高専のキャンパスは家から遠かった。高専がどんな学校なのか全く知らなかった私は、母に勧められるがまま体験入学に向かった。
多分、行きの車中では乗り気でなかったように思う。

それでも駐車場に着いて学校の敷地に立った時、私の気持ちは高揚した。

5年制で1000人超の学生が過ごすキャンパスは広大で、中学の私には大学のように見えた。5つある学科の専門授業に対応するため、幾つもの校舎、多様な実験施設が立ち並んでいた。

この学校で5年間学んだらどんな学校生活になるんだろう…

今思えば、この時すでに「高専」という未知の学校に惹かれ始めていたのかも知れない。

体験入学では、事前に申し込みをした3学科を見学した。電気工学科、環境都市工学科、そして最後に建築学科の見学に訪れた。

建築学科では、学生たちが取り組んだ設計課題の図面や模型が展示されていた。住宅やホテル、商業施設、駅周辺のまちづくり…。
あらゆる規模や種類の建造物が、平面的な図面と立体的な模型、CG画像で表現されていた。
全て学生たちが設計課題で取り組んだものだった。

私は彼らの作品を見ながら衝撃を受けたのだった。
紙の上に描いたものが、実際に現実で造られる。
こんなに楽しい工作(ものづくり)は他にない! 
そう思った。

受験の決意

その後も各展示室を見て回った。
どの展示室でも学生が自分の作品や展示内容を熱心に説明してくれた。
あの日見た学生たちの、楽しさの中に誇りを含んだ瞳を、私は一生忘れないだろう。

その晩、体験入学で「建築」に魅了された私は両親に
「私は高専の建築学科に行く!」と宣言したのだった。

この時、母は「本当にやりたい?」とは聞かなかった。
本当にやりたいと、感情が全身から溢れていたのだろうか。
「わかった。頑張れ」と一言応援してくれた。


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