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可愛いやまパンちゃんと伊藤比呂美の件

以下は、仲良くして貰っているやまパンちゃんとの痴話まとめと、「永遠の太宰治」に収められた伊藤比呂美の講演内容から太宰治を探る話です。前半のやまパン編はかなり話を盛ってます。

まず、いいですか!長文、辛抱たまらん若い読者に向けて、先に結論言います。

曰わく、

「悲劇の本質は消耗品である人間の肉体が(老人になって)がたがたしてかえ(替え)がきかないのに精神だけがいつまでも青いということである」(金子光晴 老体地獄)

第二の手記 (人間失格風)

どこぞやのnote記事に、オンナは口説かれて口説かれて、その男を好きになる、とあったが、昨年の秋頃だったか、山パン可愛くてたまらずに「一番可愛いよ、好きだよ、ほんとだよ」を連発して必死に口説いていたら、彼女、年末あたりになって急に打ち解けてきて、結果、年が明けると、事業所の隅、僕の自動車の中、また夜昼頻繁なメール(あえてLINEじゃない)、なんやかんやとお話しする、かなりの仲良し友達となった。つまり、僕からすれば、どうしようもなく好きになっちゃった、彼女からすれば、オジサンの熱い気持ちとりあえず受け止めた、てわけです。

でもこうして好きな女が時々目の前にいるようになると、人間て不思議。男って不思議。めっちゃ触りたくなる。好きな女の身体をさわりたくなってたまらない。
決して美女ではないけど、僕好みの顔。右手親指と人指し指を開いてそのまま彼女のあごを挟み、可愛い顔を10㎝以内に近づけて、じーっと拝みたくなる。眼福ね。
そうして「お前が一番可愛いよ、ほんとだよ」そう囁きたい。
彼女自慢の長い髪の毛や、時に、あのむちっとした尻を撫でたり叩いたりしたら、さぞ楽しいだろう。
そしてパーンと張り出した乳房を毎日ギュッと押さえつけているブラジャー君は、お仕事さぞ大変だろうと心配で、なんだかセーターを捲って激励してみたりしたくなる。

つまり、濃厚な友達という枠内でとどまっていようとこらえても、好きになった女には、その身体にどうしても触りたいと思い詰めてしまうのだから、さあ大変。この熱い衝動には、当の僕も困ってしまった。困ったなあ、ホントまいったなあ、のレイクアルサ滝藤賢一。
カミングアウトします。なぜ困ったのかというと、僕は初老の既婚者であるからだ。下肢の中程にある小さな坊やもほとんど動かない。
時にネットニュースの片隅に出てくる、社会的立場ある初老紳士がしでかす猥褻犯罪など読むに及んでは、僕は寧ろ「このじいさん、あっちはピンピン元気なのね」と、褒めるわけじゃないけど、少しうらやむくらいなのである。
それでもこうして、既に男が終わったはずの僕の目の前に45才の女がニコニコしているのだ。大人しくしていなければならない筈の私の手指は、どうだろう、前へ前へと伸びていってしまうのである。
彼女はニコッと笑っていて特に嫌がる素振りもない。
そうして、ある日など、やまパンちゃんは僕の伸ばした手指があちこちに触れていても、それを安んじて受け入れながら、僕に向けて、
「エッチ!」
そうささやいてくれていただけだった。僕は嬉しかった。生きてて良かったー、とじじ臭い吐息まで出た。
さて殊にここで強調したいのが、彼女が髪をアップにしたときの後れ毛混じりのうなじに顔を近づけたとき感じるのであるが、間違いなくこの子だけが持っている、不思議な甘くて良い匂いの事だ。化粧品とフェロモン?とが混淆した、僕が今まで経験した女達の身体には決して感じたことない、甘~い香り、いや甘い匂い、いいや甘い蜜を、ある日クンクンと嗅いみたのだ。女性はなべて、思春期に入ると甘い分泌物を出し、加齢とともに減少していくらしいが、人生100年時代ともなり女の花咲く時期も長くなった昨今、フェロモンの漸減しない、甘い良い匂いを出しまくる彼女のような女もいて当然に思えるのだ。
またも「生きてて良かった」としみじみと思う。
そうは言っても所詮僕は羊頭狗肉な老齢男子
彼女とお別れの日が近づいているのを感じ、ぶるぶる怯えながら、こうして無為徒食を繰り返しているのである。

第三の手記

文芸別冊「永遠の太宰治」の巻頭では、伊藤比呂美の講演の模様を収録した一文が掲載されている。なかなかおもしろいので紹介したい。まず伊藤比呂美は森鴎外が好きなのね。鴎外と太宰を比較しつつ話は進んでいくんだけど、そのなか、太宰の妻、津島美知子のエッセイ「回想の太宰治」を巡って、美知子と自らを比較しながら分析している一節があって面白い。美知子は科学者の目線を以て太宰を観察している、と評したあと、

この妻に、太宰は洗濯させて、子供を産ませて、子供のおむつも替えさせて、配給なんか取りにいかせて、自分ばかりのうのうと酒のんで小説書いてたんだと思うとね、太宰いつかバチがあたると思っちゃうようなエッセイ集だった。素晴らしかったんですよ。・・・(略)
できることならば、太宰の奥さん、といっても美知子さんには勝てそうにないから、せめて山崎富栄のような存在になり、太宰を玉川上水に引きずりこまずに私はただひたすら、太宰の性欲処理もやりたいんですけれど、口述筆記要員として太宰の傍らにいたかったと。・・・とにかく美知子さんのその本(回想の太宰治)が素晴らしく良かったと。

伊藤比呂美の講演、面白い! 性欲処理もやりたい、とな!確かに太宰治!時代が違うとは言えかなりアレが好きなのは間違いない。
伊藤が取り上げている津島美知子「回想の太宰治 増補改訂版」はすでに絶版で、入手困難。僕は図書館で借りて読み、すっかり夢中になってどうしてもその本が欲しくなり、Amazonで3000円出して古本買いました。2回読みました。今も座右の書としてこたつの上に置いてあります。
この回想録は「奥方が書いた有名作家の思い出と裏話」という低レベルのものでは勿論ない、太宰治が関わった昭和の暗い時代と、彼が終生拘って(こだわって)いた金木の生家や兄弟たち、ひいては故郷津軽地方の民俗をも浮き彫りにしてくれていて、驚愕するに余りあるのだ。
この講演文で、伊藤は太宰のいろんな魅力を、まあとりとめもなく多視点から紹介している。上の引用の如く伊藤は、太宰が関わった女達に成り代わってみたり、その前は太宰や「人間失格」に自分を重ね合わせてみたり、そうして彼女が太宰に触れたのは、やはりというかやまパンちゃんと同じく「走れメロス」で、途中、中原中也の独特な魅力にも翻弄され、大人になって森鴎外に振り回されつつ、そうして、まるで落語のような太宰の文学をあれやこれやとぐちゃぐちゃに紹介しているのが、僕にはとても気持ちいい。
そもそも太宰は現代社会に時代を当てはめると一体誰に似ているのだろう。そんな推察の記事も時折散見するけれど、社会状況も恋愛意識、モラルも違うので何とも言えない。若い男が少なかった戦中戦後の男女比もあるし、そもそも山崎富栄は戦争未亡人だったのだし、容易に当てはめる事はてきない。顔は柄本佑(えもとたすく)がぴったり、若き奥田瑛二、若き大沢たかお、実際若いところでは清原翔、坂口健太郎なイメージかな。少し痩せ気味の男優が合ってるのだが、小栗旬はちょっと違う、など誰にせよイケメンを連想してしまっていて、僕にはとても悔しい。
いずれにせよ伊藤比呂美は、女としての気持ちそのままに、寧ろやたら明け透けに、彼女の太宰治への恋愛感情と、この男やべえぞと言う戸惑いというか警告を、包み隠さず話していて痛快である。

さて、今回もこんな近況報告と太宰治私考で終わってしまいました。大体、冬なんていつもこんなものです。春になれば波乗りや山行で気持ちも変わるのですが、読者のあなたは、どっちの俺が好き?